3-6 木漏れ日の射し込む場所 前編
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喫茶【木漏れ日】。
店舗の周囲に植えられた背の高い樹が程良く日射しを遮り、穏やかな空間を演出している店である。
そんな喫茶店のテラス席に婦人が座っていた。
つば広帽子の下の茶髪には白髪が混ざっているが、背筋は伸びていて、醸し出す雰囲気に品がある。落ち着いた色で統一されている服も雰囲気作りに一役買っているのかもしれない。
「早かったな」
そんな彼女と同じ席にジョエレは座った。
店員に彼女と同じ物を頼む。すぐに珈琲が出てきたので、口をつけつつ話を振る。
「何でお前ここにいるんだ? 夏季休暇、オート=サヴォワに行ってるって聞いてたんだが?」
「先週まではそっちにいたわよ? でも、一緒に休暇を取っている――」
婦人――ディアーナがジョエレに顔を近付け、声をひそめる。
「聖下がこちらに来たいと仰るものだから動いて来たのよ」
「は? そんなん連れてんのか? マジで?」
「大マジよ。そのせいであまり自由に動けなかったのだけど、こちらに来てから彼は外に行くことが増えたから、私もこうして出歩ける時間が出来たってところかしら」
「子守をしながらとは、お疲れ様な休暇だな」
ジョエレは肩を竦めた。
何がおかしかったのか、ディアーナが小さく笑う。
「何だよ急に」
「いいえ。あなたがそれを言うのねと思って。あなたも連れているでしょう?」
指摘され、ジョエレはげんなりと口をへの字にした。
「お前がそれを言うのかよ。そもそも、ルチアを俺に押し付けてきたのはお前だろうがよ。その上あいつがペットまで飼い始めてくれて、我が家は動物園のような騒がしさだぞ」
「文句の割には楽しそうよね? それに」
ディアーナが珈琲カップを両手で包む。
「1人だった時より明るくなったわ」
「言ってろ」
ジョエレはそっぽを向いた。
大人気ない行動だとは思う。しかし、素直に認めるのは何だかむず痒い。
そんな彼とは対照的にディアーナが優しく笑う。
「それで、ルチアは元気にしてる?」
「ピンピンしてるぜ。あいつが昔は病弱だっただなんて、未だに信じられないんだが」
「そう。それなら良かったわ」
「なぁ」
ジョエレは片腕を机に置き、そこに体重をかけて上半身を前に出した。
「あいつって、本当にマラテスタ家と関係無いのか?」
「どうして?」
珈琲を飲んでいたディアーナがカップに口を付けたまま、見上げるように視線を上げてきた。
なんとなくジョエレは頭を掻く。
「どうしてって言われてもなぁ。なんつーか、勘?」
「あの子は話してくれた?」
「なーんにも」
「じゃぁ私が言うわけにはいかないわね」
そう言って彼女は瞳を伏せた。
「だいたいさ。何であいつを俺に預けてきたんだ?」
「さぁ? お互いのために良いと思ったからだったかしら?」
「説明になってねーぞ」
「言えない事が多いから仕方ないわね」
相変わらずの笑みを浮かべたままディアーナは言う。
一般的には温厚で民衆寄りな枢機卿だととられているディアーナだが、決してそれだけの人物ではない。特に、都合の悪い事は全て隠してしまう笑顔が中々に曲者だ。
この感触だと、いくら聞いたところで有意義な答えは返ってこないのだろう。それが見え見えだったので、
「で。何の用で俺を呼び出したんだ?」
ジョエレは話題を変えた。
「何の用って」
驚いたようにディアーナがまばたきする。
「顔を見たかったからじゃ駄目なのかしら?」
「わーお。熱烈な告白過ぎて、俺ビックリ」
大袈裟にジョエレは驚いてみせた。
そんな彼に微笑むと、ディアーナはゆっくりと首を巡らす。
「ここにいると懐かしくない?」
「……」
「私は懐かしい。昔もこの席で、彼と――」
葉の隙間から射し込む光を遮るようにディアーナが手をかざした。そんな彼女をジョエレは抱え込み、机の下に身を隠す。
間を置かず、机に硬いものが当たる音が連続した。少しすると、珈琲であろう黒い液体が垂れてくる。
机を横にして弾除けにし、ジョエレはディアーナを解放した。
喫茶店の外からは男の声が聞こえてくる。
「ディアーナ・オルシーニ、そこにいるのは分かっている! 出てこい!」
「要件があるなら、このままでも聞こえているわよ」
「うるさい、ともかく出てこい!」
脅しのつもりか再び銃声が響きだした。
やれやれと、ジョエレはディアーナに尋ねる。
「なんか狙われてるみたいだけど、心当たりは?」
「あるといえばあるし、無いといえば無いわね。だいたいが、ロールにいるのは公表していないはずなんだけど」
「熱烈なストーカーでもいて、俺に妬いたかね?」
銃撃が止んだので、机の影から周囲をうかがった。
幸いにも無関係な場所への流れ弾は少ない。突然の銃声に叫び声は上がっているけれど、怪我人は出ていないようだ。
(ひー、ふー、みぃ……)
木影の襲撃者を数えていると思わぬ方向から弾が飛んできて、ジョエレは慌てて顔を引っ込めた。
「どんな感じかしら?」
服の隠しから手の平サイズの拳銃を取り出しつつディアーナが尋ねてくる。
「4人かと思ったけど、死角にもう1人、最低5人はいそうだな」
「あなた、銃は?」
「ねぇな」
答えるジョエレの前に彼女が身を乗り出した。
「それならあなたはここに隠れてて。どうせ私を狙ってきた連中でしょうし、自分でカタをつけるわ」
「待てよ」
ジョエレはそんなディアーナの肩を掴み後ろに引き戻した。そうして、彼女の手から銃をもぎ取る。
「何のつもり?」
怪訝そうにディアーナが眉を寄せた。
「こういう時は守られとけよ。自分の為に男が自発的に働いてくれるのは、いい女の特権だぜ?」
「でも」
「うるせえ!」
ぐずるディアーナをジョエレは一喝した。銃に弾が装填されているのを確認しつつ呟く。
「お前にまでいなくなられたら、俺は1人になっちまうだろうがよ。そいつは御免だ」
ディアーナは数度まばたき、困ったように笑う。
「そんなの私も同じなんだけど。でも、そうね。確かにあなたに任せた方が確実だわ」
それから彼女は予備の弾を入れた袋も渡してきた。
「護身用に持ってきたものだから、弾は予備も合わせて10発。装填数は2発だから再装填が面倒だけど、丸腰よりはマシよね」
「まぁな。弾の余裕はねぇし、相手の命の保証は出来ねぇぞ」
「いいわ。責任は私が持つ。彼らだって、私に手を出した時点で命を捨てる覚悟は出来ているでしょう」
「そりゃどうかな」
皮肉も込めてジョエレは下唇を突き出した。
素のディアーナは必要があれば冷酷な判断も下す人間だ。しかし、その姿を表立って世間に見せてはいない。
襲撃者達だって、失敗しても見逃してもらえるものと思っているだろう。
「まぁいいや。こっちに誰か来たらすぐに呼べ。死ぬなよ」
「あなたもね」
頷くと、ジョエレは机の後ろから飛び出し駆けた。彼を撃とうと身を出した連中の場所を確認しつつ、物陰に身体を隠す。
確認できている襲撃者達の射線に入らぬよう歩を進め、隠れていられなくなると、一番近くにいる者の場所まで一気に走った。襲撃者が銃を構える。
「悪いな。そんな招待じゃディアーナは出てこねぇぜ」
発砲される前にこちらが撃った。
顔面を撃ち抜いた男の隠れていた木影にジョエレは身を潜める。ついでに弾を1発補充しておいた。
手の平サイズの拳銃は隠し持つには優秀な銃だが、小さい分だけ威力が低い。相手に近付かなければまともなダメージを与えられないのが欠点だ。
その上、今は少ない弾数で相手を撃退しなければならない。
となると、急所を狙っていくのが最善手となるわけで、生かせる相手はほぼいないだろう。
転がしたばかりの男の銃も目にはついたが、使うのは止めた。
襲撃者の銃は警察組織でよく使われている自動拳銃で、残弾数の確認に手間がかかる。かといって確認をせずに使って、いざという時弾切れで危ないのは自分の命だ。
そんな危険な橋を渡るくらいなら、多少性能は落ちてもディアーナの銃の方がいい。
(ここから出たら、並んでいる樹の陰に2人。立ち止まらずに一気に行く)
次の動きを頭の中で描き、それに沿って身体を動かした。相手からの迎撃はあるが、立ち止まりさえしなければ、下手くその弾などそうそう当たりはしない。
かするものは幾つかあったものの、無視して襲撃者に近付き引金を引いた。1人目が倒れ始める前に横にいる奴に銃口を向け、次弾を発砲する。
(あと2人)
木影に身を隠しながら弾を再装填。
再び走り出すと、残り2人も一気に仕留める。
「よし、これで――」
ひと段落と、足を緩めたジョエレの耳を何かがかすって行った。
振り返ると、1人の男がこちらに銃口を向けている。
(くそ、まだいやがったのか)
これまで一切攻撃してこなかったので、存在を捕捉していなかった。慌てて近くに転がっている襲撃者から銃を回収し、引金を引く。
しかし、軽い音がするだけで弾が出ない。
(こんな時に弾切れとかマジかよ!?)
ディアーナの銃に弾を込めようと試みるが、今の状況の対処には遅い。
引金を引くつもりなのか、男の筋肉が膨れるのが分かった。
(やべぇ)
のどかなはずの街路に鈍い音が響いた。




