2-4 旧スイス領からの客人達 前編
翌日、ジョエレ達3人は職業紹介所に行った。
ここでの仕事の受注は端末で仕事を探すことから始まる。受けたい仕事が決まったら整理番号を発行してもらい、個室になっている受付で受注する。
一部の人間はそこで裏の仕事も受けられるのだが、一般には知られていない話だ。
いつもなら実入りのいい裏の仕事を受けに直受付に行ったりするのだが、さすがに今日はそんな気分になれない。ということで、3人は並んで端末を操作している。
(つっても、めぼしい仕事ねぇなぁ)
ジョエレはやる気なく画面をスクロールさせた。
"熊"から26日に気を付けろと言われているので、それに関係するか、響かない仕事を受けたいのだが、世の中そんなに都合良くはない。
半分惰性で指を動かしているジョエレの横で、
「ねぇ、これいいんじゃない?」
ルチアがはしゃいだ声を上げた。画面を見ながら、両脇にいる男2人を叩いてくる。
「どれよ?」
「どれ?」
ジョエレとテオフィロも画面を覗き込んだ。
『急募。団体のヴァチカン観光の案内。期間:6月20日から1週間ほど』
と、仕事内容の要約部分には書かれている。
「いいんじゃね? お前好きそうだし」
興味を引かれなかったので、ジョエレはすぐに自分の端末に顔を戻した。そんな彼の腕をルチアが掴む。
「もう、ちゃんと見てよ。3人で受けるの!」
「んあ?」
「ほら、ここよ、ここ」
彼女は端末を操作し、業務詳細を拡大させる。
『旧スイス領ヴォー州の婦人20人ほどの団体です。イタリア語しか話せなくても問題ありませんが、フランス語を話せる方の場合は契約料を上乗せします』
そこまで読んで、ああ、と、ジョエレは納得した。
「ジョエレ、フランス語話せたよね?」
つまるところ、ルチアは契約料上乗せのためにジョエレを巻き込みたいのだ。テオフィロも誘ったのは、そちらの方が知らない連中と仕事をするより気楽だからだろう。
仕事の定員は3名で、未だ契約者は0となっている。今なら身内だけで埋められる。
「まぁな。フランス語、ラテン語、ドイツ語、スペイン語、英語、何でもござれだ」
「何でそんなに色々話せるんだよ?」
不思議そうにテオフィロが尋ねてきた。ジョエレは顎をさする。
「そりゃお前、決まってるだろ。どこ出身の女性だろうとナンパするためには、それくらい話せなきゃな」
にかっと笑いかけてやった。
「最っ低。不潔」
そうしたら、ルチアから凍てつく一言が飛んでくる。そんな彼女の前の画面を指しながらジョエレも言ってやった。
「お前だって俺のこと言えんだろ。本当の目的はここだろうが! こっそりおいしい思いしようとしやがって。お前の方が汚ねぇぞ!」
指さした先にはこう書かれている。
『ご婦人達に気に入られれば、ヴォーでの休暇をプレゼント』
しおらしく気まずそうにすれば可愛いのに、開き直ったのか、ルチアはない胸を張った。そうして、胸の前で腕を組んで言ってくる。
「そうよ。悪い?」
「いや、悪かねぇけどよ」
そんな風に言われてしまうとジョエレの方がたじろいでしまう。
「仕事ついでに旅券も貰えれば最高じゃない! 目標3人分!! ってことで、2人とも頑張ってね」
ルチアが悪魔の微笑みで男2人を叩いた。
◇
6月20日、朝。
3人はテルミニ駅の前で客を待っていた。
ほどなくして、大荷物を抱えたフランス語を喋る婦人達が出てくる。
「おはようございます、ご婦人方。案内の依頼を出されたのはあなた方でお間違いありませんか?」
ジョエレは彼女らに近寄り笑いかけた。
驚いたように集団が一瞬黙る。けれど、すぐに、先頭の面長な女性が流暢なイタリア語で返してきた。
「ええ。あなたが仕事を引き受けて下さったガイドさん?」
「はい。俺がジョエレ・アイマーロ。彼女がルチア・マラテスタ。こっちがテオフィロ・バンキエーリです。こちらに滞在中俺達3人がお世話させて頂くので、よろしくお願いします」
ジョエレは軽く頭を下げた。後ろのルチア達2人も頭を下げる。
「こちらこそよろしくね。私が代表のヴァレリー・ワトー。急なお願いだったのに、引き受けてくださる方がいてくれて助かったわ」
ヴァレリーが笑みを返してきた。
「それじゃぁ、ガイドさん。まずは予約しておいたホテルに案内して頂けるかしら? ほら、私達1週間分の荷物を持っているから大荷物でしょう? 早く身軽になりたくて」
そう言って彼女は大きなトランクケースに視線を落とす。確かに大荷物で、それは彼女に限った話ではない。
「そうですね。では、まずはホテルにご案内します」
そう言ってジョエレは身を翻した。
ホテルについたら、ロビーへの集合時間を決め解散する。ヴァレリーだけは、今後の予定を詰めるために、早目に降りてきてくれるように頼んだ。
「お前達、あのご婦人方がこの観光スケジュールに耐えられると思う?」
ロビーの一角にあるラウンジで、ジョエレは机の上に薄いファイルを投げた。
それには彼女達が提示してきた旅行計画が書かれている。どの日にも予定がびっちりと詰め込まれていて、ジョエレが消化するとしても疲れそうな内容だ。
ざっと見た感じ、婦人達の年齢は5、60代に見えた。
ヴァチカン中心部とローマ地区を巡るには結構歩く必要がある。それに彼女らが耐えられるのか。と問われれば、微妙と答えざるをえない。
ルチアとテオフィロもファイルに視線を落とし、難しい顔をしている。
「無理じゃない? 今日の分だけなら強引に消化できそうだけど、翌日以降は疲れが溜まってて動けなさそうに見えるけど」
ルチアはファイルをめくり、表情をさらに渋くする。
「テオに上手いこと説得してもらうとかどうかな?」
「なんで俺?」
「若い男の子には弱いかなって?」
「俺よりジョエレくらいの歳の方が好かれるんじゃねーの?」
「俺は迫られれば、女性の年齢は問わないぜ?」
「最低。死ねばいいのに」
3人で顔を突き付けぼそぼそ話す。
「あら、そんなに顔を近付けて話すだなんて、仲がいいのね」
そこにヴァレリーがやってきた。彼女は柔らかく微笑むと、空いている席にすとんと座る。机の上に置かれたファイルにちらっと視線を落としたけれど、すぐにジョエレの方を向いた。
「初日からこんなお願いをするのはどうかと思うのだけど、予定を変えてもらってもいいかしら?」
「予定変更ですか?」
減らしてくれる分には願ったり叶ったり。
ジョエレが先を促すと、ヴァレリーは身を乗り出し気味に話しだした。
「少し前に、七つ子の猫ちゃんを飼っているご婦人の特番があったのをご存知かしら? できればあの猫ちゃん達を見たいねって話が出て」
「知ってますよ。ですが、彼女も猫も先日火事で亡くなりましたが」
「そう! そうなのよ。もう、本当に残念だったわ。だからね、できればお花だけでも供えてあげたいわねって話になって」
ヴァレリーは元気なく肩を落とし、上目遣いにジョエレを見てくる。
「駄目かしら?」
「予定をこちらで組み替えても?」
「ええ。全然問題ないわ。むしろ、私達ではよく分からないから、組んでもらえれば助かるくらい」
彼女が頷いた。ジョエレも頷き、机の上のファイルを丸め、ズボンの後ろポケットに突っ込む。
「了解です。それじゃぁ、最初の行き先をヴァチカン美術館からローマ地区方面の美術館に変えて、その後花屋に寄ってベアルツォット宅に行きましょう。後は、時間を見ながら予定表の中から適当に選んでいきますね」
「ありがとう! 融通のきくガイドさんで助かったわ。ああ、私、皆にこのことを伝えてきたいから、失礼してもいいかしら?」
ヴァレリーが顔を綻ばせ立ち上がった。
「どうぞ。ワトーさんも、他の皆さんと同じ時間に集まってもらえれば結構ですので」
「ありがとう。それじゃぁ、また後ほど」
朗らかに挨拶をし、彼女は足早に去っていった。
「ジョエレ」
ルチアが呼ぶ。
ジョエレが振り向くと、彼女は親指を立て微笑んでいた。
「いい対応の仕方だったわ。伊達にナンパで女の人と触れ合ってるわけじゃないのね」
「あの人、ジョエレを窓口だと認識してるっぽいから、団体様との交渉全部よろしく」
「は? おい、そもそも仕事を受けようって言いだしたのはルチアだろうがよ。なんで若者どもが働かねーで、俺を働かせようとしてんだ!?」
「いいじゃない。大好きな女の人に囲まれるお仕事なんだし。あ、すいません、カフェラテ3つ」
話は終わりとばかりに、ルチアがウェイターに飲み物を注文した。
「俺パンも欲しい」
テオフィロが付け足す。ついでとばかりにルチアがジョエレを見た。
「ジョエレもいる?」
「あー。食っとくかな。時間あるし」
「じゃ、コルネット2人分とクッキーまで」
注文を聞き終わるとウェイターは去っていき、すぐに頼んだ物がやってきた。それで腹を満たし、食べ終わった後はだらだらと時間を潰す。
そうこうしていると、騒がしいフランス語の集団がロビーに降りてきた。
「んじゃま、行きますかね」
その姿を認め、3人は席を立った。