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悪役令嬢に転生したけれど、攻略不可の公爵様にだけは勝てません  作者: 凪乃


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7/12

攻略不可の理由

 舞踏会から三日が経った。


 エステルが転生者だという確信は、日に日に重くなっていく。


 でも、今日は別のことが頭にあった。


 セシルが、図書室に来なくなった。


 三日間。一度も。


 別に気にしているわけではない。あの人が図書室に来ようが来まいが、私のフラグ回避には関係ない。


 ——関係ない、はず。


「ヴィオラ様、今日も図書室ですか?」


「本を返すだけよ」


 セシルから借りた詩集。まだ返していなかった。


 図書室の扉を開ける。静かな空間。午後の光が窓から差し込んでいる。


 セシルの席は——空だった。


 やはりいない。


 詩集を元の棚に戻そうとして、手が止まった。この本、本当に棚の本だったのだろうか。もしセシルの私物だったら、棚に戻すのは違う。


 悩んでいると、図書室の奥から声がした。


「探したぞ」


 セシルが本棚の陰から現れた。いたのか。


「セシル様。三日間、お見かけしなかったので——」


「見かけなかった、とは。探していたのか」


「い、いいえ。ただ、本をお返ししようと——」


「ああ。その詩集は俺のものだ。返してくれ」


 私物だった。やっぱり。


 詩集を手渡す。セシルの指が、一瞬だけ私の指に触れた。冷たくて、硬い指だった。


「……ここ数日は別の場所にいた。少し——考えることがあってな」


 セシルが窓際の席に座った。いつもの場所ではなく、奥まった隅の席。日が当たらない場所だ。


 私も近くの椅子に腰を下ろした。


 沈黙が流れた。セシルの横顔を見ると、いつもと違う——少しだけ、疲れた表情をしていた。


「セシル様。もし差し支えなければ——何があったか、聞いてもいいですか」


「……母の命日だった」


 声が、いつもより低かった。


「お母様の——」


「七歳の時に亡くした。それ以来、この時期は少し——落ち着かなくなる」


 ゲームの辞典には書かれていなかった情報。「冷徹な性格のため攻略ルートなし」——その一行の裏に、こんな過去があったなんて。


「母は、人に優しい人だった。公爵家の当主の妻なのに、使用人にも領民にも同じように接した。——俺はそれが怖かった」


「怖かった?」


「優しい人間ほど、先に壊れる。母がそうだった。心を砕いて周りに配り続けて、最後に何も残らなくなった」


 セシルの目が、窓の外を見ていた。何も映していない目だった。


「だから——人と関わらないと決めた。近づかなければ、失わない。失わなければ、壊れない」


 それが、「攻略不可」の理由。


 ゲームで攻略ルートがなかったのは、設定上の制限ではなかった。セシル自身が——人との関わりを拒んでいたからだ。


 胸が痛かった。ゲーム知識とは関係ない、ただの——痛み。


「俺の過去を聞いて、どうする」


「……わかりません。でも」


「でも?」


「お母様のこと、話してくれてありがとうございます」


 セシルが微かに目を見開いた。


「——礼を言われるとは思わなかった」


「だって、これはデータにない話ですから。攻略wikiにも——」


 しまった。口が滑った。


「攻略wiki?」


「い、いいえ! ただの例えです! 本の話の例えで——」


「変な女だな」


「よく言われます」


 セシルの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。


 笑った——のだろうか。この人の笑顔を見るのは初めてだ。


「ヴィオラ」


 名前を呼ばれた。今まで「お前」だったのに。


「お前は——不思議だな」


 セシルが立ち上がった。窓際から一歩、私に近づいた。


「逃げないのか、俺から」


 声が変わっていた。「私」ではなく——「俺」。


 公爵としてではなく、セシルという一人の人間として。


 心臓がうるさい。鳥肌が立つ。ゲーム知識が何の役にも立たない、この感覚。


「逃げません」


 なぜそう答えたのか、自分でもわからなかった。


「……そうか」


 セシルが目を伏せた。長い睫毛が影を落とす。


「ならもう少しだけ——ここにいてもいいか」


 「いいですよ」と答えた。声が少し震えた。


 図書室の隅で、二人並んで座っていた。


 何も話さなかった。でも——温かかった。


 これはゲームにないイベント。データにない感情。攻略不可キャラとの、攻略wikiに載らない時間。


 胸の痛みが、心地よい痛みに変わっていた。

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