第四話「月面のリーペンワープ」
強い風、衝撃。
領主メリッサ・ハートメイは咄嗟に操作台を掴む。
それは、街の付喪神の少女を抱きかかえる形となった。
この少女はなぜか、メリッサに強く懐いていた。
――うっ、ごはっ!
なにが起きていますの!?
肺から空気が、抜かれていきますわ!
乱暴ですこと!
でも抗えば私の肺が負荷に!
ならば、閉じ込めればいいのですわっ。
――仮想魔術『深海甲冑』!
設計図がメリッサの身体を貫く。
輝く半実体の甲冑が彼女の身を包み、急場しのぎの呼吸を取り戻す。
風が暴れ、大気が渦巻き、一斉に外へ逃げ出す。
機関制御室にいた誰もが、その理由を理解できない。
だが、諦めたら死ぬ。
それだけは明白だった。
時間は稼ぎましたわよ。
さあ私、ここからなにができますの?
メリッサは目の前の星脈地図に目を向ける。
……これは?
月と地王星を繋ぐ星脈の中、月面のすぐ上に独特の反応がある。
――ダンジョン反応ですこと?
ダンジョンは不可思議な現象を起こす……いえ、考えている暇はありませんわ!
メリッサは暴れる風に抗いながら、その座標をロックした。
この魔力残量……ギリギリですが足りますわ。
あとは、どうやって操舵席まで辿り着くかですわね。
近くて遠い。
暴れる風に行く手を阻まれ、メリッサは身動きが取れない。
研究員たちは深海甲冑すら身につけていない。
意識を手放した者もいる。
――そうですわ!
メリッサは少女を見た。
髪は乱れている。
だが、風の影響は受けず、ただメリッサを興味深そうに見つめている。
……呑気なことですわね?
とにかく、省人化の役に立ってもらいますわ!
(跳びなさい!)
少女は首を傾げる。
……声が、届いてませんの?
メリッサは気づいた。
吹き荒れる風が見えるのに、静寂。
音のない世界、ですって?
じゃあ、これでどうですこと!
――仮想魔術『跳んで!』
メリッサが出した仮想魔術の設計図。
そこに描かれていたのは設計ではなかった。
『跳んで!』
少女の顔がぱっと明るくなる。
機関制御室の照明が瞬く。
その瞬間、リーペンワープは跳躍プロセスに入った。
誰の操作も受けていない。
少女が、街の付喪神が、自らの身体である街を操っているのだ。
荒狂う風は止み、メリッサはその場に倒れ込む。
……ギヤマン教授、これがあなたのご研究ですの?
月に連れてきたのも、この子ですわね?
理由は――私を買い物に行かせないためでして?
子供のやることはわかりませんわ……。
メリッサは鍵を閉められた時のことを思い出す。
今度は街ごと月に閉じ込められたのだ。
この少女を生み出したのは眼鏡の付喪神、ブリレ・ギヤマン。
彼女のせいで酷い目に遭いましたわ。
でも、省人化は……必要かもしれませんわね。
貸しひとつ、借りひとつですことよ。
リーペンワープはダンジョン内への浮上プロセスを進める。
当然、魔物やトラップの危険もある。
『慎重に!』
メリッサは仮想魔術で指示を出す。
深呼吸をするかのように、街へ大気が吹き込む。
それに合わせて、少女も深く息を吸い込んだ。
魔力流の歪みが晴れ、メリッサは目を見張った。
ダンジョンの天井は青空。
大地は緑豊かで、花が咲き乱れていた。
*
「よくやりました、ですわ」
メリッサが少女の頭をくしゃくしゃと撫でる。
リーペンワープでは数十名が失神したほか、肺の負傷が十数名。
割れた窓や、飛ばされた魔動器などによって負傷した者も多く出た。
現在、医療班によって手当てが行われているところである。
幸いなことに死者は出なかった。
「メリッサ様。
探査班、防衛班、準備完了です」
「ご苦労さまですわ、マレン」
犬人の騎士、マレン・クーバー。
その白い長毛は煤けて乱れ、ところどころ赤い血が滲んでいる。
大柄な彼は、その身を挺して数名の住民を庇っていたらしい。
冒険者パーティが城門の前にかき集められている。
「先遣隊の報告では、魔物の姿はなし。
地上では見当たらないほど豊かな大地、とのことです。
それと――」
マレンは一拍置いた。
「――巨大なアジサイが目を引いた、との報告が」
「楽しみですわね。魔力があれば抽出して、帰りの燃料にしましょう」
メリッサはそう言うと、少女の手を引いて修理に向かう。
リーペンワープ中が悲鳴をあげて彼女を待っているのだ。
最初に修理すべきは城壁の上、バリスタですわね。
魔物はいないらしいですけれど、ここはダンジョンの中、守りは固めたいですわ。
改めて景色を眺める。
灰色の世界のダンジョンとは思えない。
まるで、地王星の生命力を集めて組み上げた、そんな世界。
……面白いですわね。
ダンジョンの中にある青空、光の筋が疾る。
地上では見たこともない現象ですわ。
その光は、遥か山の向こうへ消える。
さ、修理をはじめますわよ!
メリッサは仮想工具箱を取り出し、バリスタの修理にあたる。
この装置、普通のバリスタには付いてませんわね?
*
――ふぅ。
残っていたバリスタは十数台。メリッサはそれらを、ほぼ使える状態に戻して一息つく。
実験的な装置も付いていて、面白い修理でしたわ。
その時だった。
青空が一瞬で黒く染まる。
太陽は消え、不気味な赤い満月が浮かぶ。
――なにが、起きてますの?
ゴォォォォォ……。
地響きと共に豊かだった大地が枯れていく。
瞬きの間に夏が秋に変わるかのように、全てから生命力が抜けていく。
巨大なアジサイからも、生命が消え去った。
ウォォォオオオオン……!
遠吠えに振り返ると、声を上げるマレンの姿があった。
「マレン!」
「探査班を呼び戻さないと!
これが一番、声が通ります!」
……通信・放送設備は故障中、確かにそうですわ!
「探査班、帰還!
城門、閉鎖します!」
「戦える者は配置へつけ!」
マレンの指示が飛び、リーペンワープは戦闘体制に入る。
近接戦士と攻撃魔術士は城門へと走る。
バリスタ隊と弓隊、魔術工兵は城壁へ駆け上がる。
また、治療を終えた負傷者も順次戦列へ戻ってくる。
メリッサもバリスタのひとつに張り付いた。
……直し方しか知りませんけど、機械ですもの。なんとかなりますわ!
空気に熱が篭る。
夜の闇と、バリスタを引き絞る音が街に響く。
メリッサも少女を抱えてバリスタを構える。
安心させようと、少女の目を見る。
赤色警報と同じ、真紅の瞳が見つめ返した。
冒険者の男が叫ぶ。
「くるぞ!」
地面が蠢いた。
墓場から蘇るが如く湧き出る白骨が、ラプトルの群れを成す。
「撃て!」
マレンが命じる。
メリッサはバリスタ隊、弓隊と共に第一射に加わった。
……合戦は彼の専門ですものね、あの装置は後回しですわ。
骨の群れを矢が貫き、砕ける。
だが、勢いは衰えない。
魔術工兵は空堀を広げ、リーペンワープへ迫る白い波を喰い止める。
「第二射、用意!」
メリッサたちは矢をつがえ、ハンドルを回し、バリスタを引き絞る。
このハンドル、そこらの令嬢なら動きもしないのではなくて?
「撃て!」
第二射、命中、骨が砕ける。
しかし、スケルトン・ラプトルの波は止まらない。
中には矢を通さないアンキロ・スケルトンもいる。
岩の槍衾が、奴らの尾槌に砕かれる。
……しぶといですこと。
再び矢をつがえる。
矢弾の数も豊富ではない。
「――領主様。うちの子は無事?」
「ん〜っ」
声をかけたのは眼鏡の付喪神、ブリレ・ギヤマンだった。
人の姿は付喪神のアバターだけあって、一切の乱れも怪我もないようだ。
彼女は数名、魔術士にしては屈強な冒険者を引き連れている。
少女はメリッサにしがみつく。
「ギヤマンさん! この子は元気よ。
……後ろの方々は?」
「ポーションで無理やり叩き起こした魔術砲兵隊よ。
――全員、配置について」
バリスタ隊と魔術砲兵隊が交代する。
メリッサはそのまま魔術砲兵隊へ組み込まれた。
マレンが命じる。
「バリスタ、魔術モード起動しろ!」
きましたわ!
あの実験的な装置、これで効果をみられますわね!
メリッサも嬉々としてスイッチを入れる。
魔術モードは術者の魔力を消費する。
矢弾の代わりに、きつく巻き上げられた魔法陣――魔術の矢を放つのだ。
魔法陣の術式はバリスタの弦爪に組み込まれている。
さっきの修理の時、メリッサはこっそり生成効率を八%ほど高めておいた。
「第三射、用意」
バリスタのハンドルを回すたび、弦爪が淡い光の糸を紡ぎ出し、輝く矢を編み上げていく。
「撃て!」
「さあ、工学の反撃ですわよ!」
メリッサたちは、魔術の矢を放った。
着弾すると共に轟音が響く。
矢が、爆発したのだ。
何十体ものスケルトン・ラプトルが砕け散り、白煙と化す。
鉄壁の防御を誇っていたアンキロ・スケルトンすら、爆風の前に崩れ去った。
「第四射、用意――撃て!」
「第五射、用意――撃て!」
「――城門を開け!」
マレンが鬨の声を上げる。
「迎撃隊、出撃せよ!」




