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堕ちた枢機卿は復讐の夢をみる  作者: 夕立
Ⅲ.アルカナを冠する者達
25/183

3-1 湖畔の町 1日目 ◇

Nunc est bibendum,

今は飲む時だ

 Nunc pede libero pulsanda tellus.

 今は気ままに踊る時だ


挿絵(By みてみん)


明日は我々に殺されるのだから


Ⅲ.アルカナを冠する者達

 ◆


 駅舎に列車が停まる。

 わらわらと車両から出る人々と共に、ジョエレ、ルチア、テオフィロの3人もホームに降りた。

 窮屈な環境からようやく解放されジョエレは背伸びする。


「やっぱ遠いなー。身体がガチガチだぜ」

「ここがロール?」


 駅舎を眺めながらルチアが尋ねてきた。ジョエレは軽く肩を回しながら答える。


「そ。旧スイス領ヴォー州ロール。そん中のロール駅だな」

「そっかぁ。旧イタリア領出たの初めてだから、ちょっと緊張しちゃう」


 ルチアは忙しなく周囲を見回している。


「落ち着けって。テオを見てみろよ。全く動じてないぞ」


 ジョエレはテオフィロを指した。

 テオフィロは線路の向こうを見つめていて、ルチアと違い落ち着いたものだ。それでも話は聞いていたようで、こちらを向く。


「知らない世界過ぎて、反応のしようがないだけ」

「すまん。お前より重症だった」

「みたいね」


 そうこう騒いでいると見知った婦人が近付いてくる。


「お久しぶりガイドさん達。相変わらず仲がいいみたいで見つけやすかったわ」


 面長の顔に笑みを浮かべヴァレリーが手を振った。


「あ、ヴァレリーさんお久しぶりです! ご招待頂いてありがとうございました」


 ルチアはトランクケースをジョエレに押し付け、身軽にヴァレリーの方に駆けていく。女2人は笑顔で抱擁し合った。

 そんな感動の再会を果たすために渡されたトランクケースは非常に重い。ジョエレの荷より確実に重くて、彼は口をへの字にした。


「あいつ、こんなに何持ってきたんだ?」

「さぁ? テディベア持って行くか悩んでたのは見たけど」

「テディベアって、寝る時にいつも抱いてるあれか」

「ルチアって、あれで結構乙女だよね」

「ガキの間違いだろ」


 悪態をつきつつ女性陣の元に向かう。けれど、2人の側までたどり着く前に笑顔を浮かべ、


「お久しぶりですマダム。相変わらずお美しいですね」


 愛想よく挨拶した。ヴァレリーは笑いながら口元を手で隠す。


「あなた達もお久しぶりね。旧イタリア領の殿方はお世辞が上手いんだから。いつまでも荷物を持っているのも邪魔でしょうから、さっさとうちに案内するわね」


 そう言うと彼女は歩き出す。横にルチアが並んだ。

 ジョエレとテオフィロは後ろに続く。


「うわぁ、凄い!」


 駅舎から出た途端にルチアが叫んだ。彼女は興奮冷めやらぬ様子で周囲を見回し、胸一杯に空気を吸い込んでいる。


「ロールって本当に素敵な所ですね。町並みは綺麗だし、緑が多くて空気が澄んでるし。それに、電車の中から見えていたレマン湖も凄く大きくて、感動しちゃいました」

「そんなに褒めても何も出せないわよ」


 ほほほとヴァレリーが笑った。謙遜したようだが、まんざらでもない顔をしている。町並みは彼女にとっても自慢なのだろう。


 そんな話題が出るのも当然なほどロールはヴァチカンと違う。

 レマン湖畔にありながら周囲に高山が多いこの地は、どちらを見ても稜線が見え、町自体もなだらかな坂道が続いている。下部を白く化粧した木造の建物が並ぶ様もここならではのものだ。

 アスファルトと石畳、石やコンクリートで作られた建物といった人工物で覆われたヴァチカンとは、正反対と言っていい。


「あそこに見えるお城みたいなのって何ですか?」


 丘の上に立つ建物を指しながらルチアが首を傾げた。


「ああ、あれね。あそこは学校なの。ル・ロゼっていって、選帝侯や旧貴族とか、裕福なお宅のお子さんが通う所ね。昔のお城を校舎にしてるらしいから、ぱっと見ると学校だなんて分からないわよね」


 くすくすとヴァレリーは笑う。その途中で、「あ、でも」と、顎に人差し指を立てた。


「ルチアさんの姓ってマラテスタじゃない? 選帝侯であるマラテスタ家出身なら、ここに来てたんじゃないの?」

「ないない」


 ルチアが苦笑しながら手を横に振る。


「選帝侯の人間がガイドとかしてませんって。先祖の誰かが勝手に名乗り出しただけなんじゃないですかね? あたしもちょっと迷惑してるんです」

「言われてみればそうね。ふふ、良かった。あなたが一般人って分かって、今までよりずっとお喋りしやすくなったわ」


 それからも女性2人の会話は途切れず続く。

 反対に、テオフィロは一言も発さず周囲を見ながら歩いている。


「おいテオ。お前もなんか感想ないのか?」


 ジョエレもちょっと喋りたくなって、隣を歩く青年に話しかけてみた。


「ん」


 テオフィロはあらぬ方向を向いたまま、ぼやっとした返事をしてくる。


「道に迷ったとき困りそうだなって。ヴァレリーさんはイタリア語で話してくれてるけど、すれ違う人達の話してる言葉、俺わかんないし」

「なんだぁ? んなこと心配してたのか」


 ジョエレはテオフィロの尻を叩いた。


「確かにここはフランス語圏だが、イタリア語も通じるから気にすんな。てかまぁ、イタリア語は大体どこでも通じる。なんてったって、天下の教皇聖下のお膝元で話されてる言葉だからな」

「そうなんだ? てか、ジョエレよく知ってたな」

「ま、年の功ってやつよ」


 少しばかりの哀愁を込めて、ジョエレは昔から変わらぬ町並みを眺めた。




 この町にいる間はヴァレリー宅に滞在することになり、ジョエレとテオフィロには一室が与えられた。ルチアはヴァレリーの部屋で厄介になるらしい。


 今晩は庭でバーベキューらしいのでジョエレ達も用意を手伝う。

 そうしていよいよ食材を焼き始めた時、網に乗った物にジョエレは歓声を上げた。


「魚じゃねーか、マジか!」

「お客さんが来るって言ったら主人が張り切っちゃって、昼間に釣ってきてくれたの。でも、釣りに行くなんて、私には教えてくれてなかったのよ」


 魚に塩をかけながらヴァレリーが唇を尖らせる。


「何も釣れなかった時が恥ずかしくて、言えなかったんですよ」


 旦那さんが困ったように笑った。男のちっぽけなプライドというやつだが、ジョエレとしては分からなくもない。

 用意されていたビールを2瓶取り、片方を旦那さんに渡す。


「分かりますその気持ち。女性にはいい姿だけ見せたいもんですからね。こういう時は飲みましょう」

「君は分かってくれるのかね? そうなんだよ。良かれと思って頑張っても、妻には叱られるばかりでね」


 旦那さんが瓶を開けジョエレの瓶とぶつけた。2人で酒を一気にあおり、かーっと息を吐き出す。


「それにしても、レマン湖で釣りも出来たんですね。ヨット遊びと泳ぐことにしか目がいっていませんでした」

「観光客の方はそうでしょうな。住民だからこその楽しみってやつですよ」

「いいですね、それ。俺も出来たりします?」

「お、興味がありますか? 明日も休みなんで、なんなら一緒に行きますか?」


 旦那さんが棒を握るように手を握り、縦に振った。釣竿を振りかぶる動きだろう。


「是非」


 ジョエレは笑顔で手を差し出した。それを旦那さんが握り返してくれる。そこからは男2人で肩を抱き合い、酒を飲み、焼けた物を適当につまんだ。


「ごめんなさいね、うちの主人に付き合わせちゃって」


 ヴァレリーが申し訳なさそうに謝る。


「気にしないでください。むしろ、こちらこそすいません。うちのロクデナシが絡んじゃって」


 ルチアも頭を下げた。


「おいルチア、酷いこと言うなよ。明日はたっぷり釣ってきてやるからよ」

「ヴァレリー。明日はフィッシュアンドチップスだな」


 心の通じ合った男2人で不服を訴えてみるが、彼女達の冷たい視線は変わらない。


「はいはい。期待して待ってるわ」


 欠片も期待されていない口調でヴァレリーにあしらわれた。

 傍で、いつぞやのバーベキューの時のように、ルチアはジョエレとテオフィロの皿に野菜を放り込んでいく。


「ね、テオ。あたし達明日どうしよっか?」

「俺達も釣りじゃないの?」


 テオフィロは顔をしかめたが、文句は言わず、野菜から片付けだした。

 ジョエレの隣で旦那さんが困ったように頭を掻く。


「申し訳ない。船が定員2人なんだ」

「ですって」


 心なし嬉しそうにルチアがテオフィロに振り向いた。あれは、釣りに興味が無かったに違いない。


「まぁさ、お前達はここ来たの初めてなんだから、レマン湖周辺でもぶらついてみたらどうよ? ル・ロゼの学生達も、入校したら真っ先に湖に行くもんだし」


 きょとんとルチアが目を瞬く。


「そうなの? じゃ、明日は湖に行ってみよっか」

「りょーかい」


 テオフィロは短く返事し、よく焼けた魚に手を伸ばした。

 ルチアも魚を取り、一口かじった後でジョエレに顔を向けてくる。


「ジョエレ、なんか詳しいよね」

「そういえば、ジョエレさんはフランス語もとても堪能よね。以前こちらにいたことでも?」


 ヴァレリーまで話に加わってきた。


「昔、少しだけ」


 ぽつりとジョエレは呟く。

 その後で飲んだビールがいつもより苦く感じた。



 ◆


 夜のロールを4つの影が走り抜ける。

 後方を走るスーツ姿の人物から銀線が放たれた。前を走る1人が捕まり地に伏せる。

 もう1人のスーツの人物は腕を振るった。黒い影がしなり、前方の人物の首に巻きつく。

 首を絞められた男は呻きながらのたうち、すぐに動かなくなった。物言わぬ骸が先に地に伏せていた人物の横に捨てられる。


「仕留められたのは雑魚だけか」


 スーツの1人、顎の長さで銀髪を切り揃えた男が、手にしている獲物を振るい血をはらった。


「ええ。ですが、これ以上聖下から離れているわけにはいきません。戻りましょう」


 もう1人のスーツ。パーマのかかった長い黒髪の女は細い紐を丸く束ね、ジャケットの中に収納する。

 2人はそれ以上言葉を交わさず闇の中に消えた。


 後に残されたのは、裏地の青い司祭服カソックを着た2つの死体のみ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 駅でルチアとヴァレリーが抱擁するシーンや、釣りの下りのやり取りなど、何故だかノスタルジーのようなものを覚えて、良い雰囲気が演出されているように感じました。 私も釣りに行きたくなってしまい…
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