攻略できない聖女
エステルが動いた。
今度は——ゲームにない手段で。
「ヴィオラ嬢が、学園の金庫に無断で侵入した?」
教室で、クラウディアが血相を変えて駆けてきた。
「何のこと?」
「エステル様が殿下に報告しています。昨夜、学園の金庫が開けられた形跡があって——鍵を持っていたのは職員と、倉庫当番のヴィオラ嬢だけだと」
倉庫当番。確かに、先週から図書委員の一環で倉庫の鍵を預かっている。でも——金庫なんて触ったこともない。
「でたらめよ。私は昨夜、部屋にいたわ」
「わかっています。でも、状況証拠が——」
状況証拠。鍵の所持。倉庫への出入り記録。
——これは、ゲームにないイベントだ。
断罪フラグのリストに、こんな項目はなかった。エステルが「ゲーム外」の方法で私を追い込んでいる。
ゲーム知識が、通じない。
パニックになりそうな頭を必死に落ち着かせる。
「クラウディア。証拠は何?」
「鍵の所持記録と、金庫の開封時刻。そして——」
「そして?」
「エステル様の証言。『ヴィオラ様が夜中に校舎を歩いているのを見た』と」
嘘だ。完全な嘘。でも聖女の証言は重い。殿下の恋人であり、学園で最も信頼されている人物の言葉だ。
「誰が信じるかしら——聖女の言葉と、悪役令嬢の否定。どちらが」
「……ヴィオラ様」
クラウディアの声が震えていた。
これまでのフラグ回避は、ゲーム知識が前提だった。発生条件を知っていたから、避けることができた。でも——エステルが新しい罠を作り出したら、知識は無力になる。
「レティシア」
「はい!」
「昨夜の私のアリバイ。何時に部屋に戻って、何時に寝たか、覚えてる?」
「夜の八時に部屋に戻られて、九時にはもうお休みでした。私がお茶をお持ちしたので確かです」
「それを証言できる?」
「もちろんです!」
侍女の証言は聖女の証言より弱い。でも、時間の矛盾を突ければ——
「金庫の開封時刻は?」
「夜の十一時だそうです」
「なら——私は九時に寝ていた。レティシアが証人よ。十一時に校舎にいることは不可能だわ」
「でも、エステル様が見たと——」
「エステル様は何時に私を見たの?」
クラウディアが目を見開いた。
「……時刻は、言っていませんわ」
穴がある。エステルの証言には具体的な時刻がない。聖女の権威だけで押し通そうとしている。
——でも、それで十分なのだ。この世界では。
殿下に呼び出された。教師たちが並ぶ審問の場。
「ヴィオラ嬢。金庫の件について——」
「殿下。まず事実確認をさせてください」
あのときと同じだ。EP1の断罪イベントと。冷静に、事実を求める。
「金庫の開封時刻は夜の十一時。私は九時に自室におりました。侍女のレティシアが証人です。十一時に校舎に出入りした記録は——ございますか?」
教師が顔を見合わせた。出入り記録を確認する。
「——ありません。ヴィオラ嬢の出入りは、夜八時の帰寮のみ」
「では、エステル様が私を夜中に見たという証言の裏付けは?」
沈黙が落ちた。
エステルの表情が初めて——微かに歪んだ。
しかし。
「わたくしは確かに見ました。ヴィオラ様が——」
「何時に」
声が割り込んだ。私ではない。
審問室の扉が開いて、セシルが入ってきた。
「レヴィアンス公爵——」
「何時にヴィオラを見た。何階の何号室の前で。どの方向に歩いていた」
セシルの声が、氷のように冷たかった。
「公爵様、これは——」
「質問に答えろ。具体的に」
エステルが口を開いた。閉じた。
答えられない。嘘の証言に具体性はない。
「——記憶違いだったかもしれません」
エステルが、微笑みを取り繕って言った。
「暗い廊下で、別の方を見間違えたのかも。申し訳ございません」
撤回。聖女が証言を撤回した。
審問室の空気が変わった。
「この件は保留とします。——ヴィオラ嬢、失礼しました」
殿下の声に、微かな戸惑いが混じっていた。聖女の証言が崩れたことへの、初めての疑問。
審問室を出た廊下で、膝が震えた。壁に手をついて息を整える。
「——大丈夫か」
セシルが横に立っていた。
「セシル様。なぜ——」
「聞こえたからだ。聖女の証言に矛盾があった。それだけだ」
「でも、わざわざ審問に来てくださるなんて——」
「理由が要るか」
セシルの目が、まっすぐ私を見ていた。
怒っている——私にではない。エステルに。嘘の証言でヴィオラを追い込もうとした聖女に対して。
振り返ると、廊下の奥にエステルが立っていた。
セシルが一歩前に出た。私を背中に庇うように。
「この女に手を出すな」
セシルの声が、初めて冷たくなった。
溺愛キャラの——闘争本能。
エステルが微笑みを浮かべたまま、目を細めた。
「まあ、レヴィアンス公爵。そんなつもりはございませんわ」
聖女が去った後、セシルの背中を見つめていた。
広い背中だった。この人は、ゲーム知識で私を守ったのではない。理屈でもない。ただ——私の味方として、ここに立った。
「この女に手を出すな」。
データにない。どのルートにもない。攻略wikiにも載っていない——ただの、一人の人間の怒り。
ゲーム知識だけでは勝てない。それをエステルが証明した。
でも——知識がなくても、味方でいてくれる人がいる。
それが今、背中ごしに伝わってきた温かさだった。




