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悪役令嬢に転生したけれど、攻略不可の公爵様にだけは勝てません  作者: 凪乃


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9/12

理由なんか要らない

 最初に目を引いたのは、断罪の夜だった。


 セシル・レヴィアンスは舞踏会の壁際で、退屈な時間をやり過ごしていた。人混みが嫌いだった。貴族の社交辞令が嫌いだった。母を失って以来、この手の場に意味を見出せなくなっていた。


 王太子が悪役令嬢を断罪する——そんな芝居に興味はなかった。


 だが。


 指を突きつけられた令嬢は、泣かなかった。逆上もしなかった。


 冷静に事実確認を求め、微笑みすら浮かべて——退場した。


 まるで、この場面を知っていたかのように。


 廊下で声をかけたのは、衝動だった。


 「なぜ笑わなかった」と聞いた。


 令嬢は動揺していた。膝が震えていたのに——それを隠す演技が上手かった。あまりにも上手すぎて、長年の訓練ではなく「必要に迫られて身につけた」類の技術だと感じた。


 名前はヴィオラ・クレスティア。それ以上のことは知らなかった。



 翌日から、ヴィオラの行動を観察し始めた。


 理由は——自分でもわからなかった。ただ、この令嬢は他の人間とは違うと感じた。


 行動パターンが変わっていた。通学路を日替わりで変える。特定の場所を避ける。特定の時間帯に特定の人物に近づかない。


 まるで——先の展開を知っている人間の動き方だった。


 図書室で隣に座ったのは、実験だった。


 ヴィオラは驚いた。驚いたが——嫌がらなかった。


 それが意外だった。大抵の人間は、セシルの隣に座られれば緊張するか、避けるか、媚びるかのどれかだ。ヴィオラは困惑していたが、しばらくすると自然に本を読み始めた。


 隣にいることを、受け入れた。


 それだけのことが——なぜか、胸に残った。



 詩集を貸したのは、もう一つの実験だった。


 栞にメモを挟んだ。「台本の外にいる人間の話が書いてある」と。


 ヴィオラがどう反応するか見たかった。「台本」という言葉に、何かの反応があるはずだと思った。


 翌日、ヴィオラは詩集を抱えて図書室に来た。栞の文字を何度も見返した形跡があった。ページの角が微かに折れていた。


 ——読んでくれたのだな。


 胸が温かくなった。温かくなったことに、自分で驚いた。



 母の命日に、ヴィオラに過去を話した。


 なぜ話したのか——これも、理由がわからなかった。


 だが、ヴィオラは泣かなかった。同情の目も向けなかった。ただ「話してくれてありがとう」と言った。


 そして——「攻略wiki」と口走った。


 攻略。wiki。聞き慣れない言葉だった。


 ヴィオラは慌てて誤魔化したが、その瞬間の表情が——素だった。令嬢の仮面が外れた、地の表情。


 面白い、と思った。


 この女は、何かを隠している。何かを知っている。そして、その知識を使って何かを避けている。


 だが——そんなことは、どうでもよかった。


 ヴィオラが何を隠していようと。何を知っていようと。


 セシルが見ていたのは——隣に座って本を読む横顔。栞のメモに顔を赤くする耳。過去を聞いて「ありがとう」と言う声。


 ヴィオラという人間そのもの。



 審問の日。


 聖女の嘘の証言がヴィオラを追い詰めていると聞いて、足が勝手に動いた。


 審問室に入り、聖女に問い詰めた。「何時に」「どこで」「具体的に」。


 聖女は答えられなかった。嘘が崩れた。


 ヴィオラを庇った。「この女に手を出すな」と言った。


 声が冷たくなっていた。自分でもわかった。


 あの聖女が二度とヴィオラに手を出さないように——そういう声を出した。


 審問室を出た後、ヴィオラが背中を見ていた。


 振り返りたかった。でも——まだ、言葉にできなかった。



 今日。


 放課後の図書室で、ヴィオラが本を読んでいた。


 セシルは隣に座った。もう実験ではない。


「セシル様。——ありがとうございました。審問の日」


「礼はもう聞いた」


「何度でも言います」


「一度で十分だ」


 沈黙が流れた。居心地のいい沈黙だった。


 ヴィオラが本のページをめくる音。窓から差し込む午後の光。


 ——ああ。


 わかった。


 理由なんか要らなかった。


 この女の隣にいたいと思った。それだけのことだった。


「ヴィオラ」


「はい?」


「お前はいつも、何かを避けているように見える。何かを知っているように見える。お前の秘密が何であれ——俺には関係ない」


「セシル様——」


「理由なんか要らない。俺がお前のそばにいたいだけだ」


 ヴィオラの目が大きく見開かれた。


 耳の先が赤くなるのが見えた。


 何も言い返せないヴィオラを見て——不覚にも、笑ってしまった。


 セシル・レヴィアンスが、十年ぶりに——声を出して笑った。

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