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堕ちた枢機卿は復讐の夢をみる  作者: 夕立
Ⅰ.老婆と7匹の猫達
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間話 一室にて

 ◆


「ねぇ、エアハルト。今報道されてる家って、君がつい最近まで実験場所にしてた所じゃないっけ?」


 名を呼ばれ、上半分だけの銀縁眼鏡を掛けた男は振り返った。

 テレビ画面では、燃え盛る家屋の前でリポーターが騒がしく何かを訴えている。家自体はほとんど燃え落ちていて判別が付かないが、門構えなどはジーナ・ベアルツォット宅に見えなくもない。


「そうかもしれんな」


 短く返事をし、データをまとめる作業に戻った。


「かもしれんな。って、冷たくない? つい数日前まで、あんなにご執心だったのにさ」


 椅子のキャスターを転がして青年が近寄ってきた。ほっといてくれればいいのに、長い黒髪と黒眼の彼はエアハルトの顔を覗き込んでくる。

 それが煩わしく、エアハルトは手を止めた。

 これが他の誰かであれば完全無視を決め込むところだが、生憎と、青年はこちらが反応を示すまでしつこく絡んでくるのだ。どうせ被害を被るのであれば、最小で抑えた方がいい。


「もうデータは取れた。今すべきなのは、データから傾向を導き出すことだ。使い終わった実験場と試験体サンプルに用は無い。むしろ、わざわざ処分を手配する手間が省けて助かったくらいだ」


 続いて聞かれるであろうことまで予想し、先回りして答えた。これでもう邪魔をされないはずなので、再度キーボードに手を置く。

 けれど、青年の顔が邪魔な位置のまま動かない。


「顔が邪魔なんだが?」

「これさー。今度は何の実験してたの?」


 無駄に整った顔に好奇心を滲ませ青年は疑問を浮かべる。すでに20代半ばだというのに、彼の行動は落ち着きがない。

 エアハルトは仕事に戻るのを諦め、机に頬杖をついた。


「遺伝子改変剤の効果と発現までの時間を見ていた。実験用の被験体を探していた時に彼女を見つけて、ついでに資金稼ぎも出来そうだったから、話に乗ってやったんだ」

「具体的にどういうこと?」

「彼女は可愛がっていた猫を死なせたくないと望んでいた。私は薬の効果を正確に調べるために、同じ条件の実験動物が欲しかった」

「あ、そこまで聞いたら分かったよ! それで猫のクローンなんて作ってたんだ」

「そういうことだ。遺伝子型まで揃っていれば、発現した形質の差異は、ほぼ薬由来のものだと仮定できるからな」

「結果はどうだったのさ?」

「それを調べようとしてるのに、お前が邪魔してるんだろう?」


 げんなりと視線を向ける。

 質問の答えが得られて多少は満足したのか、青年が身体を引いた。

 今度こそ仕事を再開させようとして、エアハルトはふと手を止める。


「ジーナ・ベアルツォットといえば、面白い男と会ったな」


 仕事をする興が削がれ、眼鏡を外した。


「珍しいね。君が他人に興味を示すなんてさ」

「私が欲しいものに限りなく近いものを持っている男だった。そのうえ眼鏡の良さを分かっていてな。眼鏡談議ができるだなんて、素晴らしいと思わないか?」


 言った途端、青年の上半身がこけた。そうして呆れ顔で見てくる。


「デッラ・ローヴェレを好きな人って変人が多いよね。君をはじめさ」

「デッラ・ローヴェレ家などどうでもいい。私が崇拝するのはベリザリオ卿ただお1人だ」


 エアハルトは眼鏡を拭きながら答えた。


「その彼が好きだったから君も眼鏡なんでしょ? もう死んでる人が好きだった事を真似て、何が楽しいんだい?」

「彼のお方に近付ける気がするのだよ」

「本気で分からないんだけど、その気持ち。もうさ、ベリザリオ教とか作っちゃえばいいと思うよ。で、スカウトでもしたの? その眼鏡好きさん」

「いや」


 拭き終わった眼鏡をかけ直し首を横に振った。その時の様子を思い出し、今更ながら気付く。


「小娘の邪魔が入ったんだが。思い出してみれば、多少見た目が変わっていたが、あれはマラテスタの令嬢だったな」

「そりゃ、女の子なら、コロコロ見た目も変わるだろうさ。そのくせに、変化に気付かないと怒るんだ。髪を1センチ切ったのに気付かないなんて、私のことそれくらいにしか思っていないのねって。面倒臭いったらありゃしないよね」

「お前が誰彼構わずいい顔をしようとするからだろう」

「ベリザリオ以外に興味を示さない君よりはマシだと思うけど?」


 青年が疲れた様子で椅子に身体を預ける。次の瞬間には、何かを思いついたのか、小さく声を上げた。


「なんだ?」


 エアハルトに興味は無かったが、とりあえず先を促す。


「ヴァチカンにちょっと遊びに行こうと思ってたし、その、マラテスタのにも会ってこようかな」


 急に元気になった青年が椅子から立ち上がった。


「構わないが、あれは貴重な観察対象サンプルだ。壊すなよ?」

「数年前に見失ってからは放置してたんじゃなかったっけ?」

「見失ってたからな。だが、見つけたからは、経過観察を続けるに決まってるだろう」

「はいはい。それじゃ、怒られないように挨拶だけしてくるよ」


 青年は纏った青い法衣を椅子に脱ぎ捨て、その際乱れた黒髪に手櫛を通した。衣装棚から上着を取り出し袖を通す。


「僕さ。あっちでちょっとした人形劇をやってこようと思ってるんだ。テレビに出るかもしれないから楽しみにしててよ」


 エアハルトは返事をしていないのだが、青年は構わず話を続けている。


「彼女に手土産くらいあった方がいいかな? 無難に花とか」


 壁際の花瓶から白百合を1輪取り、青年は美しい笑みを浮かべた。

 エアハルトは知っている。

 危険な棘を持つ花ほど美しいのだと。



 ◆


 ジーナの件のあった翌日、ジョエレは喫茶店横のアパートを訪れていた。いつもの部屋のいつもの席で、いつもの青年にメモリースティックを渡す。


「ジーナ・ベアルツォットの件の詳細報告だ。隠蔽、上手くいきそうか?」

「なんとかなりそうよ。目撃者がいなかったのと、ヤバい部分は徹底的に燃え尽きてくれてたお陰ね」


 青年がメモリースティックを受け取り、小振りなジュラルミンケースに入れた。


「薬品使ったんじゃない? 補充は?」

「硫酸、硝酸、グリセリン。小さいサイズで頼む」

「3つね。了解」


 彼はサラサラと紙にペンを走らせ、それもケースに入れる。


「そういえばね、この前回収してきてくれた物の解析が終わったのよ」

「へぇ。で、どうだったんだ?」


 ジョエレは片手で頬杖をつきつつ先を促したが、


「アンプルの中身はペスト菌」


 予想の斜め上を行く言葉に頬杖も外れた。


「穏やかじゃねぇな、おい」

「瓶の中身はエタノールだったわ。消毒用かしらね?」

「メモリーカードのデータは?」

「そうそう。それがよく分からなくてね、解析班も判断がつきかねるらしいの」


 青年は立てた人差し指を顎に添え、僅かに上へと視線をやる。


「26日、祭り。それだけ入力されていたらしいわよ」

「何だよそれ。大切なデータが消されてるんじゃね?」

「そう思うでしょ? でもね、本当にそれだけだったらしいわよ。26日が何月26日を指しているのか分からないけど、とりあえず気を付けておいてって」


 お手上げ、とばかりに彼は肩を竦めた。

 ジョエレも顔をしかめる。

 それだけの情報でどうにかしろと言われても、何に気を付ければいいのか全く分からない。"熊"としても、注意を促すために情報を流してきただけなのだろう。


「相変わらず無茶振りしてくれるぜ。とりあえず気は付けとくよ」


 そう言ってジョエレは席を立った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ちょっとずつ読み進め……ようとして日が空いてしまい、こりゃいかんと頭から読み直し、でもってようやく1章終わりまで来ましたので、改めて感想なぞ。 いやー、やはりこういうの、いいですねえ。 …
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