3-19 《恋人》リンナモラート
外は静かだった。
評議員についていた連中は極わずかで、広範囲に人員を配するほどの余裕が無いだけかもしれない。異端審問官やダンテが動いてくれた可能性だってある。
けれど、
(おかしな倒れ方をしている連中が多いな)
ぽつりぽつりと倒れている警備員の様子がジョエレは気になった。
大きな怪我が見られないにも関わらず彼らは動かない。たまに仰向けの者がいたと思うと、目は濁っていた。
その状態は先ほど見た評議員に瓜二つだ。となると、犯人は赤毛の女しかいない。
殺害方法はわからない。ただ、共通して、死体の首に細く赤い針が刺さっていた。
(あの針、暗器の類かもな)
死角からの攻撃に注意しながら走る。
建物の陰から出て開けた庭に出ると赤毛の女が見えた。
「おい、待てよ!」
「捕まると痛いんでしょ? そんなのお断り」
ふわふわと女は逃げる。決して早く走っているようには見えないのだが、なかなか距離が縮まらない。
(くそ。《魔王の懐刀》の励起段階がもう少し高かったら、手の出しようもあるんだがな)
せめてあと1段階。そうすれば違う使い方ができる。けれど、現状では、近接戦闘に持ち込まなければ役に立たない。
発砲もしてみたが、女はふわりと避けてしまう。あまりに軽やか過ぎて、後ろにも目が付いているのではないかと思うほどだ。
「《魔王の懐刀》、お前、非常時くらい融通きかせろよ!」
無理だと分かっているからこそ愚痴が出た。
聖遺物と呼ばれる武器への干渉は、教皇庁のメインシステムに登録されている者に限定される。具体的には枢機卿と《十三使徒》。このどちらかだけだ。
つまるところ、ジョエレがいくら更なる能力解放を願ったところで、どうしようもない。
『ジョエレ・アイマーロの登録を確認。《魔王の懐刀》へのアクセスを許可します。指示をどうぞ』
なので、太刀から反応が返ってきた時は一瞬思考が止まった。
ディアーナの言葉を思い出し、どういうことかを推察する。考えが繋がった時は、彼女のあまりの大胆さに笑いが出た。
「管轄外の部署のシステムに俺の情報を登録しておくだなんて、随分と無茶してやがんな」
それも、権限レベルが高い。
《十三使徒》では所持している武器としか紐付いていない。全ての武器を扱えるのは枢機卿のみだ。
ジョエレが《魔王の懐刀》を使うだなど予想できるはずがないので、考えられるのは、枢機卿と同等の権限で登録されている。それも、登録されている事を隠蔽した状態でだ。
「助かったぜディアーナ。20パーセントまで励起を要求する!」
能力の解放要求と同時に太刀が発する圧力が増した。
10パーセント励起では何ともなかったが、1段階上げると、僅かではあるが《魔王の懐刀》の制御システムによる脳への浸食が進行したのを感じる。
あまり気持ちのいいものではないが、力を得るためには仕方ないと割り切る。
「そんじゃ行くぜ。喰らえや〈鎌鼬〉!」
ジョエレが大きく太刀を振りかぶると、刀身から鋭い風の刃が放たれた。
刃の振動により空気を動かし、烈風を生じさせる技である。
方向性を持った風が赤髪の女近くの樹を切り倒した。当の彼女は倒れた樹を見ながら、
「あらやだ怖い。そんなのじゃ、服や下着だけじゃなくて、その下まで切れちゃうわね。そんな所まで見たいだなんて、大胆なんだから」
変わらず緊張感のない言葉を吐いている。
「止まってくれれば優しくしてもいいぜ」
女の足を狙い〈鎌鼬〉を飛ばすが、狙いがばれているためか、彼女は簡単にかわしてしまう。かといって身体の中心を狙っては、下手すると殺してしまう。
なんとも苦しい状況だ。
そんな状況を楽しむように、女は普通に話しかけてくる。
「いや〜ん、危ない。でも、こんなに激しく追われると興奮しちゃうわよね。あなたも狩りみたいで楽しくない?」
「追うのは好きな女だけで十分だぜ!」
再度〈鎌鼬〉を放つけれど当たらない。それどころか、生きている警備員が周囲に増えてきて、大技が使い難くなってきた。
講堂近くで人影が薄いポイントがあったので、そこで〈鎌鼬〉を放つも、今度の彼女は陰に隠れていた警備員を引っ張りだして盾にする。
「ご苦労様」
短く言って、切り裂かれた警備員を捨てて行った。
それを近くにいて見てしまったようで、バルトロメオの声が響く。
「ジョエレ・アイマーロ! お主がなぜ某の《魔王の懐刀》を使っているのだ!? それも励起状態ではないか!」
「ディアーナが励起してくれたんでな! 使い慣れてないから、巻き込まれないように気を付けろよ!」
今彼に捕まっては面倒なので、それだけ言って、ジョエレはその場を走り抜けた。
「メメントモリ、メメントモリ」
前を行く女から艶やかな声が流れてくる。
「死を想え、死を記憶せよ」
彼女とすれ違った警備員がことごとく倒れ出した。
目を凝らしてみると、彼女の手に赤く細長い針が握られている。それが投げられ相手に刺さると静かに死体が増えた。
「おい、お前!」
ジョエレが抗議の声を上げようとも女の虐殺は止まらない。
「今を楽しめ。飲み、食い、踊ろう。明日は我々に殺されるのかもしれないのだから」
呟きながら他者を殺し続けている。
memento mori――死を想えだなどというラテン語を呟きながらというのが、意思を持って虐殺をしているように感じられて怖い。
死体の山を築いた末に敷地の外れまで来た。
行き止まりだからか、それとも意図があってか、女の足が止まる。
「ここら辺まで来れば、ゆっくりお話できるかしら?」
彼女はゆっくりと振り返り、たわわな胸を抱えるように腕を組んだ。
「この町では騒動を起こす気はないの。だから、あなた達に手を出した連中を掃除までしたのよ? アタシの誠意、分かってもらえたかしら?」
「誠意を見せるだけにしちゃ、殺し過ぎだと思うがな」
顔をしかめながらジョエレは銃を構えた。
威嚇の必要がなくなったので、銃の方が威力が低くて使い勝手がいい。
「本当は評議員を殺した時点で仕事は終わってたんじゃねぇの? 俺を誘うような真似をしたのはなぜだ?」
「んふふ」
妖艶に、女は口元に手を添える。
「あなたをうちに勧誘して帰れば、上司から褒めてもらえるかなって。折角見つけたチャンスですもの」
彼女は腕組みを解くと、ジョエレへと右手を出してきた。
「アタシは聖母還幸会、アルカナを戴く者の1人《恋人》。あなたを迎えに来たわ。さぁ、アタシの手をお取りなさい」
「冗談きついぜ」
「あら、アタシは本気よ? うちの上司だって、あなたが加入してくれるなら、アルカナの座を用意すると言っているわ」
「分かんねぇな。アルカナに何の意味があるってんだ」
「ん〜。うちの偉い人が持ってる通り名かしら」
「くれるっていうんなら、俺に似合うのは《愚者》一択だろうよ。いらねぇけどな!」
言いながら発砲した。
しかし弾は当たらず、ふわりと浮かび上がった《恋人》が外壁の上へと立ち位置を変える。
「どういう手品だ、そりゃ!」
「な〜いしょ。一緒に来てくれるなら考えてもいいけど」
「そんな安い報酬じゃ身は売れねぇな」
ジョエレが再度発砲しても当たらない。足場が悪いにも関わらず、彼女はふわりふわりと動く。
「つれないわねぇ。でも、押すだけじゃ能がないから、今日はここら辺で帰ろうかしら。押して駄目なら引いてみろってね」
《恋人》が髪をかき上げた。
髪を梳いていたはずの手には、いつの間にやら白百合が握られている。
「我ら終焉をもって楽園を創造せん」
組織の構成員がお決まりで言う言葉を口にしながら彼女が花を投げた。
見るのも胸糞悪く、ジョエレはそれを撃ち抜く。
白い花弁が無残に散った。
「穢れた人類は粛清され、等しく聖母の腕に抱かれることこそ真の救い」
「勝手に決めんなっつーの」
狙いを《恋人》に戻すも、彼女は壁の向こうへ飛び降りてしまう。
「また会いましょうジョエレ・アイマーロ。私の本名は、その時までお預けね」
「お預けされてたまるかよ!」
太刀に持ち替えたジョエレは壁を斬りつけたのだけれど、自重があるせいで中々崩せない。
「くそがっ」
ようやく道が開けた時、そこに彼女の姿は無かった。