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悪役令嬢に転生したけれど、攻略不可の公爵様にだけは勝てません  作者: 凪乃


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6/12

致命的なフラグ

 学園の舞踏会。年に一度の大イベント。


 そして——断罪フラグの中で、最も致命的な第三のフラグ。


 「舞踏会での王太子侮辱事件」。


 ゲームでは、ヴィオラが舞踏会で王太子に無礼な発言をし、それが決定打となって追放エンドに直結する。前の二つのフラグは小さな積み重ねだったが、このフラグだけは——一発アウトだ。


 回避策は練り上げた。レティシアとクラウディアにも協力してもらっている。


 ——でも、今回は今までと違う。


 エステルが転生者かもしれないという疑惑。もしエステルが私の回避行動を読んでいるなら、今日の舞踏会で何か仕掛けてくる可能性が高い。


「ヴィオラ様、ドレスの準備ができました」


 レティシアが差し出してくれたのは、控えめな藍色のドレスだ。ゲームのヴィオラは派手な赤いドレスで殿下の目を引き、それが「王太子を誘惑している」という口実に使われた。


 だから——目立たない色を選んだ。


「レティシア、今日の作戦を確認するわ」


「はい! 殿下には近づかない。エステル様とは距離を取る。何か話しかけられても笑顔で短く返す。そして——」


「そして、クラウディアの近くにいる。彼女が証人になってくれる」


「完璧ですね!」


 完璧なはず。ゲーム知識のフル活用。変数も潰した。


 ——問題は、エステルが何を仕掛けてくるか。



 舞踏会場は華やかだった。


 シャンデリアの光。オーケストラの調べ。貴族たちの笑い声。


 ゲームの舞踏会をそのまま再現したような光景——ただし、私の立ち位置だけが違う。壁際で、クラウディアと並んで静かに過ごしている。


「ヴィオラ様、踊らないのですか?」


「今日は見学よ」


「もったいないですわ。せっかくの舞踏会なのに」


「フラグが怖いの」


「フラグ?」


「何でもないわ」


 殿下がエステルとワルツを踊っている。聖女の銀髪が旋回するたびに光を散らす。完璧な二人。ゲーム通りの光景だ。


 一時間が過ぎた。何も起きない。


 これならいける。このまま舞踏会が終われば、三つ目のフラグも——


「ヴィオラ嬢」


 殿下の声が、背後から聞こえた。


 振り返ると、アルベルト殿下が立っていた。エステルは少し離れた場所で微笑んでいる。


「殿下。今宵は素晴らしいお舞踏会ですわね」


「一曲、踊っていただけますか」


 ——え?


 これはゲームにないイベントだ。殿下がヴィオラに踊りを申し込むシーンは、どのルートにも存在しない。


 断る理由を探す。でも、王太子のダンスの申し出を断ることは——それ自体が「侮辱」になりかねない。


 詰んだ。


「……光栄ですわ」


 殿下の手を取った。ゲーム知識が使えない。アドリブで乗り切るしかない。


 ワルツが始まった。殿下のリードは完璧だった。でも——目が、こちらを観察している。


「ヴィオラ嬢。最近、変わりましたね」


「そうでしょうか」


「以前のあなたは、もっと——感情的でした」


「大人になったのですわ」


「エステルが心配しています。あなたが自分を避けていると」


 心臓が縮んだ。これがエステルの仕掛けか。殿下を使って、私に揺さぶりをかけている。


 ゲーム知識ではない、実際の人間関係を操作して——私を追い込もうとしている。


「避けてなどおりません。ただ、それぞれの時間を大切にしているだけですわ」


「そうですか。——では、エステルとも仲良くしてください。あの子は優しすぎて、誰かに嫌われることを恐れているのです」


 優しすぎて——嘘だ。あの聖女は計算で動いている。


 でも、殿下は信じている。それがエステルの最大の武器だ。


「もちろんですわ、殿下」


 笑顔を作った。完璧な令嬢の笑顔を。


 ワルツが終わった。殿下が手を離す。


 ——回避成功。侮辱もしなかった。不用意な発言もしなかった。殿下のダンスに応じつつ、フラグの発動条件を一つも満たさなかった。


 会場の端で、エステルの目が細くなるのが見えた。


 計画通りにならなかった——その苛立ちが、微かに表情に出ていた。


 ——やった。最大のフラグ、回避。


 胸の中で拳を握る。ゲーム知識を総動員した、最も危険な回避成功。


 レティシアとクラウディアが、遠くからこっそり親指を立てていた。



 舞踏会が終わりに近づいた頃、テラスに出て夜風に当たっていた。


 膝が少しだけ震えていた。緊張が解けたせいだ。


「——お疲れのようだな」


 セシルの声。テラスの柱にもたれて、夜空を見上げていた。


「セシル様。今日は舞踏会に参加されていたんですね」


「壁の花だがな」


 壁の花。攻略不可の公爵が、舞踏会で壁の花。似合っているような、もったいないような。


「見事だった」


「え?」


「殿下のダンスの申し出。お前は完璧に切り抜けた。——感情を一切出さずに」


 また見ていたのか、この人。


「褒めていただいて光栄ですわ」


「褒めていない。心配している」


「……心配?」


「お前の笑顔は、あの場のどの笑顔よりも嘘が上手い。それは——疲れるだろう」


 胸が痛んだ。ゲーム知識でも攻略情報でもなく、ただの——人間としての心配。


 言葉が出なくて、夜空を見上げた。


 セシルが何か言おうとしたとき——テラスの反対側に、人影が見えた。


 エステルだ。


 聖女が一人で、テラスに立っていた。月明かりの下で。


 そしてエステルは——笑った。


 聖女の穏やかな微笑みではない。もっと別の——ゲーマーが難しいステージをクリアしたときのような、あの笑い。


 背筋が凍った。


 エステルの唇が動いた。小さく、独り言のように。


「あーあ。失敗しちゃった。——でも、次の手はもう考えてるんだけどね」


 ——日本語。


 この世界の言葉ではない。前世の——日本語。


 聖女が笑った。それは、このゲームのどのルートにもない笑顔だった。


 エステルは転生者だ。確信した。


 そして——彼女は、ゲームを「攻略」する側だ。シナリオ通りに物語を進め、聖女エンドを勝ち取るために。


 私がフラグを壊す者なら、エステルはフラグを仕掛ける者。


 ゲーム知識対決が、今——本当に始まった。

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