2-13 貧民街での遭遇 後編
ルチアが道を戻っていると銃声が大きくなってきた。
(やだ。こっちでドンパチやってるの? 巻き込まれたら面倒なんだけど)
ただでさえ余計な時間を食ったのに、これ以上の足留めは御免だ。となると、最悪、争っている横をすり抜ける羽目になりそうで、気分が重くなる。
司祭達に遭遇した路地まで戻ると、どこかで聞いた音と、聞き慣れた男の声が微かに聞こえた。
建物の陰から覗き見てみれば、昨日のピエロとジョエレが忙しなく走り回っている。
もしかしなくても諍いの現場はここで、騒ぎの犯人はあの2人だ。
「26日の祭りって、何をしでかすつもりだったんだ?」
足元で踊っているぬいぐるみを蹴飛ばしジョエレが尋ねた。ピエロは笛から口を離し、それをバトンのように回しながら返す。
「26日? ああ、あれか。鼠を増やして菌をばら撒かせれば市民の我慢がきかなくなって、ちょっとした騒ぎが起きるかなって予想してみたのが26日だったような?」
「こんだけ鼠が増えりゃそりゃ騒ぐだろうよ。そこにお前らが黒死病患者まで放り込んできたせいで、度を超えた大騒ぎになったじゃねーか」
「あの患者が僕達の仕込みだって気付いてる人いたんだ?」
ピエロが口笛を吹く。
「まぁさ。ヨーロッパは黒死病に何度も痛い目に合わされているから、火種を与えてちょっと煽ってあげれば、過剰反応を起こさせるのは簡単だよね」
「よそでやれ! 俺の客まで巻き込みやがって。ご婦人方の旅行の思い出が最悪になって、報酬が減ったらどうしてくれんだ!?」
「怒るのそこ? っていうか、僕優しくない? おもちゃを潰しすぎないように配慮してあげたんだよ? 本当の黒死病は1人だけで、他にばら撒いたのは食中毒菌にしてさ」
回していた笛をピエロがそのまま投げた。
ジョエレはそれを難なくかわしたけれど、笛はブーメランのような軌道を描いて戻ってきている。気付いていたのか、偶然か、ジョエレは見もせずそれを避け顔をしかめた。
「おい。笛吹いてねぇのに、こいつら独立して動いてんぞ。その笛吹く必要あんのか?」
そうして、ぬいぐるみの1つに勢いよく踵を落とす。すると、綿が詰まっている物からはしないはずの金属的な音が聞こえてきた。
彼が足をどけた下から、細い金属の骨組みと電子基板が露出してくる。
「あーあ。企業秘密が丸裸だね」
「ったくよぉ。無駄に綿と毛皮部分が分厚くて、破るのが面倒だったぜ」
ジョエレは露出した金属をもう1度踏みつけ完全に壊すと、もう1匹のぬいぐるみに視線を向ける。
「そいつもさっきから踊ってるだけだし、お前も全然本気じゃねぇよな。何しに来たんだ?」
「来た理由?」
ピエロがきょとんとした。そして、とても綺麗に微笑む。
「遊びに来ただけだけど?」
「本当か? お前たち普段、えげつない事ばっかりしてくれてるのにな」
「確かにそういうことが多いけどさ、仕事仕事じゃつまらないじゃん?」
今度は大袈裟に肩を竦めた。
「たまにはこうやって軽く混乱を煽るのも楽しいかなって。これなら、一応、聖府の信頼を落とすためとか、行政機能を混乱をさせるためとか、建前も用意できるし」
「遊びの範疇超えてるじゃねーか。遊ぶなら俺に迷惑をかけないように遊べ」
ジョエレがげんなりと吐き捨てる。
一方で、ピエロは歌うように言葉を紡いだ。
「否定しないけどね。あ、でも、君も中々に見所あると思うんだよね。僕と一緒に世界を引っ掻き回してみたりしない?」
ピエロがジョエレを誘うように手を伸ばす。その指先をジョエレの放った銃弾がかすめていった。
「世界なんぞどうでもいいが、お前らと一緒に行動することだけはありえねぇ。情報だけ吐いて、今ここで死んでけ」
「あーあ。酷いなぁ。まぁ、食中毒騒動は手を打たれちゃったみたいだし、あの娘にも逃げられちゃったから、ここら辺が引き時かな」
ピエロが大きな動作で恭しく一礼した。
「観衆の皆様には拙い芸をご覧頂きありがとうございました。またの公演の時にお会いしましょう」
そう言うと、球体を取り出し足元に投げ付ける。瞬時に煙が立ち昇りピエロの姿を隠した。煙が晴れると彼もぬいぐるみもいなくなっている。
もう騒動は収まったように見えたので、ルチアは路地へと出た。
「ジョエレ、こんな所で何してるの?」
平常を装って話しかける。
ジョエレは一瞬驚いた顔をしたけれど、次は優しい顔になり、最後にはそっぽを向いた。
「風呂上がりの散歩」
「散歩なのに銃持ってきて、使ったの?」
彼の手に握られたままの銃をルチアは指した。
「これはあれだ。えーと」
しどろもどろにジョエレが何かを言おうとする。けれども言い訳が思い浮かばなかったのか、疲れたように肩を竦めた。
「白百合を寄こしたピエロがお前に手を出しそうな気配があったから、慌てて追いかけてきたんだよ。そしたら案の定でくわすし」
「え。そうだったの? それなら先に教えてよ!」
ルチアは軽く両の拳を握った。
そんな彼女をジョエレは疲れた顔で見てくる。
「言ったところでお前が言うこときくタマかよ。そういや、そっちに行った連中もいただろ。あいつらどうしたんだ?」
「丁重にお帰りいただいたわよ?」
「そうか。まぁ、何も無かったならいいんだけどよ」
彼が疲れたように息を吐いた。そうして、ルチアの頭をぽんぽんと叩いてくる。
「あんまり無茶するな。特に、夜出歩く時は俺かテオを連れてけ。あのピエロが諦めたかも分かんねぇし、しばらくは夜の1人歩き禁止だ」
「えー。あたし子供じゃないのよ?」
ルチアは頬を膨らませジョエレを見上げた。
「夜間の女の1人歩きは年齢問わず危ないだろうがよ」
ジョエレが呆れたようにぼやいた。何か言いたそうにはしていたけれど、それ以上何も言わずに背を向ける。
「まぁいいや。帰ろうぜ」
「あ、待って」
ルチアは彼のシャツを掴んで引き止めた。少し後ろのめりになったジョエレが、ぐえっと、変な声をあげる。
「なんだよ急に。俺はもう腹ペコ大王だから、労働は断固拒否だぞ」
喉をさすりながら訴えてくる彼にルチアは笑いかけた。
「スパイス投げ付けちゃったから、また買いに行かなきゃなんないの。付き合ってくれるよね?」
「……。お嬢様と飯のためになら、誠心誠意働かせて頂きますですよ」
がっくりと、ジョエレが項垂れた。
家に帰り着いてみると、テオフィロが脱衣所から出てきたところだった。
髪が濡れていて、首からタオルを掛けている上に、ほんのりと湯気が出ている姿はどう見ても風呂上がりだ。
タオルで髪を拭いていた彼は帰ってきた2人を見て、
「お帰り」
とだけ言って、髪を拭く作業を続ける。
その姿にルチアの方が面食らってしまった。
「ちょっとテオ、シャワー浴びて大丈夫なの!? めまいとかしてない!?」
「あー。うん。大丈夫みたい。汗でベタベタで気持ち悪くてさ」
テオフィロは冷蔵庫からサイダーを取り出し、それを持ってソファに座った。
ルチアは彼の前に行き額を合わせる。
「信じられない。もう全然熱くないんだけど」
「そうなんだ? それより俺、腹減ったんだけど」
テオフィロが腹をさすった。
「俺も腹と背中がひっつきそうなんだがな〜。ま、できるのを待つ間にシャワー浴び直してくるわ」
ジョエレは軽い調子でそんなことを言いながら脱衣所へ向かう。途中でクシャミが響いた。
音の方を見てみると、ジョエレが鼻をさすっている。
「ジョエレ風邪引いたんじゃない?」
「風邪って、人に移すと治るとも言うよな」
「テオじゃあるまいし。俺は風邪を移されるほどヤワじゃねーよ。きっと、ツアーのご婦人達が俺に会いてえって噂してんだぜ……ックショイ!」
再度大きなクシャミをして彼は脱衣所へと消えていった。
翌日、ジョエレが風邪の症状を呈していたのは言うまでもない。




