第十一話「宝の蜜」
雨に煙るリーペンワープ。
崩れ落ちた尖塔の跡が、窓のように風景を映す。
天を衝くアジサイがほころび、花開く。
青い花から溢れ出る蜜が、滝の如く流れ落ちる。
それは窪地に溜まって、黄金色の池となる。
「ゾーロンさん。
このような現象をご存知でして?」
「んっ、ん!」
領主メリッサ・ハートメイはダンジョンの専門家に尋ねる。
付喪神の少女リッペは隣でネズミに遊ばれていた。
「嬢ちゃん、こいつはな――」
千潜りの召喚士ゾーロンは、くっと口角を持ち上げる。
「宝だ!」
ゾーロンの金色の目は、キラキラと輝いていた。
*
雨が上がってすぐ、リーペンワープは調査体制を整えた。
帰還できるだけの魔力が溜まっていない。
尖塔を半分失って、複雑になった跳躍計算は時間がかかる。
あの蜜が燃料になるか、跳躍安定性を向上させる素材になる可能性もある。
調べない理由がなかった。
「セレアレさん。
調査班に参加してくださる?」
「え? 私がですか?」
「ん!」
「リッペがそう言うなら、仕方ありませんね」
緑髪の元仮聖女セレアレも、調査班に入った。
彼女の頭脳は帝国農業数千年の叡智を収めた辞書であり、身体は帝国農業魔術の粋を集めた、生きた魔道具である。
植物調査にこれ以上の適任はいませんわ。
メリッサはというと、計算班と調査班のあいだで散々迷った末、調査班を選んだ。
跳躍計算もしたいのですけれど――せっかく未知の世界なんですもの!
「嬢ちゃん。
魔物もいなけりゃ、罠もねえみたいだ。
やっぱりここが宝部屋だぜ」
ゾーロンはにやつきながら、偵察ネズミの喉をちゅちゅっと撫でた。
「皆さん、行きますわよ」
メリッサを先頭に、調査班は森の中の道を進む。
リーペンワープからアジサイまでは、まるで誘うかのように木々が開けていた。
緩やかな坂を下り、一行は天を衝くアジサイの下に出る。
調査班は感嘆の声を上げた。
聳え立つ城の如き樹体。
咲き誇る花は一つ一つがリッペほどの大きさだ。
溢れ出す蜜は葉の間を縫って、九重の滝のように大地へ注いでいる。
坂道は蜜の池の中へ吸い込まれ、消えていた。
「ん〜?」
リッペがメリッサの袖を引っ張った。
少女の視線の先にはセレアレがいた。
元仮聖女は蜜の池の前に屈み込み、蜜を掬おうとしては首を振る。
メリッサはセレアレの横に座って訊いた。
「セレアレさん。
どうなさいましたの?」
「……この蜜、大地の香りがします」
大地の香りの蜜、でして?
「……美味しくなさそうね」
「いや、そうじゃなくて。
アジサイには毒があるんですが……でもこれはダンジョンの宝ですし……。
なんて言えばいいんでしょうか――」
セレアレは言葉を探す。
「この蜜には、地王星の大地を思わせる――そんな魔力が満ちているんです」
「不思議ですわね。
ここは月面のダンジョンのはずですのに」
セレアレが、自分を鼓舞するように頷いた。
「領主様……元でも仮でも聖女ですから、解毒もできます。
――私に舐めさせていただけますでしょうか?」
その眼差しには、聖女としての自負が見えた。
「お願いいたしますわ」
メリッサはセレアレの決意を受け止めた。
*
調査班がセレアレを取り囲む。
元で仮とはいえ、帝国聖女がダンジョンの宝を試食するのだ。
その瞬間を見逃すまいと研究員たちは目を見開いた。
元仮聖女はゆっくりと蜜を指で掬い、その口へ運んだ。
「……アジサイなのに、毒がありません。
領主様、これは地王星の魔力です。
大地と海と――なによりも大切な緑の世界」
おぉ……。調査班から歓声が上がる。
「ん〜!」
「あっ、ちょっと、お待ちなさって!」
その脇から、借りた軽装鎧姿のリッペが飛び出した。
小さな冒険者は、手のひらをベタベタにしながら蜜を頬張っては、見たこともない笑顔を見せる。
研究員たちも、リッペに続けとばかりに味見しては、議論をはじめる。
魔力について、味について、みな思い思いに自論を述べる。
メリッサも蜜の池を覗き込む。
私もちょっと、いただこうかしら。
少しだけ蜜を指で掬ってみる。
濃い魔力を感じる黄金色の液体だが、魔花の蜜ならこれくらいありそうではある。
ぱくっと口に入れてみる。
甘いですわ。
毒らしい痺れは、感じませんわね。
土の味もしませんわ。
高級なポーションとか、特殊用潤滑魔油のような感じですわね。
魔力はたしかに濃密ですわ。
でも、味は普通に美味しい蜜としか思えませんこと?
「ん〜!」
蜜を舐めたメリッサを見て、リッペが飛びつく。
「ひゃっ!
……服がベトベトですわ」
メリッサを見返すリッペの目は、とても嬉しそうだった。
*
「サンプル回収、完了しました」
「ご苦労様ですわ。
皆さん、リーペンワープへ帰りますわよ!」
調査班はひと通りのフィールドワークを終えた。
アジサイであって、アジサイでない。
宇宙のダンジョン植物のサンプルを手土産に、蜜の池を後にする。
「ご馳走様ですわ」
メリッサが振り向いた時だった。
天を衝くアジサイの青い花が、一斉に赤く染まる。
それに呼応するかのように、空に重苦しい赤が広がっていく。
「この臭い……毒ガスです!」
セレアレが叫ぶ。
メリッサにもその臭いがわかった。
突くような痛みが、呼吸する度に鼻を刺す。
「皆さん、早くリーペンワープへ!」
周りの森が枯れていく中、アジサイだけはその花を赤々と咲かせている。
肌を焼く熱気の中を調査班は走った。
リーペンワープ城の遥か彼方に、雲が湧き立つ。
最初は、夏の入道雲のようにも見えた。
遠く、雷鳴が轟いた。
次第に規模を増し、空を赤黒く染めあげる。
稲妻を纏い、九つの首をもたげたそれは、ダンジョン最深層にいるというヒドラを思わせた。
だが、もはや文明が戦える相手ではない。




