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悪役令嬢に転生したけれど、攻略不可の公爵様にだけは勝てません  作者: 凪乃


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11/12

勝てないという幸福

 公開授業の一件から、三日が過ぎた。


 学園の空気が変わっていた。エステルを見る目が変わり、私に向けられる囁きが減った。


 でも、それは今——あまり気にならなかった。


 気になっていたのは、別のこと。


 あの日の図書室でセシルが言った言葉が、ずっと頭の中で反響している。


 「理由なんか要らない。俺がお前のそばにいたいだけだ」


 ——どういう意味?


 いや、言葉通りの意味だ。わかっている。わかっているけど——心が追いつかない。


 ゲーム知識を検索しても答えは出ない。攻略不可キャラの好感度イベントなんて、存在しないのだから。


 放課後。図書室に向かう足が、いつもより速かった。


 扉を開けると、セシルがいた。いつもの窓際の席。


 目が合った。


「——来たか」


「……来ました」


 隣に座る。もう何度目かわからない。でも今日は——心臓がうるさい。


 本を開いた。文字が頭に入らない。


「ヴィオラ」


「はい」


「この前の公開授業。——見事だった」


「ありがとうございます。でも、一人ではできませんでした。クラウディアとレティシアのおかげです。——それに、セシル様にも」


「俺は何もしていない」


「嘘です。審問の日、助けてくれました。あの日から——私は、一人じゃないと思えるようになりました」


 セシルが黙った。


 窓の外に目をやる。午後の光が、セシルの黒髪を柔らかく照らしている。


「セシル様に——お礼が言いたかったんです。ちゃんと」


「礼は聞いた。何度も」


「もう一回だけ。——ありがとうございます」


「……しつこい女だな」


 セシルの声が、いつもより柔らかかった。


「セシル様」


「何だ」


「あの日、『そばにいたい』と言ってくださいましたよね」


 セシルの指が、本のページの上で止まった。


「——言った」


「あれは——どういう意味ですか」


 聞いてしまった。心臓がうるさすぎて、自分の声が遠くに聞こえる。


 セシルが本を閉じた。


 ゆっくりと、こちらを向いた。


「言葉通りの意味だ」


「言葉通り——」


「お前のそばにいたい。それ以上でも以下でもない」


「それは——」


「俺は言葉を飾らない。お前も知っているだろう」


 知っている。セシルはいつも端的で、必要なことしか言わない。だからこそ——その言葉は、全て本気だ。


「ヴィオラ」


「はい」


「傍にいろ」


 短い。たった五文字。


 でも——


 胸の中で、何かが溢れた。


 ゲーム知識が何の役にも立たない。攻略情報もない。データもない。


 ただ——嬉しい。嬉しくて、胸が苦しくて、目の奥が熱い。


「……攻略不可に、攻略された」


「何だ?」


「い、いえ! 独り言です!」


「お前の独り言は声が大きい」


「聞かなかったことにしてください」


「無理だな」


 セシルの口元が緩んだ。笑っている。この人が笑うと、切れ長の目が少しだけ細くなる。


 ——ずるい。こんなの、勝てるわけがない。


「セシル様」


「何だ」


「私も——あなたのそばにいたいです」


 声が震えた。令嬢の仮面が、完全に外れていた。


 セシルが手を伸ばした。私の手に、指先が触れた。


 冷たい手。でも——温かかった。


「やっと言ったな」


「……待っていたんですか?」


「待っていた」


「いつから」


「図書室で、隣に座った日から」


 あのEP2の日から。ずっと。


 涙が出そうになった。泣いたら台無しだと思ったのに。


「泣くな」


「泣いてません」


「嘘だな」


「……少しだけ」


 セシルの指が、目の端に触れた。涙を拭うように。


 図書室の午後の光の中で。


 攻略不可の公爵が——たった五文字で、私を攻略した。


 「勝てない」の意味が、変わった日だった。


 断罪フラグでもない。ゲームの知識でもない。


 ただの——恋に、負けた。


 それが——こんなにも、幸せだなんて。

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