花壇の回避
放課後。中庭の花壇に、聖女エステルの姿があった。
私はそれを二階の窓から確認して、図書室へ向かった。
回避成功——の、はず。
「ヴィオラ様、今日はいつもと違う道ですね」
レティシアが小走りでついてくる。
「気分転換よ」
「昨日も気分転換でしたよね?」
「毎日気分転換したいの」
「……ヴィオラ様、もしかして花壇を避けてます?」
鋭い。この子、意外と勘がいい。
「避けてるわけじゃないわ。ただ、今の時期は花粉が気になるから」
「三月ですよ?」
「早い花粉もあるのよ」
レティシアが納得していない顔をしたが、それ以上は追及しなかった。
図書室の扉を開ける。今日の回避計画は完璧だ。花壇には近づかない。エステルと鉢合わせしない。目撃者もいない。フラグ発生の条件を一つも満たさない。
——ゲーム知識、最高。
席に着いて、昨日の続きの本を開いた。この世界の歴史書。ゲーム内では読めなかった設定資料みたいなもので、なかなか面白い。
三十分ほど読み進めたところで、レティシアが戻ってきた。
「ヴィオラ様! ちょっと面白い話を聞きました」
「何?」
「花壇で、エステル様がお一人で植物のお世話をなさっていたんですけど——途中で誰かを待っていたみたいに、きょろきょろしていたんですって」
きょろきょろ。
——誰かを待っていた?
ゲームでは、この花壇イベントはヴィオラが来ることが前提で設計されている。エステルが花壇にいて、ヴィオラが通りかかり、口論になる。
私が来なかったから、エステルは「来るはずの相手が来ない」状態になった。
待っていた——つまり、エステルは私が来ることを前提にしていた?
偶然ではなく、意図的に?
……考えすぎかもしれない。でも、引っかかる。
「それから、エステル様、少し機嫌が悪そうでした。いつもにこにこしていらっしゃるのに」
機嫌が悪い聖女。ゲームでは見たことがない。エステルは常に聖女らしく穏やかで、それが王太子を含む全員の信頼を勝ち取る武器だった。
でも——私がフラグを回避したことで、台本通りに進まなかった。
その「台本通りに進まないこと」に、エステルが苛立っている?
——まるで、エステルも台本を知っているみたいだ。
いやいや。さすがにそれは飛躍しすぎだ。
「ヴィオラ様? どうかなさいましたか?」
「ううん、何でもない。——ありがとう、レティシア」
フラグ回避、二つ目クリア。
花壇イベント不発。エステルの計画が空振り。断罪に至る材料が一つ減った。
この調子だ。次のフラグも特定して、片っ端から潰していけば——
「今日は遠回りだな」
背後から声がして、心臓が止まりかけた。
振り返ると、本棚の陰からセシルが現れた。いつの間にいたのか全くわからなかった。
「れ、レヴィアンス公爵——」
「昨日は東棟の廊下。今日は西棟の図書室。普段使わない経路だろう」
「……なぜ、そんなことを?」
「俺は観察するのが好きでね」
セシルが向かいの椅子に座った。長い脚を組んで、本棚から適当に一冊抜き取る。
「お前の行動パターンが変わった。断罪の日から」
——やばい。
この人、私の行動を追跡している。それも、パターンの変化まで分析している。
ゲーム知識でフラグを回避している——そのこと自体はバレていないはず。でも、行動の不自然さは見抜かれている。
「気のせいですわ。私はいつも通りですけれど」
「嘘だな」
端的に言い切られた。
「お前は何かを知っていて、それに基づいて行動を変えている。まるで——先の展開を読んでいるように」
息が詰まった。
核心に近い。あまりにも近い。
でも、セシルはそれ以上追及しなかった。視線を本に落として、静かにページをめくり始めた。
「別に答えなくていい。ただの感想だ」
感想って——人の行動パターンを分析しておいて、感想で済ませるの?
何も言い返せないまま、私も本に視線を戻した。
心臓がうるさい。フラグ回避の緊張とは違う種類の動揺。この人の前にいると、ゲーム知識が全く役に立たないのだ。
攻略不可。データなし。予測不能。
——なのに、この人だけが私の「本当の姿」に近づいてくる。
窓の外で、中庭のエステルが花壇の土を払っていた。
その横で、日記帳のページが風でめくれた。
次の「イベント」は——もう、始まっているのかもしれない。




