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堕ちた枢機卿は復讐の夢をみる  作者: 夕立
Ⅱ.ヴァチカンの笛吹き男
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2-7 クーポラ

 大聖堂入り口で持ち物検査と服装検査を抜けると、ジョエレは迷いのない足取りで玄関から右側へ向かった。


ドーム状天井(クーポラ)に登るのはいいんですが、結構な段数の階段を登らないといけないんですよね。心臓病や慢性病をお持ちの方はいらっしゃいますか?」


 回廊を歩きながら尋ねる。

 婦人の誰も名乗り出ない。

 それだけ確認した彼は大聖堂の説明をしながら奥へ進んで行き、クーポラ入り口のチケット売り場で足を止めた。


「途中までエレベーターで上るルートと、最初から階段を登るルートがあるんですが」


 ジョエレが振り向く。


「初日から疲れ過ぎてしまっては困るので、今日はエレベーターで上りましょう」


 笑顔でエレベーターを指した。すると婦人達から声が上がる。


「私階段で登りたいわ。それに、200段ちょっとしか変わらないのでしょう?」

「私もせっかくなら」


 1人が言い出すと、後から数人も続いてきた。

 そんな婦人達に彼は困ったような顔を向ける。


「どうぞと言いたいところですが、俺としては、皆さんに同じルートで登ってもらいたいと思っています。数人だけ違う道を進むと、後日思い出話をする時に、寂しい思いをする方が出るかもしれないので。でも、それだと、階段ルートがどうなっているのか気になる方もいるでしょうから」


 ジョエレがルチアとテオフィロを見てくる。顔に浮かんでいるのは、少し前に見た胡散臭い笑顔だ。


「この2人に階段で登ってもらいます」

「はぁっ!?」


 ルチアとテオフィロは仲良く叫び声を上げた。それを無視してジョエレが話を進める。


「階段側が気になる方は後で2人に様子を聞いて下さい。2人の方が登るのに時間は掛かりますが、彼らは若い。きっとすぐに追いついてくるでしょうし」

「ちょっと、何勝手に決めてるのよ!?」

「はいはい。ってことで、お前達はこっちな。ほれチケット」


 そう言って彼は2人にチケットを押し付け、階段の方に押しやった。


「2人共頑張ってね。後でお話し聞かせてちょうだい」


 タチが悪いことに、婦人達から声援まで送られてきている。ルチアとしては楽にエレベーターで上りたいのだが、この空気で拒否なんて出来るはずがない。


「わかったわよ! 登ればいいんでしょ、登れば! 行きましょテオ!」


 半分やけくそで足を踏み出した。


「こうなったら、ジョエレ達より先に頂上まで登ってやりましょ!」

「ん。ああ」


 横を登りながらテオフィロが頷く。

 増えるのは高々200段ちょっと。それくらい大したことない。

 その時のルチアは、まだ気楽にそんなことを考えていた。




 それからしばらく後。

 壁に身体を預けてルチアは荒い息を吐いた。


「大丈夫?」


 少し先を登っていたテオフィロが振り返る。彼はしばらくそこで待っていてくれたけれど、ルチアが動かないでいると引き返してきた。そして、手を差し出してくる。


「他にこっち登ってくる人いないみたいだし、少し休んでく? 頑張るなら手を貸すけど」

「……ん。ありがと」


 ルチアは壁から身を離し彼の手を掴んだ。

 本音は休みたかったけれど、登頂が遅くなればジョエレにからかわれそうで気に入らない。誘惑に蓋をして足を動かす。


「この階段、絶対おかしいよね」


 息を切らせながらぼやいた。


「そうだね」


 テオフィロの苦い声が返ってくる。

 そう、この階段がおかしいのだ。

 数字の上だけなら、階段のみで頂上までに登る段数は551段。ジョエレ達とは231段しか変わらないはずなのだ。

 しかし、1段の数え方がおかしい。

 さっきからなだらかな上り坂が続いているのだけれど、これだけ歩いて登っても、段があるまでは1段と勘定されないようなのだ。その上石階段と金属階段が入り乱れ、1段あたりの段差も安定していない。踏石が傾いているのは嫌がらせだろうか。

 とにかく、疲れるなという方が無理な作りなのだ。


 お陰でルチアは疲労困憊。引っ張ってくれているテオフィロはまだ余裕そうだが、薄っすらとシャツに汗が滲んでいる。


「ジョエレってば、最初からあたし達をこっちに登らせるつもりで、お昼減らしとけって言ったのね」


 喋ると無駄に疲れるけれど、愚痴を言わずにはいられない。

 実を言うと、食べてすぐに強度の運動をしたせいで気持ちが悪い。身体も重い。ジョエレがいつもより食事量を減らしていた理由が大いに理解できて、それがまた悔しい。


 テオフィロは返事しなかったけれど、少しだけ、握る手に力を入れた気がする。


(にしても、いい感じに育ってきたわよね)


 前を登る青年を眺めた。

 貧民街でテオフィロを拾った時、彼はとても細かった。目は落ち窪んでいたし、頰だってこけていた。それが今では、全身に満遍なく筋肉が付き、目鼻立ちの整った好青年になっている。

 ジョエレがジムに行く時、テオフィロも連れていってくれているのが大きいのだと思う。ルチアが気合を入れて料理を提供してきた効果だってあるはずだ。

 若干ジョエレ菌に感染している部分は残念だが、それを差し引いてもいい拾い物をしたと思う。


「あ。ルチア、ほら、終わりが見えたよ」


 テオフィロが前を指しながら振り向いた。けれど、ルチアを見て不思議そうな表情になる。


「どうかした?」

「ううん。やっと一段落ね」


 ルチアは首を小さく振り笑顔を浮かべる。

 彼の指の先に、差し込む光と青い空が見えた。




 中腹のバルコニーに出てルチアは背伸びした。そして、思いっきり声を出す。


「つ、い、たぁ〜!」

「思ったより早かったな。お疲れさん」


 そこに、今はあまり聞きたくない声が聞こえてきた。

 首を回すと、笑顔のジョエレが手を叩いている。彼の後ろで拍手している婦人達も、どこまでも笑顔だ。


「若い2人でもこの疲れようだと、私達じゃここで引き返さないといけないくらい疲れていたかもしれないわね」

「本当。エレベーターでここまで登ってきて正解だったわね」


 婦人達は口々にお疲れ様と声をかけてくれる。その横で、ジョエレは胡散臭い笑みを浮かべっぱなしだ。


(こいつ、婦人達が階段ルート登らなくて良かったって思うように、わざとあたし達に登らせたわね)


 ありありと見えてしまった彼の意図に、ルチアの胸に怒りが湧く。

 婦人達の好感度を下げないために、行動を誘導した事実を目隠ししたのだろうが、こちらの身にもなって欲しい。

 けれど、旅券に近付くためには彼の行動は正しい。

 目的のために、怒りは笑顔で覆い隠した。


 まだ息の荒い2人の元にジョエレがやってくる。


「お前達ここからが本番だ。あと320段気合入れてけ」

「まだ半分も登ってないのかよ」


 げんなりとテオフィロが返した。ルチアだって気持ちは同じだ。疲れが酷い分、もっと気分は悪いかもしれない。


「お前達が来るのここで待ってたんだからさ、この先は一緒に楽しく行こうぜ」


 なのに、ジョエレが調子のいいことを言うものだから腹が立った。ルチアは何の容赦もせず、彼の足の甲を踏み抜く。


「いってぇええ!」


 ジョエレが片足飛びをしながら喚いたが、ルチアは冷たく一瞥するだけだ。


「痛くないでしょ。今日ヒールじゃないんだから。ほら、大袈裟に痛がってないで行くわよ」


 ジョエレの腕を引いた。すると、何事も無いかのように彼は歩きだす。


「やっぱ何とも無いじゃない」

「あ」


 阿呆な反応を見せたジョエレの後ろで婦人達が笑っていた。




 どうにかこうにか登頂し、ルチアは狭いバルコニーに出た。

 火照って汗だくの身体に風が気持ちいい。それに、ここから見える景色はとても綺麗だ。

 ヴァチカン中心区画の建築物は概ね極薄い茶色に揃えられている。それが、所々に植えられている緑と空の青、雲の白と共に描く絵画も悪くない。

 そう思ったのは婦人達も同じようで、先ほどまではぐったりしていたのに、ここに着いた途端に疲れなど忘れたかのようにはしゃいでいる。


「お疲れ様。帰り降りれるだけの元気残ってる?」


 景色を堪能しているルチアの横にテオフィロが来た。そうして、なんとも心配そうに見てくる。


「テオもお疲れ様。なんかね、この景色見てたら疲れも吹き飛んじゃった」


 ルチアは笑い返した。彼も優しく笑ってくれる。


「ルチアはさ、ここ、登ったことなかったの?」

「うん、初めて。意外だった?」


 ルチアが頷くと、テオフィロが意外そうな顔になった。


「俺なんかと違って、ルチアは来たことあるんだと思ってた。ジョエレだって、あれ、確実に登ったことある奴だし」

「来慣れてる感じだったよね。デートででも登りまくったのかな?」

「全部違うひとと?」

「ありそう」


 2人で顔を見合わせ、小さく吹き出した。

 ルチアは顔を景色の方に戻し空を見上げる。


「あたしね、昔はずっと身体が弱かったの。だから、家を出たことだってほとんど無かった」


 なんとなく右手を伸ばす。その手は何も掴まなかったけれど、空の一部に触れられた気がした。


「そうなんだ? 今は元気だよね?」

「まぁね。この景色が見れたから、元気になっていいこともあった、かな」


 テオフィロの方は見ずに呟く。

 ルチアが微妙に顔をしかめたことに、彼は気付いただろうか。



 ◆


 観光客用の閉館時間がとうに過ぎた深夜。

 クーポラの外縁に1つの人影が腰掛けていた。


 もう少しで真円になる月を背負い、派手なピエロは被っている帽子を脱ぐ。その下から艶やかで長い黒髪がこぼれた。


「1284年、聖ヨハネとパウロの記念日6月26日。色とりどりの衣装で着飾った笛吹き男に、ハーメルン生まれの子供達130人が誘い出され、丘近くの処刑場でいなくなった」


 歌うように彼は呟いた。そして、静かに闇に沈む街並を眺める。


「ヴァチカンからも、誰かいなくなるのかな?」


 薄く開いた唇から漏れた控えめな笑いが風に流れた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] イタリアどころか、そもそも海外に行ったことすらありませんが、アサシンクリードやり込んで散々上りまくってたお陰で、クーポラとか何となく懐かしいような気分になりました。(笑) [一言] ちな…
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