3-8 木漏れ日の射し込む場所 後編
◆
銀髪男と互いの顔を殴り合う形になり、テオフィロはゆっくりと目の前の相手と距離をとった。
殴られまくった身体のあちらこちらが痛い。ついでに、相手を殴りまくっている手も痛い。息だって、みっともないくらいに乱れている。
(きちぃ)
テオフィロに比べて、相手は未だに余裕があるように見えた。
そんな男が脇腹付近に手を移動させ、戻す。この動きにだけ違和感があった。
(あそこ、1度しか殴ってないはずだけど)
その一発を入れた後から男が脇腹を気にするようになった。殴った時も手応えがおかしかった気がする。
(あそこ怪我してて、俺が殴ったせいで傷が開いた?)
なんとなく思った。
どこまでもなんとなくだ。けれど、男のスーツは薄っすらと湿ってきているように見える。あながち間違いな推測でもないかもしれない。
テオフィロがそんなことを考えていると、
「某はヴィットーリオ・エマヌエーレ・オルミ。お主の名は?」
突然男が話しかけてきた。
「テオフィロ・バンキエーリ」
「ふむ、テオフィロか」
ヴィットーリオと名乗った男は拳を下ろし、胸の前で腕を組む。
「テオフィロ・バンキエーリ、お主は中々いい筋をしているし、根性もある。某の下で働かんか?」
「冗談」
「冗談ではないぞ。お主は見所がある。上手く育てば、使徒の名を冠すまでは無理でも、そこそこの地位まで登れるだろう」
「悪いけど」
テオフィロも拳を下ろした。それで気が抜けてしまい、立っているのさえ億劫になる。我慢する必要性を感じなかったので、その場で座り込んだ。
「俺、ペットだから。飼い主の許可なく職替えとか、今んとこする気ないし」
「は?」
何を考えているのか、ヴィットーリオも胡座をかいて座り込んだ。そうして、両耳を思いっきりほじって身を乗り出してくる。
「すまんが、よく聞こえんかった」
「だから、俺は転職する気ないの。つーか、おっさん、もう行きなよ。そろそろあいつらも適度に逃げただろうし。俺もう疲れたし」
「なぜ急にそんな投げやりなのだ」
「別に。無駄な労力を割くのが好きじゃないだけ」
彼との問答が一番面倒くさく、拒否するつもりでテオフィロは地面に転がった。
そうすると、頭が向いた道の先からジョエレとルチアが走ってくるのが見える。
(なんでジョエレ?)
組み合わせが不思議ではあったけれど、あの2人なら全てどうにかしてくれそうだ。それもあってますます脱力した。
「ちょっとテオ、大丈夫なの!?」
慌てた声をあげながらルチアが覗き込んでくる。
「どうかした?」
「どうかした? じゃないわよ! ぼろぼろじゃない!」
彼女がテオフィロの頬に手を添えた。殴られた所だったせいで地味に痛い。顔を少ししかめた。
「あ、ごめん。痛いよね? とりあえず絆創膏貼っておけばいいかな?」
「切り傷じゃねーんだから、冷やしてやらんと駄目だろ」
ちらっとだけテオフィロに視線を落としたジョエレが呆れたように言う。彼はそのまま歩を進めると、テオフィロとヴィットーリオの間くらいで止まった。
「よう。お前がメルキオッレの護衛の1人か?」
「いかにも。お主は?」
「俺? 俺は、まぁ。オルシーニ卿の関係者だ」
「オルシーニ卿の関係者が某に何の用だ?」
ヴィットーリオが立ち上がった。
1人だけ転がっているのも微妙な気がして、テオフィロも身体を起こす。
「うちのやんちゃ坊主が無謀な喧嘩してるって聞いて飛んできたんだがよ。もう落ち着いてたようで良かったぜ」
「ふむ?」
「ついでにお前に情報提供だ。オルシーニ卿が所属不明の連中に襲われたぞ。襲撃された現場にメルキオッレもいる」
「なんだと!?」
ヴィットーリオの雰囲気が変わった。鬼気迫った様子で、今にもジョエレに掴みかかろうとしている。
「お2人がいらっしゃる場所はどこだ!?」
「まぁ落ち着けよ」
そんな彼の肩をジョエレは押し返し、ルチアに手を出す。
「ルチア。お前絆創膏持ってるだろ? それ、こいつにくれてやれ」
「持ってるけど、何なの? 急に」
ルチアはポシェットを漁りだしはしたけれど、とても怪訝そうだ。
「そいつの腹、見てみろ」
ジョエレが顎をしゃくる。
「あ」
ヴィットーリオを見たルチアは小さな声を出し、次いで、テオフィロに顔を向けた。
「テオ刃物持ってたの?」
そんなはずはないので、「丸腰」と、テオフィロは両手をあげる。
「テオフィロ・バンキエーリは関係ない。動いていたら傷が開いただけだ」
「こいつのせいでお前さんの動きが鈍ってて、テオでもそこそこ相手できたのかもな」
ジョエレがヴィットーリオに近付き、血に汚れている部分をはだけさせた。ルチアに出した手の指を動かしているのは、さっさと絆創膏をよこせと主張しているようだ。
ルチアが可愛い豚柄の絆創膏を渡すと、ジョエレは傷に貼っていく。
「これでも貼ってれば、何も処置してないよりはマシかもな。オルシーニ卿がよく効く傷薬持ってるだろうから、後できちんと治療してもらえよ」
「かたじけない。しかし、なぜ某の治療を?」
「お前さんには2人をきっちり守ってもらわないといけねえからな」
手を動かしながらジョエレは話を続ける。
「護衛は2人だと聞いていたが、もう1人はどこだ?」
「アンドレイナなら別任務中だ」
「なら、今はどうしようもないな。ほい、治療終わり」
貼った絆創膏をジョエレが上から叩いた。
痛かったのか、ヴィットーリオの顔が一瞬歪む。
「お前、使徒名は?」
着衣を直す銀髪から離れながらジョエレが尋ねた。
「バルトロメオ。某がそれを持っているのを知っているのなら、お主、教会関係者か?」
「そんなんじゃねーよ。俺はオルシーニ卿の関係者なだけの旅行者だからな。ああ、そうそう。メルキオッレ達の居場所、喫茶【木漏れ日】だから」
さっさと行けとばかりにジョエレが手をふる。
「何かと世話になった。機会があればまた会おう」
ヴィットーリオはひとつ敬礼し、猛然と去っていった。