ゲームオーバー
エステルの最後の策略が発動したのは、学園の公開授業の日だった。
王族や高位貴族が見学に訪れる、年に一度の行事。この場で問題を起こせば、学園追放どころか社交界からの永久追放になる。
——だから、エステルはこの日を選んだのだ。
「ヴィオラ様! 大変です!」
レティシアが息を切らせて駆けてきた。
「殿下が——公開授業の場で、ヴィオラ様への糾弾を行うと——」
「糾弾? 何の?」
「金庫の件です。エステル様が新しい証拠を——偽造したものだと思いますが——殿下に提出したそうです。公開の場で、貴族たちの前で断罪すると」
血の気が引いた。
公開授業での糾弾。これはゲームにないイベントだ。エステルが完全にゲーム外の手段で動いている。
フラグ回避のためのゲーム知識が——使えない。
「クラウディア」
「はい、ヴィオラ様」
クラウディアが既に横にいた。準備はできている、と目が言っている。
「エステルの偽造証拠。崩す方法はあるわ」
「金庫の鍵の管理記録ですね。わたくしが図書委員会の記録を調べました。ヴィオラ様が鍵を返却した時刻は——夕方の五時です。金庫が開けられた夜十一時には、鍵はヴィオラ様の手元にありません」
「それを公の場で提示する。——でも、それだけじゃ足りない」
エステルは聖女だ。証拠の矛盾を示しても、聖女の言葉を信じる人間は多い。
必要なのは——エステル自身の信頼を揺るがすこと。
「レティシア。一つ頼みがあるの」
「何でもやります!」
「エステルが夜中に校舎にいた記録を探して。金庫が開けられた夜の十一時に、エステル自身がどこにいたか」
レティシアの目が光った。
「……なるほど。鍵がなくても、金庫の近くにいた人間がいれば——」
「そう。犯人候補はもう一人いるってこと」
公開授業の大講堂。貴族たちが並ぶ中、殿下が立ち上がった。
「諸侯の皆様の前で、一つ報告がございます。学園の金庫に不正な侵入がありました。容疑者は——ヴィオラ・クレスティア嬢」
講堂がざわめいた。
エステルが殿下の隣で、悲しげに目を伏せている。完璧な聖女の演技。
——さあ。始めよう。
「殿下。事実確認をさせてください」
立ち上がった。声が震えないように、腹に力を込める。EP1と同じだ。冷静に、事実で。
「まず、金庫の鍵について。図書委員会の管理記録によれば、鍵は夕方五時に返却されています。夜十一時に金庫が開けられたとすれば、その時点で鍵は私の手元にはありません」
管理記録の写しをクラウディアが差し出した。教師が確認する。
「……確かに、返却記録があります」
殿下の眉が動いた。エステルの目が微かに揺れる。
「では——エステル様の目撃証言について。エステル様は、私を夜中に校舎で見たとおっしゃいました。しかし前回の審問で、その証言は撤回されました。具体的な時刻も場所も示されなかったからです」
「それは——記憶違いだったと」
「ええ。記憶違いは誰にでもあります。——では、エステル様ご自身は、その夜どこにいらしたのでしょう?」
講堂が静まり返った。
エステルの微笑みが——一瞬だけ、固まった。
「わたくしは、部屋で休んでおりました」
「そうですか。——では、この記録は何でしょう」
レティシアが見つけてくれた記録。学園の門番の巡回記録。
「夜十時半。女子寮の出入り記録に、エステル様のお名前があります。外出なさっていますね。金庫の開封時刻の三十分前に」
講堂がどよめいた。
エステルの顔から、微笑みが消えた。
「——それは、少し夜風に当たりたくて——」
「夜十時半に、金庫のある校舎の方角へ?」
沈黙。
殿下がエステルを見た。初めて——疑問の目で。
「エステル。——本当のことを話してくれ」
「殿下、わたくしは——」
「ヴィオラ嬢の鍵の返却記録は確かだ。お前の外出記録も確かだ。——なぜ、お前が外に出ていたことを言わなかった」
エステルが口を開いた。閉じた。
聖女の仮面が——ひび割れていく。
「……わたくしは、ただ——」
言葉が続かなかった。
初めてだった。エステルが、言葉を失ったのは。
殿下が立ち上がった。エステルの手から——そっと、手を離した。
それは大きな動作ではなかった。でも、講堂にいる全員が見ていた。
王太子の手が、聖女の手から——離れた。
エステルの計画が崩壊し始めた瞬間だった。
講堂を出た後、廊下で息を吐いた。
「やりましたね、ヴィオラ様!」
レティシアが飛び跳ねている。
「クラウディアの記録と、レティシアの調査のおかげよ」
「ヴィオラ様の判断力です」
クラウディアが微笑んだ。
——ゲーム知識だけじゃなかった。現実で得た仲間の力。それが今日の勝因だ。
廊下の奥に、セシルが壁にもたれて立っていた。
目が合った。
セシルは何も言わなかった。ただ——小さく頷いた。
「よくやった」と、その頷きが言っていた。
聖女の「ゲームオーバー」が、始まった。




