断罪と覚醒
——ヴィオラ・クレスティア。あなたの罪を、ここに明らかにします。
パーティ会場の中央で、王太子アルベルト殿下の指がまっすぐ私を指していた。
周囲の貴族たちが一斉にこちらを見る。囁き声。扇の陰に隠れた嘲笑。
そして、殿下の隣で控えめに涙を拭う銀髪の聖女——エステル。
ああ。
知ってる。
——これ、断罪イベントだ。
頭の中で、何かが弾けた。前世の記憶が、濁流のように押し寄せてくる。
残業続きのオフィス。コンビニ弁当。そして深夜にプレイし続けた乙女ゲーム『星降る学園のエトワール』。
全ルートクリア済み。隠しエンドも回収した。攻略wikiにも貢献した。
そのゲームの——第3章、悪役令嬢断罪イベント。
私はそのイベントで断罪される側。悪役令嬢ヴィオラ・クレスティア。
やばい。これ詰んでない?
「ヴィオラ嬢。聖女エステルへの度重なる嫌がらせ——あなたはどう申し開きをするのです」
殿下の声が会場に響く。台詞もゲームとほぼ同じだ。
ゲームではここでヴィオラは逆上する。「わたくしは何もしておりません!」と叫んで、それが火に油を注いで、最終的に追放エンドに突入する。
——だめだ。同じことをしたら同じ結末になる。
深呼吸した。前世の記憶が、攻略情報として頭の中に整理されていく。
断罪フラグの発生条件。回避に必要な選択肢。このイベントでの最適解。
——逆上しないこと。冷静に対応すること。そして、証拠を求めること。
「殿下」
私は背筋を伸ばした。声が震えないように。令嬢らしく、穏やかに。
「具体的にどのような嫌がらせがあったのか、教えていただけますか」
会場がざわついた。ゲームのヴィオラは感情的に否定するだけだった。証拠を求めるなんて、シナリオにはない。
殿下の眉が微かに動いた。
「——それは、エステルが」
「はい。エステル様が何をおっしゃったのか、具体的にお聞かせください。私が何をしたのか、いつ、どこで、誰の前で——そういった事実を確認させていただきたいのです」
エステルの目が一瞬だけ細くなった。すぐに悲しげな表情に戻ったが、その一瞬を私は見逃さなかった。
——ゲームの画面越しには見えなかった表情だ。
「殿下、ヴィオラ様は何もおっしゃっていないのです。ただ……わたくしのことが、お嫌いなのだと——」
「嫌いなどと申した覚えはございませんわ」
にっこりと微笑む。悪役令嬢の仮面が、今は味方になってくれる。
「エステル様のことは、聖女として敬っておりますもの。もし何か誤解があるのでしたら、きちんとお話しさせてください」
殿下が言葉に詰まった。具体的な証拠がないまま断罪したのだ。ヴィオラが冷静に対応すれば、殿下の方が不利になる。
周囲の囁きの質が変わった。嘲笑から、困惑へ。
「……この件については、改めて確認しましょう」
殿下がそう言って、イベントは中断された。
断罪——回避。
心臓がうるさい。手のひらが汗でびっしょりだ。でも、表面上は令嬢の微笑みを崩さない。
会場を辞する。廊下に出た途端、膝が笑い始めた。壁に手をついて息を整える。
——やった。回避できた。ゲーム知識が通じた。
これなら、他のフラグも回避できるかもしれない。断罪されなければ、追放エンドにはならない。
頭の中で次のフラグの発生条件を思い出そうとしたとき——
「——なぜお前は、あの場で笑わなかった?」
低い声が、廊下の暗がりから聞こえた。
振り返ると、壁にもたれるように一人の男が立っていた。
黒髪。切れ長の目。学園の制服ではなく、軍服に近い黒い外套。貴族にしては無駄のない体格で、まるで剣士のようだった。
——誰?
記憶を漁る。ゲームの攻略対象データベースを脳内で検索する。アルベルト殿下、騎士団長の次男、学園の教師——違う。どの攻略対象とも一致しない。
もっと広く。攻略対象以外のキャラクターリスト。サブキャラ。モブ。背景設定——
あった。
公爵家当主。ゲームの辞典に一行だけ。「冷徹な性格のため攻略ルートなし」。
名前は——セシル・レヴィアンス。
ステータス:攻略不可。
「笑わなかった——とは、どういう意味でしょうか」
「あの場にいた人間は、二種類しかいなかった。お前を嗤う者と、聖女に同情する者だ。お前はどちらでもなかった」
セシルの目が、まっすぐ私を捉えていた。
データにない目だ。ゲームの一行説明からは想像もできない——深い、静かな目。
「……私はただ、事実を確認しただけですわ」
「そうだな。だから聞いている。——なぜお前だけが、冷静でいられた」
答えられなかった。「前世でこのゲームを全クリしたからです」なんて言えるわけがない。
セシルはそれ以上追及しなかった。壁から体を離し、廊下の奥へ歩き去る。
その背中を見送りながら、心臓が別の理由で速く打っていることに気づいた。
攻略不可——ゲーム辞典にそう書かれていた名前が、目の前にいた。
データにない。行動パターン不明。予測不能。
断罪フラグは回避できた。でも——この人に対しては、私のゲーム知識が全く役に立たない。
それが何を意味するのか、この時の私にはまだわからなかった。




