データにない人
翌朝、学園の図書室で攻略wikiの記憶を掘り返していた。
セシル・レヴィアンス。公爵家当主。
ゲーム辞典の記述はたった一行。「冷徹な性格のため攻略ルートなし。学園パートでは背景に時折登場する」。
——それだけ。攻略wikiにも追加情報なし。ファンの考察スレでも「あの背景にいる黒髪の人」程度の扱い。
なのに、あの人は私に話しかけてきた。「なぜ笑わなかった」と。
背景キャラがプレイヤーに話しかけるなんて、ゲームではありえない。
——ここは、ゲームじゃないんだ。
当たり前のことを、改めて突きつけられた気分だった。
「ヴィオラ様! お探ししました!」
図書室の入り口から、明るい声が飛び込んできた。
栗色の髪をお団子にまとめた少女——レティシア。私付きの侍女だ。
ゲームでは名前すら出てこなかったキャラだけど、こうして実際に会うと、くるくるとよく動く目と元気な声が印象的な子だった。
「朝から図書室にいらっしゃるなんて。何かお調べですか?」
「ちょっとね。——ねえ、レティシア。セシル・レヴィアンス公爵のこと、何か知ってる?」
「レヴィアンス公爵ですか? ええと……人嫌いで有名な方ですね。学園にはほとんどいらっしゃらないのに、なぜか在籍はされていて。舞踏会にもお出にならないし、誰とも親しくしないと聞いています」
「誰とも?」
「はい。話しかけた令嬢が一言で追い返されたとか。騎士団長の息子が決闘を申し込んで断られたとか。——あ、でもこの前のパーティにはいらしていたみたいですよ?」
昨日のパーティ。断罪イベントの場に、セシルがいた。
ゲームにはセシルがあのイベントに出席する描写なんてない。もともと背景キャラだから、いてもいなくても物語に影響しない——はずだった。
「ヴィオラ様、もしかしてレヴィアンス公爵に何か言われましたか?」
「——少しだけ」
「まあ! あの方が自分から話しかけるなんて。珍しいこともあるものですね」
レティシアが目を丸くしている。
珍しい。確かにそうだろう。データにない人が、データにない行動をしている。
でも、今はセシルのことより先にやるべきことがある。
「レティシア。ちょっと聞きたいんだけど——最近、エステル様の周りで何か変わったことはない?」
「聖女様ですか? そうですね……あ、そういえば。明日の放課後、聖女様が中庭の花壇で植物の世話をなさるそうです。毎週のお務めなんですって」
花壇。
記憶が反応した。第3章の断罪イベントの後、次に発生するフラグは——「花壇での聖女いじめ疑惑」。
ゲームでは、ヴィオラが花壇でエステルと鉢合わせし、口論になる。その様子を他の生徒が目撃し、「悪役令嬢が聖女をいじめている」という噂が広まる。
これが第二の断罪フラグ。
——回避策はシンプルだ。花壇に近づかなければいい。
「レティシア、明日の放課後なんだけど、私に予定を入れてくれない?」
「予定、ですか?」
「そう。図書室で読書でもいいし、教室で刺繍でもいい。とにかく中庭に行かない用事を」
「承知しました! あ、でもヴィオラ様、刺繍はあまりお得意ではないのでは——」
「……図書室にして」
レティシアがくすくす笑った。この子は遠慮なく突っ込んでくるタイプらしい。嫌いじゃない。
フラグの特定と回避策。一つ目は昨日クリアした。二つ目も目処が立った。
この調子で全部のフラグを潰していけば、断罪エンドは回避できる。
——理論上は。
問題は、ゲームと現実がどこまで一致しているか。昨日のパーティでも、細かい部分がゲームと違っていた。エステルの表情とか、殿下の反応とか。
そして何より——セシル・レヴィアンスの存在。
考えていると、図書室の扉が開いた。
足音もなく。気配もなく。
気づいたときには、隣の席にセシルが座っていた。
「——っ!?」
「騒ぐな。図書室だ」
「い、いつから——」
「今」
セシルは一冊の本を開いて、視線を落とした。まるで最初からそこにいたかのように自然に。
隣。よりにもよって隣の席。図書室にはいくらでも空席があるのに。
——この人、なんで私の隣に?
ゲーム知識を検索する。セシルの行動パターン——データなし。好感度イベント——存在しない。攻略不可キャラの行動原理——不明。
何一つ参考になる情報がない。
レティシアが向かいの席で目を白黒させている。
セシルはページをめくるだけで、何も話しかけてこない。
沈黙が続いた。居心地が悪い。でも——不思議と、嫌ではなかった。
十分ほど経って、セシルが本を閉じた。
「——また来る」
それだけ言って、図書室を出て行った。
残された私とレティシアが、顔を見合わせた。
「ヴィオラ様……今の、何だったんでしょう?」
「わからない」
本当にわからなかった。データにない人が、データにない行動をしている。予測も対策もできない。
立ち上がろうとして、セシルが座っていた席を見た。
テーブルの上に、小さなメモが置かれていた。
端的な字で、一言だけ。
『お前はいつも、何かを避けているように見える』
心臓が跳ねた。
——バレてる? いや、具体的に何かを知っているわけじゃない。でも、あの人は見ている。私の行動の「不自然さ」を。
攻略不可の公爵は、データにないくせに——やたらと観察力が鋭かった。




