6-16 終幕
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ジョエレは手に持った爆弾を床に置き《光の剣》を突き立てた。稼動停止を確認して、ゆっくりと刃を引き抜く。
横たわるアウローラは幸せそうな顔をしていた。痛かっただろうに、彼女はそれをおくびにも出さずよく頑張ってくれた。
目が少し開いたままだったので閉じてやると、まるで眠っているようにさえ見える。
「あーあ。チェネレントラ殺しちゃって。これじゃ劇は続行不可能だね」
肘掛に頬杖をついた状態でユーキが笑う。
観客達の空気は凍りついていた。
「続行不可能でなどないさ」
ジョエレは眠るアウローラを抱え舞台前方へと進む。
「この歌劇は、チェネレントラが王子と結婚しさえすればハッピーエンドの条件を満たすはずだ。生死は問わずな」
チェネレントラと王子の婚約は成立している。あとは、王子役のジョエレが、死んだチェネレントラと結婚すると宣言するだけでいい。
冥婚は法律に保証された婚姻形態だ。文句は言わせない。
愛憎乱れる話の多い歌劇の中で、チェネレントラは優しい物語だった。だからかアウローラは特に好んでいて、よく一緒に観た。
ほとんど寝ていたにも関わらず、中身をしっかりと覚えてしまうほど。
お陰で、こんな強引な終わらせ方を思いつけた。
「亡くなってはいるが、私は彼女を妻として迎えよう。臣も民も、彼女を王妃として扱うように」
臣民に布告するようにジョエレは言った。
会場は静まったままだ。
「これで劇はお終いだ。楽団、フィナーレを」
空気なんて無視して、会場の隅へと逃げていた楽団にジョエレは声をかける。彼らは慌てて曲を奏で始めた。
しばらくオーケストラだけが流れる。そんな中1人が拍手を始めた。
それはディアーナ。
感情を感じさせない乾いた音を響かせている。
そうしているうちに、思い出したかのようにぱらぱらと拍手が増えた。
「なんかさー。その終わり方ってズルくない?」
面白くなさそうにユーキが鼻を鳴らした。
「それにさ、彼女、君の事ベリザリオとか呼んでたよね? まさか本物? だとしたらちょっとズルだよね?」
「はっ。俺がベリザリオ?」
嘲笑しながらジョエレはアウローラを床に降ろした。
「あんな糞と一緒にするな。演じてやっていただけだ。だいたいあいつ、生きてたら60近いだろうがよ」
そのまま舞台を降りユーキのもとへ向かう。途中で短剣を槍の形態に変えた。
「なぜアウローラのクローンを作った。なぜ、あんなにも鮮明な記憶を持たせられた」
席に座ったままのユーキの首筋ぎりぎりに槍を突き立てる。槍から溢れる冷気で椅子の布張りがぱきりと凍った。
それでもユーキは平然と座ったまま、ジョエレを上目遣いに見てくる。
「クローンを作ったのは僕じゃないよ。何を思ったのかエアハルトが作っててさ、"記憶は細胞に宿る"とか、しばらく毎日ぶつぶつ言ってたんだよ。近くでそんなやられると、ほんとウザいよね」
本気で嫌だったようで、ユーキが眉根を寄せた。
"記憶は細胞に宿る"――古くから幾度となく言われながら、結局証明されていない説だ。
臓器を移植された人物が臓器提供主の好んだ物を好きになったり、知らないはずの記憶を有するようになったりする。そんな事象が稀にあって、記憶は脳の海馬だけでなく、細胞に直接刻まれているのではないか、という学説がある。
その考えに従って記憶を蘇らせたのだとしたら、それはそれで問題だ。
彼女の記憶は亡くなる直前分まであったように思えた。となると、複製元となる原細胞の回収は遺体からになる。
遺体はとうの昔に焼却されたというのに、どうやって手に入れたのかが謎だ。
「どうやってあいつの細胞を手に入れた」
「んー? オリジナルの彼女を殺したのエアハルトらしいよ? だから、ごたごたに紛れて拝借しといたとかなんとか?」
槍を握るジョエレの力が強くなって、突き立てた時より深く椅子の布地に食い込んだ。
凍れ、凍れ。心よ凍れ。
ともすれば暴走しそうになる心に命じる。
冷気を操る武器は怒りに反応するように発する冷気を強めていっているのに、肝心の心を冷やしてくれない。
「でもさぁ。記憶の定着は上手くいかないし、培養液から出した途端に死んだりで、踏んだり蹴ったりだったみたいだよ。それをちょっと嗤ってやったらさ、僕に棄ててこいとか言ってくれちゃってさー」
「それで棄てにきたのか?」
「そういう事。でもさ、ただ棄てるだけだとつまんないから、死体にちょっと手を加えて悪戯をね。君らも結構楽しめたでしょ?」
愉快そうにユーキが笑った。
ジョエレは無言で槍を引き抜く。
「そういえば、勝負は俺の勝ちだな。だが、お前はお縄になんてならんくていいぞ」
「へぇ。なんで?」
ユーキが相変わらずの上目遣いでジョエレを見てくる。
「俺がお前も殺すからな」
予備動作無しでジョエレは槍を突き出した。しかし、先程まで座っていたはずの場所にユーキはいない。それどころか、死角から迫る気配を感じて反射的に槍を持っていくと、ユーキのステッキと打ち合う形になった。
「いきなりって酷いよね?」
「やかましい! お前が俺に美人さんを殺させたせいで激しく胸糞悪いんだ。責任とってけ!」
「君ってさ、僕から組織の情報聞きたがってなかったっけ? 死んじゃったらさすがの僕も喋れないけど?」
「下に転がってるガラクタからデータを取るから、てめぇは用無しだ」
力尽くでステッキを押し返し、体勢を崩したユーキの横っ腹に横薙ぎの一撃を叩き込んだ。
「がっ」
ユーキが顔をしかめる。
上手く一撃が入ったので、ジョエレはすかさず槍を突き出した。相手も回避しようと動いたけれど、槍が左肩を捉える。そこから一気に冷気を流し込んだ。
「駄目よジョエレ! 殺しては駄目!」
客席からディアーナの制止が聞こえた。けれど、止める気などさらさら無い。
「アウローラは2度殺された」
それも苦しんで。
2度目、手を下したのはジョエレだ。
その選択をさせた目の前の男が憎かった。
《極冷の槍》の出力を上げてやると、突き刺した周辺から凍りついていく。
「そんな人でも、殺せばあなたが刑務所行きなのよ!!」
「うるせぇ! 豚箱くらいいくらでも入ってやるよ!」
「ルチアとテオフィロはどうするつもり!?」
一瞬、意識がユーキから逸れた。
それを見透かされたのかユーキが蹴りつけてくる。当たりそうな場所が痛めている箇所付近だったので、ジョエレは仕方なく槍を引き抜きながら退がった。
再度切り結ぼうとすると、
「逃げろ、ジョエレ・アイマーロ!」
切羽詰まったバルトロメオの声が聞こえた。その慌てぶりにジョエレが振り返ってみると、視界に影が落ちている。
「え?」
それが何かと認識する前に、猛烈な横殴りの力に弾き飛ばされた。