迷える探偵の死亡履歴
ゆっくりと目を開ければ、そこは見慣れた船室だった。
ベッドに横たわりながら、もう幾度となく俺が見上げた天井には照明具が1つ備えつけられ、室内を白い光で照らしている。
ああ、またか。と俺は思う。また、俺は殺されたのかと。
ゴールデンウィークを利用して行われたミステリー研究部の合宿に参加した俺は、そこで事件に巻き込まれては何かしらの方法で犯人に殺される。
そして、その度にこの船室のベッドの上に戻されるのだ。
合宿の初日。いま俺はミステリー研究部の顧問を含めたメンバーたちと孤島へと向う、船の中にいる。
どうやら同じ時間を繰り返しループしているのだと気づいたのは、いつだったか。
少なくとも最初にループした時ではない。殺される度にこの船室のベッドの上に戻されることが続き、何かがおかしいと気づいたのは、ループ現象を3回も経験した後だったと記憶している。
ループをする度、俺は殺人事件に巻き込まれ、犯人に殺される。これは何度ループしても変わらない。
変わるのは、その殺害方法だった。
毒殺されることもあれば、絞殺されることも、刺殺されることもある。バリエーションやパターンはいくつかあったか、ここ最近のループでは何故だか撲殺が定着しているようで。
ループによって蓄積される記憶と相まって、ループした直後は筆舌に尽くしがたい程の頭痛に苦しめられるのだ。
俺はまだ正体の分からない犯人に向け、「撲殺ばかりするんじゃねーよ!」「俺が経験しているこの痛みや苦しみを考えやがれ!」と心の中で思いっ切り悪態を吐く。
まあ、ここで俺が悪態を吐いたところで、犯人は見つからない。もちろん、このループ現象が解決することもない。事態は何一つとして好転することはないのだが、それでも俺は心の中ぐらいでは悪態を吐かずにはいられなかった。
さて、ここまで俺の1人語りに付き合ってくださった読者の皆様に、この俺が現在経験している現象や状況、この先の俺の行動理由を分かりやすく説明せねばなるまい。
とりあえず、俺の自己紹介とでもいきますか。
俺の名前は久遠歩。都内にある私立晴海学園高等部に通う、2年生だ。
所属しているクラブはミステリー研究部。
入部した理由は特にない。強いて上げるならば、のんびり自由にできそうな、堅苦しくない部であればどこでもよかったと言う、そんな理由だ。
ちなみに重要なことだが、彼女はいない。絶賛募集中である。
そして、現在は「ループ」と呼ばれる超常現象と、サークルの合宿内で起こる殺人事件に巻き込まれている真っ最中だ。
殺人事件はともかくとして、俺が何故、超常現象であるループを繰り返しているのかは、ループ現象を体験している俺にも分からない。
俺が分かっていることとしては、ミステリー研究部の合宿で殺人事件が起こること。
そして、俺が犯人に殺されると、ループ現象が発生することだけだ。
だから、このループ現象がいつ終わるのかも分からない。
もしかしたらこれが最後のループかも知れないし、まだまだ続くのかも知れないけれど、その中でも俺は「ミステリー研究部の合宿で起こる殺人事件の犯人を突き止めれば、このループ現象も終わるのではないか」と漠然とだが考えている。
でなければ、俺は一生、かごの中の鳥のままのような気がしてならない。
これがもう何度目かのループなのか、途中で数えることを放棄してしまった俺には分からない。
けれど、このループを最後にしようと俺は独り決断する。
そして、このループを最後にすべく、俺は今迄よりも慎重に行動しようと決意した。
俺の目的は、あくまでも自分が死なないこと。
犯人を見つけ出して事件を解決すること。ループ現象から抜け出すことだ。
そのためなら、多少の犠牲は仕方ないことだと割り切ろうと思う。
いきなりだが、実は、もう犯人の目星はついている。
1人目の容疑者は深田康仁。俺と同じく2年生で、今回のミステリー研究部の合宿にあたり祖父母の所有する別荘を都合してくれた優しいお金持ちだ。しかも、外見も性格もよければ、勉強もできる。当然ながら、めちゃくちゃモテる。俺だって女子だったら間違いなく惚れているだろう。
2人目の容疑者は山寺慎二。こいつも同じ2年生で、このミステリー研究部においてのムードメーカ的な存在だ。
ちなみに深田とは幼馴染で、俺とは気の合う親友――のはずだ。
深田と山寺。俺は2人のうち、どちらか。あるいは2人とも犯人だと考えている。
俺は何度もループしているが、まだ犯人の動機は分かっていないのだ。ただ俺は何度もループを経験したが、深田と山寺が死んでいるところを見ていない。
だから、俺は2人のうち、どちらか。あるいは2人とも犯人だと考えている。
もちろん、理由はそれだけではない。
他にも深田と山寺は合宿2日目に起こる殺人事件の被害者を、それぞれが最初に発見した人物でもある。深田は安部絵梨香を、山寺は谷口ゆかりを、だ。
俺は犯人に殺される度にループを繰り返したが、この殺人事件を起こした犯人の動機がいまだに分からないでいる。
そのため、犯人の目星はついても、結局のところは犯人が誰なのかは分かっていない。
犯人にたどり着くまでの手掛かりを、俺は何ひとつとして持っていないのだ。
犯人の目星だって、何度も殺されてループを繰り返した結果、合宿の最終日時点で生きているのが深田と寺山だからと言う安直な理由でしかない。
推理小説に登場する名探偵のように推理し、謎を解き明かし、証拠や動機を見つけ、論理的な筋道を立てて犯人を追い込む。
そんな芸当は俺にはできない。そもそも俺は探偵役には向いていないのだ。
探偵役に向いているとすれば、それこそ深田か――部長の坂本信彦が適任だろうと俺は想像して、苦笑した。
船室で目覚めた俺は通過儀礼のごとき、筆舌に尽くしがたい程の頭痛をたっぷりと味わった後。あることを確かめるため、船上デッキにいるはずの梅澤先生のところへと向かう。
梅澤先生は俺たちが所属するミステリー研究部の顧問である。ほどよく脂の乗った女子を見る目が厭らしい中年オヤジで、この殺人事件においてはどのループでも必ず、2番目に毒殺されて死ぬ人物だ。
そして、その毒殺に巻き込まれて死ぬことになるのが、坂本部長である。
あくまでも俺の中でだが、探偵役として適任の坂本部長がこの殺人事件の最初の犠牲者になってしまうとは、とてつもなく残念なことだった。
梅澤先生と坂本部長は、合宿の初日、殺人事件の舞台ともなる孤島に向かう船の中で酔い止めと称した遅効性の毒を3年の谷口ゆかりから渡されて服用する。
服用した毒は数時間後に効果をもたらし、梅澤先生と坂本部長は夕食中に死ぬのだ。
実を言うと、本当はこの遅効性の毒を服用して初日の夕食中に死ぬのは、坂本部長ではなく俺の役だった。
それがループ現象のせいなのか、俺と坂本部長の役が入れ換わり、坂本部長が梅澤先生と同じタイミングで毒を服用することになったのだ。
また、谷口先輩が酔い止めと称して手渡した毒は、船内にあらかじめ備え付けられていた救急セットの中にあったらしい。もう何度目かの時かは忘れてしまったが、俺が直接、谷口先輩から聞いたことだから間違いないはずだ。
「おい、久遠」と、心配そうな顔で、不意に声をかけてきたのは山寺だった。
どうやら俺は自分の考えに没頭するあまり、前から歩いてきたであろう山寺を視界に捉えることができていなかったようで。
「あまり顔色がよくないようだけど、お前も船酔いか?」
近距離で声をかけられるまで、視界には入っていたはずの山寺の存在に気がつかなかったのだ。
こんなことでは、このループでも俺は犯人に殺されてしまうかも知れない。
「いや、俺のは船酔いじゃないよ」
「そっか?」
「うん、だから心配しなくても大丈夫だって」
俺は意識して、いつも山寺と話すように言う。
「なら、よかった。坂本部長がさ、すっげー乗り物に弱いの、久遠は知ってたっけ?」
「知らないけど......」
このタイミングで山寺に声をかけられるのも、坂本部長が乗り物に弱いと言う話題を振られるのも、幾度となく繰り返したループの中で、今回が初めてだった。
「山寺は何で坂本部長が乗り物に弱いことを知ってんの?」
「そりゃあ、坂本部長とは幼馴染だからな」ちなみに四葉副部長とも、と山寺は続ける。
「坂本部長はさっきまで船室で休んでいたみたいなんだけど、あんまり空気の良くない室内よりも海風に当たった方がよくなるかもって言って、さっき船上デッキに出てったからさ。俺はてっきり久遠も船酔いかなって思って」
「...............そう、だったんだ.....」
山寺に返事をしながらも、なるほど、と俺は納得する。
坂本部長が酔い止めを飲むのは、ある意味必然の行為だったのだろう。となると、坂本先輩は俺の代わりにずっと死んでいたわけではないのだ。
そう思うと、少しだけ、ほんの少しだけだけれども心が軽くなるのを俺は感じた。
「四葉副部長もさ。今回の合宿に参加できればよかったんだけど、体調が悪いとかで、3年になってから学校もずっと休んでるみたいだし。俺的には何つーか寂しいんだよね」
言って、山寺は俺と視線を絡ますと、
「だからさ、俺の親友である久遠まで体調壊さないでくれよ!」
いつもの山寺らしい明るい口調と共に、俺の背中をばしばし叩く。
俺は「分かったよ」と一言、そう告げ、山寺の額を左手のこぶしで軽く小突いた。この穏やかな時間が続けばよいのにと思いながら。
けど、俺は知っている。俺がどんなに願ったって、この穏やかな時間は続かない。
山寺と別れ、俺は船上デッキへと続く扉を開ける。すると、タイミングがよいと言うべきか。
「酔い止めを飲んだので、もう少ししたら気分が悪いのもよくなると思います」
と。谷口先輩の声が聞こえた。
どうやら俺は今回も、梅澤先生と坂本部長が毒を服用した直後のシーンに出くわしたらしい。ちなみに梅澤先生と坂本部長が飲んだのが酔い止めではなく、毒薬だと俺が気づいたのは4回目のループの時である。
ループをする度に、幾度となく目にしたこのシーンは、一連の殺人事件の始まったことを俺が確認するには充分だった。
数時間後。坂本部長と梅澤先生は船にいる時に服用した毒が原因で、合宿初日の夕食中に死ぬ。
すべては予定調和だ。
これで谷口先輩が犯人であれば、俺もこんなにも殺されて死のループを繰り返すことはなかったのだろう。
だが、その谷口先輩は合宿の2日目に死ぬ。
合宿用に宛がわれた部屋の2階、バルコニーから転落死するのだ。
合宿の初日。孤島の館で過ごす、初めての夕食。
そこで坂本部長と梅澤先生は死ぬ。梅澤先生を含めたミステリー研究部のメンバーが全員食堂へと集まり、席に着くと、ご丁寧にも和紙に書かれたコースメニューに『和牛』と言う文字が踊っていた。
誰が書いたのか分からないが、とにかく達筆で読みにくい文字で、オードブル、逸品、温物、ご飯、サラダ、スープに至るまで『和牛』尽くしである。
食欲旺盛な男子高校生にとっては、ありがた過ぎるメニューであることは間違いない。
この後の展開さえ考えなければ、こんなにも豪勢な夕食にありつけるのは至福である。
和牛の崇高さよりも、体系維持に重きを置くであろう女子が2人。
これはいくらなんでもと言う顔で多少なりとも呆れ返っている坂本部長と深田を他所に、俺と山寺、そして顧問の梅澤先生は狂喜乱舞だ。
和牛。しかも館の料理長の説明によれば、この合宿のために深田の祖父母が取り寄せてくれた最高級品。A5肉である。食べる前から美味いことが確約されている肉だ。間違いない。
館の使用人たちによって配膳された和牛を前にして、俺は、ナイフとフォークを手に取る。
ほとんど抵抗なく、ナイフを受け入れてくれる和牛。
俺と山寺は「おお」と思わず感嘆の息を漏らしてしまう。致し方ない。文字通りに至福を噛みしめる梅澤先生。ノンフレームの眼鏡をいつもの癖で押さえ、配膳された料理へと手を伸ばす坂本部長。女子2人と、深田が料理を口に運び、後は訪れる死の瞬間を待つだけ。
数分後。死の瞬間は訪れる。
食器に落ちる金属音。直後には坂本部長が椅子から倒れ落ち、「えっ......」と誰かが漏らした声は、次の瞬間には梅澤先生が倒れる音でかき消される。
それはループする度に、俺が何度も目にした光景だった。
夜。俺は谷口先輩たちの部屋を訪れ、泣きじゃくる谷口先輩を、3年の安部絵梨香と共に慰めていた。
「ゆかり、少しは落ち着いた?」
谷口先輩を抱きしめ、その背中を優しく撫でながら、安部先輩は可能な限り落ち着いた声をかける。
泣きじゃくりながらも弱々しく、谷口先輩は頷いた。
「ごめんね、絵梨香。それに久遠くんも、先輩の私がこれじゃあ、君も不安になるよね?」
「谷口先輩、俺のことは気にしなくていいですから........」
でも、と続けようとする谷口先輩の言葉を遮るように、
「そうよ、久遠くんは男子だから気にしなくてもいいの」
安部先輩は言う。
「久遠くんだって、か弱い女子を目の前にして不安にはならないでしょ」
あくまでも谷口先輩が気を病まないように配慮する安部先輩は、本当によい人で、俺にはこの人が殺される理由なんて思い当たらなかった。
谷口先輩も、安部先輩も、できることなら見殺しにしたくないと思う。
だからこそ、俺はこれまでのループで何度も彼女たちを助けようと行動し続けた。結果、俺は何度となく殺され、ループを繰り返すことになる。
俺が数え切れないほどのループを経験することになったのは、ほとんどが彼女たちを助けようと行動したからだ。
前回のループでは谷口先輩と安部先輩が死んだ当日、こっそりと調査をしたら犯人に殺されてしまっているし。
前々回のループでは、犯人を突き止めようともした。2人の部屋に張り込むために、谷口先輩と安部先輩の部屋に適当な理由をつけて深夜まで居たら殺された。
他にもループを遡って考えれば切りがない。
俺がどうあがこうと関係なく、谷口先輩と安部先輩は死ぬ。これは決定事項だ。
谷口先輩はこの部屋のバルコニーから転落し、首の骨を折って死亡する。翌日、谷口先輩の死体を発見するのが、山寺である。
そして、安部先輩の死体も同じように深田に発見されるのだ。
安部先輩の死体は誰よりも酷く犯人に扱われ、まるで何かのオブジェのように、部屋に備え付けられた重厚なカーテンで固定されて、これでもかと言うぐらいに全身を滅多刺しにされる。
それも首を絞められた上で、だ。
怨恨による殺人の典型だが、そこにどれだけの恨みが込められているのかは俺に分かるはずがない。分かりたくもない。
だって。
「谷口先輩はともかく、安部先輩はか弱くないじゃないですか」
俺にとっては2人ともよい先輩だったのだから。
「何ですって!」
「やだなー、安部先輩。冗談ですよ。冗談」
安部先輩と俺の会話を聞きながら、やっと気持ちが落ち着き始めたのか、谷口先輩がくすくすと小さく笑い声を上げた。
今回のループでは、俺は2人を助けようとするどころか――死んでも調査すらしない。
それは今回のループが始まった時に決めたこと。だから、俺は自分の中で沸々と湧き上がってくる罪悪感を押し殺して、気がつかないように蓋をする。
ごめんなさい。俺は心の中で、呟く。
22時を過ぎた頃。もう夜も遅いからと告げて、俺は2人の部屋を後にした。
谷口先輩と安部先輩の部屋を出てから、俺は自分に割り当てられた部屋へと向かう。
「深田?」
部屋の扉を開けると、そこには同室の山寺だけでなく深田もいた。
深田の眼には薄らと涙が浮かんでおり、幼馴染である坂本部長の死を悼んでいる。山寺も恐らく同じであろうが、こちらは勤めて明るく振舞い、深田を元気づけようとしていた。
「...............久遠くん.....、ごめん。僕のせいで.......」
「だから、お前のせいじゃないって。久遠からも深田に言ってくれよ」
俺に助けを求める、山寺の声。
「僕がこの合宿を提案しなければ、坂本部長も......梅澤先生も死ななかったかも知れない」
言って、深田は自分自身を責める。
「そうかも知んないけど......んなこと、いまさら言ってもしょうがないだろ?」
どちらも演技だとしたら、役者になれると思うほどだ。
深田と山寺。俺なりに何度も考えたが、どちらが犯人なのか。あるいはどちらも犯人なのか。やはり俺には分からない。
「深田も山寺もさ、あんまり自分を責めたりしないでくれよ」
えっ、とした顔で山寺は俺を見た。
「久遠。俺も、自分を責めてるように見えるのか?」
「ああ」
俺には山寺も自分を責めているように見えるよ、と。そう言えば、山寺は何故だか泣き出しそうな顔をした。
「...............そっか、そう、久遠には見えるのか......」
「うん、すごく。山寺はさ、いつも周りの空気を読んで、すごく皆に気をつかうじゃん。こんな時でもそれは変わらなくて。俺はすごいと思う。
けど、坂本部長はさ、幼馴染だったんだろ?
死んだのは梅澤先生も同じだけど、多分、山寺と深田にとっては坂本部長のことがあるから。悲しくて、辛くて、やり切れない気持ちを自分にぶつけちゃうんじゃないかと思うんだ」
犯人の動機は分からない。
だから、俺には誰が犯人なのかも分からない。
俺は自分に言い聞かせるように、もう1度、今回のループが始まった時よりも強い気持ちで決断する。
どんな結末になろうと関係ない。
俺は今度こそ生きて、犯人を見つけ出し、一連の殺人事件を終わらせようと。
明日の朝。
谷口先輩と安部先輩は死体になって、それぞれ山寺と深田に発見される。
すべては予定調和だ。
23時を過ぎる、少し前。
深田は自分に割り当てた部屋へと戻るため、山寺は気分転換に外の空気を吸うため、それぞれ部屋を後にする。
俺は部屋から出て行く2人の背中を見送り、生きて翌朝を迎えるために就寝した。
そうして迎えた合宿2日目の朝。
谷口先輩と安部先輩は無事に死体で発見される。時刻は8時を過ぎたぐらいか。いつまで経っても食堂に姿を見せない2人を心配して、山寺は屋敷の庭を、深田は彼女たちに宛がわれた部屋を見に行った。
しばらくしてから聞こえたのは山寺の悲鳴。「谷口先輩っ!」と叫ぶ山寺の声を追って、俺は食堂を飛び出し、山寺がいるであろう場所へと走る。
「山寺!」
「.......あ、久遠。谷口先輩が...」
谷口先輩の死体が、俺の視界に入った。彼女に宛がわれた部屋の真下。首を在り得ない方向へと曲げた死体。坂本部長や梅澤先生と同じように大きく見開かれた瞳には「どうして?」と、理不尽な死に対しての疑問を誰へでもなく向けている。
時を同じくして。深田が発見した安部先輩の死体も、恐らく、似たような状態だろう。
俺は無言で山寺の手を引くと、館の2階へと向かって歩き出す。
目指すは、谷口先輩と――安部先輩へと宛がわれた部屋の前。そこには館の管理人と、
「....................君たちは見ない方が、いいよ......」
深田がいた。
殺された4人の中では、安部先輩の死体が最も酷い。俺は繰り返すループの中で何度か彼女の死体を目にしているからこそ、深田の気遣いが、手に取るように分かった。
「食堂に移動しよう。管理人さんも、それでいいですね」
その場にいる全員に向かって、俺は有無を言わせない口調で告げる。
館の管理人さんたち大人を含め、俺たちは食堂に集まった。静寂ではなく沈黙が支配する室内で、かちかちと備え付けられた時計の針が進んでいく。
沈黙に耐えかねたのか、それとも俺たちへの気遣いからなのか。管理人さんが「紅茶でもお淹れしましょうか?」と訊いてくる。俺たちが頷くと、その場にいた使用人の1人に命じて、紅茶の準備をさせた。
俺たち3人は、それぞれの顔が見える席へと着く。
配膳される紅茶と、軽食。初日の夕食中に坂本部長と梅澤先生が死んだことで、ほとんど何も食べていない俺たちに料理長が気を遣ってくれたのだろう。ありがたいと俺は思って、用意された軽食を口にした。
どれぐらいの沈黙が続いたのか分からない。
「分かっていないのは、動機だけなんだ」
と。俺は室内にいる全員が聞こえる声で、唐突に、そう告げて話し始めた。
「動機って、何のだよ?」
俺の言葉に反応を示したのは山寺だった。
山寺の声は苛立ちを含んでいて、本人も気づいてはいるのだろうが、あえて隠そうとしていない。
「犯人の動機だよ。もちろん、この殺人事件の」
「おい、久遠!」
俺は何度もループして殺されたが、結局、最後まで犯人の動機は分からなかった。
動機が分からないから、深田と山寺、どちらが犯人なのか特定できない。このループでも犯人は分からない。
俺に対して何かを言おうと口を開きかけた山寺を遮るように、深田は告げる。
「犯人の動機なんて分かるわけないじゃないか」
言葉にした瞬間。深田の中で何かが壊れたのだろう。
「ねえ、久遠くん。人間の持つ原動力って何か分かるかい?」
「感情かな。よくも、悪くも」
深田の問いに、俺は回答した。
どこか満足そうに嗤う深田を、不思議そうに山寺は見る。
「そう、感情だよ。慎二」
「......んだよ」
「四葉副部長が――芽衣が、学校を休んでいる本当の理由を知っているかい?」
山寺の回答を待たず、深田は語り出す。
「芽衣は病気なんかじゃないよ。自殺未遂をして、いまも昏睡状態が続いて!」
「じさつみすい、って。嘘だろ。冗談だろ。芽衣ねえちゃんが」
「僕がこんな嘘や冗談を言うわけがないだろうっ!」
叫ぶような深田の怒鳴り声。俺の知っている深田は、いつも冷静で穏やかなやつだった。
「芽衣は部内で陰湿なイジメを受けていたんだよ。それだけじゃない。イジメを相談した梅澤に、芽衣は......」
続く言葉は、想像できた。
「性的なイタズラをされて」
ああ、やっぱり。深田の言葉が真実であることを、何の抵抗もなく俺は受け入れた。
ミステリー研究部の顧問である梅澤先生には、以前から校内で誰もが知る噂がある。それは梅澤先生の好みの女生徒に手を出していると言う内容だった。
梅澤先生の好みはどうやら中学生や高校生らしく、その中でも、身体つきが厭らしく発達した清楚な女子がタイプだと記憶している。部内に限って言えばだが、四葉副部長は梅澤先生が求めるすべての条件に合致していた。
「慎二や坂本部長――信彦には黙っていたし、もちろん、久遠くんも含めて部内の皆には言っていなかったけど」
芽衣と僕は恋人同士なんだよ、と。深田は静かな声で告げた。
「部内で芽衣をイジメていたのは、安部と谷口で。主犯格だったのは安部絵梨香だよ」
「安部先輩が?」
言って、安部先輩を俺は思い出す。
「そう、安部が主犯。谷口はおもしろがって安部に便乗していただけ」
安部絵梨香。俺たちと同じく都内にある私立晴海学園高等部に通う、3年生で、四葉副部長とは違うタイプのクラスの中心にいるような人物。本人の性格を表すように明るく染めた髪は手入れが行き届き、化粧も少し派手めだが、いつも綺麗に整えられている。
彼女の言動を思い返す限りでは、あまり積極的にイジメて楽しむ性格ではないと思う。
どちらかと言えば、おもしろがって後先を全く考えず、イジメをしそうなのは谷口ゆかりのような気がした。
「安部先輩が、四葉副部長をイジメてた理由は?」
考えたが、俺には思い至らない。
「僕が芽衣を好きだから」
「でもっ、芽衣ねえちゃんとお前が付き合ってたのは誰も知らないはずじゃ......」
これは深田からも自己申告があったし、山寺の言い分が最もだ。
「昨年の秋にあった文化祭で、僕は、安部に告白されたんだ。ずっと昔から僕は芽衣が好きだったし、その頃にはもう芽衣とは付き合ってたから、はっきりと断ったさ」安部は僕の好みじゃなかったしね、芽衣と付き合ってなくても断ったと思うよ、と。深田は続ける。
「好きな人がいるからって。もちろん、その相手が誰なのかまでは言わなかった」
「だろうな」
俺が深田の立場でも、それは言わないだろう。
「けど、女の感ってやつなのかな?
安部は僕の好きな相手に気づいた。そこから芽衣は部内でイジメにあっていたらしい。僕は芽衣の傍にいたはずなのに、ずっと気がつかなかったんだ。梅澤の件を含めて、全部を知ったのは、芽衣が自殺未遂をした後だった」
深田の口から紡がれる物語は、もうすぐ終わりを告げる。
「これが動機だよ。久遠くんが知りたかったね」
「坂本部長は?」
梅澤先生と安部先輩、谷口先輩が殺された動機は分かった。
けれど、坂本部長は?
「信彦は、ただ巻き込まれただけ。事故だよ」
まるでパズルのピースがはめ込まれるように、すんなりと俺は納得する。
「そっか」
坂本部長は巻き込まれただけで。立場としては、俺と同じだったのだ。ただ1つ違ったのは、俺は犯人に殺される都度、合宿初日の孤島へと向かう船室にループしていたから生きている。
「なんでっ」
幼馴染が殺人事件を起こしたことも、その動機も、山寺にとっては俺以上に衝撃的だったのだろう。
「信彦にいちゃんや俺に相談してくれなかったんだよ、なんでっ」
感情の赴くままに叫んで、その場で山寺は涙を流した。
すべてを話し終えた深田は「もしも」と、
「もしも、やり直しができるなら。僕は許すことができたと思うかい?」
そう俺に訊く。
深田は俺からの回答はないと思っていたのか。俺が回答を口にすると、驚き、目を閉じて穏やかに微笑した。
原案/らいでん、原作/にーちぇ(スガワラリカコ)