台本の外
クラウディア・ヴェルナーは、ゲームでは敵だった。
公爵令嬢。プライドが高く、エステルの取り巻きの一人。断罪イベントでは真っ先にヴィオラを非難する役だ。
——のはずだった。
「ヴィオラ様。先日のパーティでの対応、見事でしたわ」
教室で、クラウディアが話しかけてきた。
金髪をきっちりと編み上げた、いかにも高飛車な見た目。でも——その目は、ゲームで見たクラウディアとは何かが違っていた。
「殿下に対して、感情的にならず事実確認を求めるなんて。わたくし、正直驚きましたの」
「……ありがとうございます」
「ただの社交辞令ではありませんわ。あの場で冷静でいられる人間は少ない。わたくしなら同じことができたかしら、と考えてしまいましたもの」
——え?
ゲームのクラウディアは、こんなこと言わない。断罪イベントではエステル側について、ヴィオラを非難する。それが台本だ。
でも、私はパーティで「台本通りの逆上」をしなかった。冷静に対応した。その結果、クラウディアの反応が——変わった?
「クラウディア様。もしよろしければ、お茶でもいかがですか?」
自分でも驚くような言葉が口から出た。
ゲームの攻略情報が頭の中で警告を出す。この人は敵だ。近づくな。
でも——ここはゲームじゃない。
クラウディアが目を丸くして、それから小さく笑った。
「まあ。お誘いいただけるなんて。——喜んで」
中庭のテラスで紅茶を飲みながら、クラウディアと話をした。
彼女は公爵家の重圧に苦しんでいた。完璧であることを求められ、自分の意見を言えない環境で育った。エステルに従っていたのも、王太子の恋人である聖女に逆らえなかっただけだと。
「——ヴィオラ様は、恐ろしくないのですか? 殿下に逆らって」
「恐ろしいわ。でも、黙って断罪されるよりはましだと思ったの」
「……そうですわね。黙っていれば安全、というわけでもありませんものね」
クラウディアの瞳に、何かが灯った。それは——自分の言葉で話そうとしている人間の目だ。
ゲームでは見られなかった表情。台本にはない反応。
そのとき、テラスの入り口にエステルが現れた。
「あら、クラウディア様。ヴィオラ様とご一緒でしたの?」
聖女の微笑み。完璧に制御された表情。
「ええ、エステル様。ヴィオラ様にお茶に誘っていただきましたの」
「まあ。仲良くしていただけて嬉しいわ」
エステルの目が、一瞬だけ私とクラウディアの間を往復した。計算するような視線。
——クラウディアの取り込みに来たんだ。
ゲームでは、クラウディアはエステルの味方だった。エステルにとっては当然の配下。でも私がクラウディアとお茶をしている。それはエステルの計算にない展開のはずだ。
「エステル様も、ご一緒にいかがですか?」
にっこりと微笑んで誘った。令嬢の仮面は便利だ。
「ありがとう、ヴィオラ様。でも、これから殿下とお約束がありますの。またの機会に」
エステルが去った後、クラウディアが小さく息を吐いた。
「エステル様は——いつもあのように、人の動きを確認なさいますのよ」
「……そうなの?」
「ええ。誰と誰が親しくしているか、常に把握していらっしゃる。悪意があるかどうかは——わかりませんけれど」
情報管理型。ゲームでは描写されなかったエステルの一面が見えてきた。
聖女は、善意だけで動いているのではない。人間関係を把握し、管理し、自分に有利な状況を作り上げている。
それはまるで——ゲームの攻略を、リアルタイムで実行しているような。
胸騒ぎがした。でも、まだ確信には至らない。
ゲームと現実は違う。エステルがただの政治的な聖女なのか、それとも——もっと別の何かなのか。
放課後、図書室に寄った。
もう習慣になりつつある。セシルがいるかもしれない、という期待——ではない。断じて。フラグ回避のための情報収集だ。
棚の間を歩いていると、昨日セシルが読んでいた場所に本が一冊だけ残されていた。
手に取ると、一冊の古い詩集だった。開くと、間に薄い栞が挟まれている。
栞の裏に、端的な字で一言。
『この本を読め。——台本の外にいる人間の話が書いてある』
セシルの字だ。あのメモと同じ筆跡。
台本の外にいる人間。
心臓が鳴った。この人は、どこまで見えているのだろう。
詩集を胸に抱いて、図書室の窓から中庭を見下ろした。
エステルがアルベルト殿下と歩いている。微笑みを絶やさず、殿下の腕に手を添えて。
完璧な聖女。完璧な台本。
でも、今日わかったことがある。
ゲームと現実は、同じではない。クラウディアがそうだったように、この世界の人間は台本通りには動かない。私が行動を変えれば、世界も変わる。
そして——台本の外にいる人が、もう一人いる。
栞の文字を指でなぞった。
セシル・レヴィアンス。攻略不可。データなし。
でも——この人の言葉だけが、ゲーム知識よりもずっと、心に刺さる。
本の間に挟まれていた栞。そこにはセシルの字で——
「お前の読書の趣味は悪くない」
……褒められた? のか?
顔が熱くなるのを感じながら、詩集を鞄にしまった。




