3-11 襲撃された講演
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2日後。
バルトロメオとアンドレイナを引き連れ、ディアーナはル・ロゼの庭を歩いていた。少し離れて、メルキオッレとルチア、テオフィロも付いてきている。
しばらく行くと話し声が聞こえ人影が見えた。手入れされた芝生の庭で子供や青年がくつろいでいる。
ざっと数えた感じで200人。夏休みもそろそろお終いな8月後半。実家に帰省していた生徒もぼちぼち戻ってきていて、聴衆の数としては妥当なところだろう。
移動の途中でメルキオッレ達は生徒に紛れた。楽しそうに喋っている彼ら3人が生徒に紛れても違和感はない。
中々にいい隠れ場所だったようだ。
(ル・ロゼで制服を着るのが式典の時くらいで助かったわね)
気付かれぬよう胸をなでおろす。
生徒が制服だったらアウトだった。
全てが自分達に不利には回っていないのだから、運に見放されてはいないのだろう。
(この調子で、警戒も取り越し苦労で終わってくれればいいのだけれどね)
本心は笑顔の下に隠し生徒達に手を振る。そのまま公演台に登った。
「伝統あるル・ロゼの生徒、そして、私の後輩達。こんにちは」
話を始め、聴衆を見回すふりをしながら周囲に目を向けた。
(こちら側からだと死角が多い。その上、こう開けているとなると、どこからでも狙撃してくれと言っているようなものね)
自分の置かれている状況をそう結論づける。
今いる場所から3歩も下がればいくつかの射線からは外れるけれど、公演台から降りてしまう。生徒達だって訝しむだろう。
狙撃されても大丈夫なように手は打ってある。けれど恐怖心は残るのだ。作戦上仕方ないとはいえ、無警戒を装うのも大変だ。
ディアーナが演説を終えると評議員が拍手した。生徒達からも拍手が送られてくる。
「生徒の諸君。君達にはこのあと特別講義がある。速やかに講堂まで移動するように」
学園長の声が聞こえた。
今まで演説を聞いていたのに、続けて講義となれば疲れるだろう。案の定、生徒達から不満の声が上がった。それでも指定された場所への移動は始まる。
その流れにメルキオッレ達3人も紛れていたのだが、彼の腕を評議員がつかんだ。
「ご無礼を、オルシーニ卿のご親戚殿。ですが、あなたに生徒達と同じ場所にいられては困るのですよ。お付きの2人、お前達もだ」
そう言って彼はメルキオッレを人の流れから引っぱり出す。その言動に微妙な違和感を嗅ぎとりディアーナは眉根をよせた。
評議員のメルキオッレの扱いはやや荒いが、それでも、言葉や態度にへりくだりがある。
ディアーナの地位を考慮して、親戚にまでそれなりの対応をしている可能性はあるだろう。けれど、彼の慇懃さはそれとは別種だと勘が告げている。
(地方選出とはいえ評議員。さすがに聖下の顔くらいは知っているか)
1つ賭けに負けた。
メルキオッレ達が連れてこられるのを眺めながらディアーナは考えを巡らす。
(まだ想定の範囲内。慌てる程ではないわね)
保険は掛けてある。
今すべきは冷静さを失わないことだ。そのために努めて無表情を保つ。
そんな中、1人の生徒が講堂に向かう列から逸れた。
「疲れたんで、俺、次の特別講義欠席で。後で講義ビデオでも見るんで」
「自分も」
「私も。ていうか、まだ夏休みですよね?」
釣られるように離脱者が増えていく。
人がバラけだしたその時、銃声がした。
「指示に従ってもらおうか、生徒に教師諸君。私はオルシーニ卿やご親戚殿と大切な話がある。それが終わるまで、君達には静かにしていてもらいたいのだよ」
評議員の手には銃が握られていて、銃口は生徒達を向いている。
ディアーナの両脇で異端審問官達が動こうとした。
「おっと、動くなよ、異端審問官。少しでも変な動きを見せれば、どうなるか分かってるな?」
銃が火を噴き生徒の足元をえぐった。そのまま銃口はやや上を向き、生徒達の上半身を照準する。
怯えた生徒達の声が騒がしい。
「貴様。このような振る舞い、覚悟は出来ておるのだろうな」
バルトロメオが低い声を出した。そのまま太刀へと手が伸びる。
「お止めなさいバルトロメオ。話があるというのなら、私達の命をすぐに奪うつもりはないのでしょう。ならば、優先すべきは一般人の安全よ」
バルトロメオが厳しい表情で動きを止めた。評議員は醜く顔を歪ませる。
「さすが慈愛の枢機卿ディアーナ様だ。こんな状況でも民草への配慮をお忘れにならないのだからな。まぁ、そうでなくては困るが。学園長!」
「はいっ!?」
「さっさと生徒達を連れて行け。監視を怠るな」
評議員が顎をしゃくった。
尻を叩かれるように学園長は動き出し、学園関係者に指示を出している。呆れたことに、警備員が銃を構えて学園関係者を追い立てているような有様だ。
(この調子だと、評議員が用意した警備は全て敵か。やはり、こちらの手勢が少な過ぎたのが痛かったわね)
オート=サヴォワの屋敷までは自前の警備を連れてきていた。
しかし、ロールで忍んで休暇となると彼らを連れ歩くわけにもいかず、選りすぐりを選ぶしかなかった。
分かってはいたが、この戦力差はやはり痛い。
余裕顔の評議員が今度は銃をディアーナ達に向けてくる。
「さて、枢機卿及び護衛の皆さんには武装解除してもらいましょうか」
「オルシーニ卿」
アンドレイナが呼んできた。彼女はそれ以上言葉を発しなかったが、小さく口は動いている。
――今ならまだ敵を抑え込めますがどうしますか?
言っているのはそんな事だろうか。
返答をディアーナは一瞬考え、小さく唇を動かした。
――敵の全容が見えない。もう少し様子を見ましょう。
アンドレイナが頷く。
ディアーナは自然な会話に見えるよう言葉を発した。
「従いましょう」
全員が身に付けている武器を外し足元に置く。それを警備員が回収した。
終わると縄で縛られる。
「手荒になってしまい申し訳ありません。先ほど申したように、私は猊下と少し話がしたいのです。ですが、会談に立ち会う予定のゲストが1人まだ来ていないのですよ。しばしお待ちいただけますか?」
警備員がディアーナの背を押した。
(歩けということかしら)
指示に従う。今逆らうのは明らかな悪手だと思えたから。ディアーナが歩きだすと他の者達もついてきた。
評議員の前を通りすぎざま彼が言葉を投げかけてくる。
「なーに。そうお待たせはしません。ほんの短い時間だけです」
「そう願いたいものね」
「では、しばしの後に」
大仰に会釈して彼は去って行った。
ディアーナ達は校舎の中へと連れて行かれる。
途中でバルトロメオとアンドレイナだけ引き離された。彼らの抵抗を警戒されたのかもしれない。
「こちらに」
奥まった部屋の扉を警備員が開いた。
中に入ってみると、窓は無く、出入り口も1カ所しかない。
「逃げようだなどとは思われませんよう」
電灯をつけ警備員は出ていった。
すぐにガチャガチャと騒がしい音がしたのは、外側から物理的に扉を閉じたからだろう。
「アンドレイナ達は大丈夫かな?」
メルキオッレが扉を心配そうに見た。
「どうでしょうね。彼らと引き離されたのは想定外でしたし」
ディアーナは近くの椅子に腰掛けながら言葉を濁す。
正直、今の段階で異端審問官2人の生存は保証できない。
(私が評議員の立場なら、危険なあの2人は真っ先に潰しておくし)
ジョエレにしても、メルキオッレとディアーナの安全を確保するためなら、躊躇なく2人を見捨てるだろう。
(それにしても評議員。大した覚悟もないのに大それたことをしてくれたわね)
本気で脅しをかけたければ生徒の1人でも撃ち殺しておけばよかったのだ。それだけで逆らおうと思う者は格段に減る。
けれど、彼はそれをしなかった。
(気付いておきながら聖下の正体をばらさなかったのも、失敗した時の罪を少しでも軽くするためかしら)
それでも、それはあくまで仮定に過ぎない。
小心者ほど追い詰めれば暴走する。殺しだって躊躇わなくなるだろう。
(まぁ。大人しくしている間は私達の安全は保証される。後は、ジョエレが助けに来た時に動けるように身体を休めておいて……)
先の事に思考を走らせながら楽な姿勢になる。縛られてはいるが、座っていればだいぶ楽だ。
そんなディアーナの横にメルキオッレが来て椅子に座る。
「ねぇディアーナ。しばらく暇だろうし、昔話を聞きたいんだけど」
「昔話ですか?」
「そう。昔話」
メルキオッレが頷いた。
どんな話が聞きたいのかディアーナには容易に想像がつき、疲れを覚える。
「ベリザリオですか?」
「半分正解で、半分外れかな」
メルキオッレが柔らかい笑みを浮かべた。
「僕が聞きたいのは、学生時代のディアーナとベリザリオ卿の話だよ」
「なんでこのタイミングでベリザリオなの?」
ルチアは本気で分からないといった顔をしている。
変わらぬ柔らかい表情のままメルキオッレが彼女の方を向いた。
「ベリザリオ卿もこの学校の卒業生なんだよ。優秀過ぎて、在学中からディアーナと一緒に稀代の三傑って言われてたらしいよ? 折角ル・ロゼにいるんだし、学生時代の彼の話、聞きたいよね」
そのまま彼はディアーナの方に顔を戻し、少しだけ首を傾ける。
「僕達にできるのは待つだけみたいだしさ。暇潰しがてら?」
子犬のような目を向けてくる青年を見てディアーナは溜め息をついた。
「そうですね。どうせ暇ですし、少しだけお話ししましょう」
ゆっくりと口を開く。
粘り負けと言われればそれまでだが、たまにはこんな時があってもいいだろう。
それに、喋り声は、自分達がここにいるというジョエレへの合図にもなる。ごく自然に合図を発せ続けられると考えれば、願いに乗った方が都合がいい。
「ご存知の通り、選帝侯の子女はおおむねこの学園に通います。私と彼も、8歳の頃からこちらで暮らしていました」




