第十二話「蜜と毒」
「ゾーロンさん!
宝の後のボスに心当たりはおありで?」
「ごほっ……知らねえ!
不意打ちかますダンジョンなんて……」
領主メリッサ・ハートメイの問いに、千潜りの召喚士ゾーロンは言葉を切った。
眉間に深い皺を寄せる。
「生きて帰ったやつがいねえだけかもな」
調査班がリーペンワープへ帰った時、住民は犬人の騎士マレン・クーバーの指揮で城へ避難していた。
だが、石壁に完璧な気密性はない。
外界を覆う毒が、城内に残った清浄な大気を蝕み始めていた。
今や各所から、咳き込む声が聞こえてくる。
「領主様。ごほっ。
これじゃ、長くは持たないわよ」
草人の医師アコラ・ニタムが報告にくる。
その顔には月面跳躍の後よりも濃く、疲れが浮かんでいる。
「そうですわね。
まずは城内の空気をなんとかしますわ。
マレン!」
「どうしましたか――ごふっ」
マレンまで咳き込んでいるのですか。
本当に限界が迫っていますのね。
「機関士を集めてくださいまし。
……無理しないで――」
「わかりました、ごふっ」
マレンは領主の言葉を遮って、機関士たちを集めに向かった。
その背中をメリッサと街の付喪神リッペが見送る。
「ん……」
*
「ギヤマンさん。
もし全滅した場合、あなたに帰還を託すことになりますわ」
「領主様、私はこんなボロ、操縦する気ないわよ」
「あなたの娘でもありましてよ?」
「少しは察しなさい」
「ん、ん」
私は今からできる手を尽くしているだけですわ。
死んで帰る気なんて、毛頭ありませんことよ?
メリッサは眼鏡の付喪神ブリレ・ギヤマンと、城の空調機関を調整しに向かう。
もちろん、リッペも連れてきた。
ギヤマンは眼鏡の付喪神で、リッペは街の付喪神。
二人の本体は毒の影響を受けないはずだ。
「ま、医師と機関士は、まだ見ぬ最悪を見つめる者だわ。
でも、あなただって私の教え子だと思ってるから。
――死なないで」
「ん」
「……ギヤマンさん。ダクトですわ」
二人は狭いダクトを通って、第三空調機関の収まる空間へ辿り着く――はずだった。
「……くっ。
なんですの、この熱気」
「調査班の報告にあったわね。外気温が上がってるって」
空調機関が近寄りがたい熱気を吐き出していた。
部屋にはもはや、足を踏み入れることすらできない。
「私が行きますわ。
仮想魔術『強化外骨格』」
青い設計図が展開される。
「待ちなさい」
ギヤマンが眼鏡――自分の本体を外して、メリッサにかける。
彼女の指が眼鏡から離れた瞬間、その姿がすっと消えた。
「ギヤマン、さん?」
(私、眼鏡だから)
メリッサの頭の中に、ギヤマンの声が響いた。
(この機関、魔力消費が多いでしょ。
一緒にいくわ)
「――感謝いたしますわ」
二人を設計図が通り抜け、青い半実体の重機に包まれる。
「んっ、んっ!」
その背中に、リッペも乗り込む。
特殊作業用強化外骨格《冷》だ。
改十をベースに冷却機関を組み込んだ、メリッサが設計したばかりの仮想魔術である。
ギヤマンの言う通り、消費魔力は改十の比ではない。
「「工具手腕!」」
「んーん、んんん!」
街を救うための作業がはじまった。
*
「嬢ちゃん、こっちだ! ごほっ」
ゾーロンが叫ぶ。
メリッサは改十を操って、傷病者の搬送を行なっていた。
「いま行きますわ――マレン!」
彼女は鉄の腕で大柄な白い犬人、マレン・クーバーを抱き上げる。
「ごふっ、ごふっ。
申し訳ございま――ごふっ」
「よく頑張りましたわ。
必ず救いますから、ゆっくりなさいまし!」
「ん!」
対策に奔走した彼は、毒の影響をひどく受けていた。
メリッサたち以外の作業班は、熱気に阻まれ空調機関に近寄ることができなかった。
第三空調機関が守る城の食堂周辺が、最後の砦となっていた。
「――アコラさん。
あなたがいて助かりましたわ」
「まだ、助かってない。
……引き伸ばせるだけよ」
重症者区画で、アコラが待っていた。
「処置を始めるわ」
アコラが精神を集中する。
彼女の周りに魔力の糸が舞い、俄かに風が起こる。
手を前に掲げ、静かに目を開く。
「――天然魔法陣『仮初の死』」
魔力の糸が複雑に絡まり、不規則な立体を形作る。
それがマレンの体に吸い込まれると、息と鼓動が次第に遅くなる。
「処置、完了」
アコラの肩から力が抜ける。
マレンは文字通り、死んだように眠っている。
「アコラさん、感謝いたしますわ」
「この魔術、あんまり好きじゃないのよ。ごほっ。
毒みたいなもんだし。
――ちょっといい?」
アコラは怪訝そうにメリッサを見る。
「領主様、咳は?」
「……まだ、出ていませんわ」
アコラは考え込むと質問を続ける。
「ここに調査班だった患者はいる?」
……わかりませんわ。
メリッサは人の顔を覚えるのが苦手だった。
「セレアレ!」
アコラはすぐ、訊く相手を切り替える。
緑髪の元仮聖女セレアレも重症者の看病に回っていた。
「先生、どうしました?」
「……ここに調査班だった患者はいる?」
「いませんね」
「あなた、咳は?」
セレアレはちょっと考える。
「まだ、ですね」
「領主様、朗報よ。
調査班だけ、毒に強くなってるかも。
――次!」
アコラはそう言い残して、セレアレと共に次の患者へ向かっていった。
調査班だけ、毒に耐えてますのね。
蜜は、第二研究室でしたわ。
城の反対側ですわ……。
そもそも、なぜ耐えてますの?
――試すしかありませんわね!
「ギヤマンさん、いらして!?」
*
「領主様!?」
研究員の脇を、実験用強化外骨格《対毒》が駆け抜ける。
さっきつくったばかりの《冷》を今回の実験用に拡張した実験機だ。
驚きの声を背に、危険地帯の中へ飛び込んでいく。
当然、中にいるのは領主メリッサだ。
背中にはリッペを背負い、付喪神の眼鏡ブリレ・ギヤマンをかけている。
「ごほっ。すごい毒気ですわね。
ギヤマンさん。
――実験、はじめますわよ!」
(わかったわ。
セレアレの言ってた地王星の魔力とやらを流せばいいのね)
メリッサは地王星に由来するという蜜の魔力を、特別なものとして感じ取れなかった。
だが、魔術指導の経験が豊富なギヤマンにはわかるらしい。
調査班の魔力で感覚を掴んだのだという。
「魔力計、反応確認しましたわ。
蜜の効果を確かめますわよ。まずは、防毒フィルター!
……失敗ですわね」
「んむ〜」
空気中の毒素を浄化する防毒フィルター。
最有力候補だったが、刺激臭が消えない。
――次ですわ。
メリッサは装備を換装する。
(了解、次の実験に移るわ)
「わかりましたわ。空気ボンベ!」
ギヤマンが増設した空気ボンベに蜜の魔力を流す。
「……少し、楽ですわ」
「んぉ?」
中身は周辺の毒気を含んだ空気のはずだ。
しかし、少し清浄な空気が流れ込む。
「ギヤマンさん、わかったかもしれませんわ」
流した蜜の魔力が、毒気を浄化しましたのね!
きっと、調査班の身体でも同じことが起きていたんですわ。
でも、どうやってですの?
これは地王星の魔力でしたわね――。
この魔力、地王星の環境を再現するのかもしれませんわ!
「フレーム……強化外骨格全体に魔力をお流しくださいませ!」
(――そうね! すぐやるわ)
実験用強化外骨格《対毒》が紫に輝く。
「成功ですわ!」
(あとはこれを、どうやって街に実装するか、だけど?)
「それには適任がおりますわ。
――リッペ!」
「……んぇ!?」
*
「……ん……んぁっ」
食堂では、咳き込む住民たちの期待の眼差しがリッペを取り囲んでいた。
熱気で体力も思考力も奪われた彼らは、借り物の軽装鎧を身につけた一人の少女に縋る。
「さあ、リッペ。
リーペンワープを操ってくださいまし……こほっ」
「んんっ」
リッペは首を振る。
メリッサも咳が出るようになっていた。
さっきあれだけ蜜を舐めたのです、使えないはずがありませんわ。
「使い方を理解しとらんのかもしれんの。
……お主と同じで」
見かねた狐人のシノが口を挟んだ。
「どうすれば、よろしいので?」
「わしを見て何か思わんかの?」
「こほっ……咳を、していませんわ」
この食堂で咳をしていないのはシノと、一部の調査班員だけになっていた。
「お主の話でわかったことじゃが、地王星の蜜は大規模な風流じゃ」
「風流……幕府国の魔術ですわね」
「うむ。空気を読み、操る術じゃ。わしは自前の風流で持ち堪えておる」
食堂がざわついた。
「わし一人が限界なんじゃ!
じゃが、風流の使い方をその娘が学べば、話が変わる」
リッペに蜜の魔力の使い方教えるには……まず風流を使わせればよろしくって?
この街に風流を使っている装置は、なにがありましたかしら。
――万能翻訳機関ですわ!
「皆さん、お国言葉で話してくださいませ!」
見える範囲でも幕府国のシノ、帝国のセレアレ、そして魔族国のゾーロン……。
様々な国からリーペンワープへやってきた住民がいる。王国人の地方出身者だっている。
だが、普段は王都語に合わせてくれている人が多い。
従来の翻訳機関に、風流の「空気を読む魔術」を組み込んで強化した万能翻訳機関。
これを多言語環境で刺激すれば、リッペにも風流が掴めるはず。
それがメリッサの作戦であった。
「リッペ、みんなの声に集中して」
「よく、聴くのじゃ」
「んっ」
メリッサとシノから受けた言葉に、リッペが頷く。
食堂はさまざまな言語に満たされる……ことはなかった。
万能翻訳機関が作動し、すべてを翻訳してしまう。
訛りはあるかもしれないが、誰の耳にも聞こえるのは母国語だ。
しかし――
「……ん!」
リッペの目が一瞬、紫色に輝いた。
部屋の空気から刺激臭が抜けていく。
気温も下がり、快適な温度に近づいていく。
「はぁ――生き返るぜ。
宝を使いこなせるか、試したってことかよ……」
ゾーロンが安堵の声を漏らす。
食堂は歓声に包まれた。
*
リーペンワープは城壁の際まで、まるで外の毒気と熱気が存在しないかのようになった。
半壊した城壁の外は、灼熱と猛毒の地獄である。
リッペ、そしてリーペンワープは、環境を「翻訳」する力を身につけた。
「お見事です……メリッサ様」
「いえ、リッペですわ」
「ん!」
仮死状態にあった重症者も回復させている。
マレンはすぐに任務に戻ろうとしたが、アコラに激怒されていた。
今はベッドの上でリッペを撫でている。
病院に改装された部屋の窓。
遥か彼方に、稲妻をまとい九つの首をもたげる雲が見える。
「メリッサ様――くっ」
マレンが無理にベッドから起き上がろうとする。
「まだ、無理はいけませんわ、マレン。
で、どうしましたの?」
「あの雲と……目があったように思います」




