2-3 たるみとゆとり
◆
家に入る前からルチアが仕事を押し付けてきた。
(ま、屋上でバーベキューってのは乙だから、いいんだけどな)
炭で焼いた肉というのはガスで調理した物と一味も二味も違う。いつもなら食事時に飲むのはワインだが、今晩はビールだ。
今から楽しみで、ジョエレは階段を1段飛ばしで登る。
「お帰りジョエレ。じゃ、コンロ出しといてね」
屋上に辿り着いた早々ルチアに言われた。仕事を申し付けた彼女は室内へと入って行く。
「で、これ、どこに置くの?」
バーベキューコンロを抱えたテオフィロが聞いてきた。
「そこのライトの下辺りでいいんじゃね?」
ぽつんと立ったスタンドライトの周辺をジョエレは指した。コンロを運んでもらっている間に、照射角度が程良くなるようライトをいじる。
そうして、仕事の出来を確認するためスイッチを入れた。
「んお?」
けれど、明かりが点かない。
「どうしたんだよジョエレ」
ジョエレがスイッチを入れたり切ったりしていると、テオフィロが不思議そうに見てきた。
「いやな。電気が点かねえんだよ。この前球交換したはずなんだけど」
接触不良かと思い、電球を1度外し、またはめる。しかし明かりは点かない。電源が悪いのかと電線を辿っていくと、途中で千切れていた。
「ここが原因か。てか、雨が降ってたりしたら危なかったな」
「どうすんの? それ」
「これくらいなら陽が沈み切る前に交換できるだろ。テオ、ちょっくらここの電源のブレーカー落としてきてくれよ。間違っても台所のだけは落とすなよ。ルチアに角が生えるかんな」
「りょーかい」
返事をしたテオフィロが室内へ行く。
その間にジョエレは物置代わりのプレハブに入った。置かれたチョークを手に取り、屋上の床に数字を書いていく。
この家は建屋周辺に庭がない。代わりに屋上が庭になっている。とはいっても、芝生もなければ庭木もない。モルタルで塗りならされた空間に、物干しと小振りなプレハブが置かれているだけの空間だ。
だが、それで充分だと思う。
ガーデニングに興味のない連中しかいないこの家で庭木は邪魔なだけだし、殺風景なほど物が無いお陰でバーベキューをする空間が確保できている。
モルタル塗りなので、ちょっと何か書きたい時も黒板いらずだ。
電線を設置し直す部分の距離を測り、ついでに電線の経も測る。それを数式に入れ込み計算を続ける。欲しい数字が出てきたところでテオフィロが戻ってきた。
ジョエレの方に寄ってきた彼は、足元に書かれた計算跡を見て顔をしかめる。
「何これ」
「どうにも鼠に齧られたっぽかったから、いっそ上げようかと思ってな。そのための電線が何メートルか計算してた」
「電線なんて必要な分だけぴんと張って、切ればいいんじゃねーの?」
「何かに沿わすならな」
ジョエレは傷付いた電線を外し、丸めて倉庫に投げ込んだ。代わりに、新しい電線を宙に浮かせた状態で張る。
「なんか弛んでるけど?」
「わざと弛ませてるんだよ」
「は?」
テオフィロが怪訝な顔になった。
ジョエレは電線を揺らし笑う。
「弛ませとけば、こんな風に衝撃がきても流せるだろ? 強風が吹いたり雪が降っても、線にかかる荷重を逃がせるんだよ。でも、これがピンっと張ってるとだな」
電線を一時的に引っ張り、擬似的に弛みを無くしてやる。
途中でルチアがやってきた。
「あれ? まだ机出てないの?」
「ああ、ごめん。ちょっと待って」
テオフィロが物置から折り畳み式の机を出し、バーベキューコンロの近くに設置した。手の空いた彼にルチアは食材を盛った皿を渡し、自分はテーブルクロスで机を覆う。
整えられた机にテオフィロが皿を置いた。
「で、ジョエレ、何?」
「うん? ああ、こんな風に遊びが無いとだな、強い力が掛かった時に切れやすいんだよ。人と同じだろ? 俺みたいに常にゆとりを持っとけば、早々動じないからな」
「ジョエレはもうちょっと緊張感持った方がいいと思うけど」
言い置いて、ルチアは再び室内へと消えて行った。その後ろ姿をジョエレはしばらく見送り、テオフィロの方を向くと、彼女の消えた方向に後ろ指をさす。
「あいつは余裕が無さ過ぎだ。お前はゆとりを持って生きろよ」
「ルチアに聞かれたら全力でキレられそうだけど」
「だな。考えただけで恐ろしいぜ。頬を膨らませながら、ビールあげないんだからね! とか言いそうじゃね?」
「言いそう」
くだらない話をしながらテオフィロが折り畳み式の椅子を出していき、ジョエレは電線の取り替えを終えた。
倉庫に工具を片付けたついでに炭箱を出し、バーベキューコンロに置いていく。いい感じに炭を置けたので、着火しようと上着のポケットに手を突っ込んで、目的物が無いのを思い出して舌打ちした。
「テオ、火ぃ持ってねぇか?」
「無いよ。ジョエレいつもジッポ持ってんじゃん?」
「昨日ジーナんちで捨ててきたからな。そこいらで売ってる安物だから惜しくはねぇけど、無いと不便だな」
ぼりぼりと頭を掻く。おもむろに炭を1本取り台所に向かった。
「あれ? ジョエレどうしたの?」
台所で作業をしながらルチアが尋ねてくる。
「火を調達にな」
ジョエレはガスコンロをつけ炭をかざした。先端が赤くなったら火から下ろし、急いで上へ向かう。手が熱くなる前にバーベキューコンロの中に突っ込んだ。
「ミッションコンプリート。危険な戦いだったぜ」
爽やかに笑顔を浮かべる。汗など1滴もかいていないが、拭うように手を額で動かした。
「はいはい、お疲れ様。それはいいんだけど、そこ邪魔だから、ジョエレどいてくれない?」
背後からつれない調子でルチアが言う。脇では、テオフィロが荷物満載の盆を持っていた。
ジョエレがどくと、テオフィロは盆を机の上に置き、一緒に持ってきていたラジオのスイッチをいれる。陽気に視聴者リクエストらしき曲が流れだした。
「分かってるじゃねーかテオ。飯の時にはなんか音が欲しいよな」
「そう言うと思ってさ」
「ジョエレの習慣もすっかり覚えられたものね。はい、ジョエレはビールでしょ? あたしとテオはコーラね」
そう言って、ルチアが冷えた瓶を配っていく。
「ちょっと晩ご飯には早いけど、暗くなってきたしいいよね?」
電灯のスイッチを入れながら彼女が尋ねてきた。
「おー。気にしないぜ。美味けりゃなんでも有りだ」
ジョエレはいそいそと網に肉を乗せる。
「ちょっと、野菜も焼いてよ!」
「まずは肉だろうが」
「一緒に焼き始めないと食べたい時に食べられないじゃない! 野菜、火が通るの遅いんだから」
ルチアにトングを奪われ、網の空いている場所に野菜を敷き詰められた。
「2人とも、ちゃんと野菜も食べるのよ」
しかも、釘までさしてくる徹底ぶりだ。
「お前は母ちゃんかよ」
「返事は?」
「はい」
逆らうだけ労力の無駄なので、男2人、素直に返事をする。
(まぁ、返事だけしといて、肉だけ食べれば円満解決っと)
ジョエレはそう企み、肉ばかり取って食べていく。すると、無言でルチアから取り皿に野菜を突っ込まれた。テオフィロも同じことをされているので、ジョエレと同じ作戦を取ったに違いない。
結果は惨敗だったわけだが。
冷戦が繰り広げられている間にラジオ番組がニュースに変わった。いつもと同じような内容が流れる中、その話題が出て3人のお喋りが止まる。
『昨夜遅くに起こったジーナ・ベアルツォットさん宅の火事ですが、消防は事故と断定しました。最も燃え方の酷かった場所に動物の骨片らしきものがあったことから、ペットが何らかの理由で火事を引き起こしてしまったのではないかという見解です。彼女は数日前に某番組で取り上げられたばかりであり、死を悼む声が――』
誰も何も言わず、黙々と口だけを動かす。
「事故にされちゃったんだ。ジーナさんの件」
ニュースがひと段落した頃にルチアがぽつりと零した。
「みたいだな」
「こんなのでいいのかな? あたし達、本当のことを証言しにいった方が――」
彼女が腰を浮かす。
そんなルチアにジョエレは冷めた視線を送った。
「死んだのが知り合いだったら真実を告白しに行くのか? 今回の件と、裏の仕事で殺すのと何が違うんだ?」
「でも」
「もう混ぜっ返してやるな。俺達が余計なことを言えば、彼女は化け猫を作った疑いを掛けられるんだぞ? けど、今のままなら、猫好きの婦人として逝ける」
ルチアは視線を落とし、しばらくして黙って座り直した。その足元を1匹の鼠が走っていく。
「あ、鼠」
「こんな時にも出てくるのかよ!?」
「なんか最近多いよね。外でもよく見かけるもの」
「うちだけじゃないなら、鼠獲りくらいじゃ効果なさそうだな」
やれやれとジョエレは鼠の姿を追う。姿が見えなくなると夜空を見上げ呟いた。
「ま、いつまでもジーナの事を引きずってもいられねぇし、明日になったら仕事受けに行かねえとなぁ」
「うん」
ルチアとテオフィロが小さく頷いた。