第4話 零級特異災害
ハルク前で、勇者は肩で息をしながら、なお女剣士に向けて剣を構えた。
そして一歩、二歩と間合いを詰めながら、うつろな目でつぶやいた。
「まだだ、ニーム……」
けれど、真琴は冷静な目で見ていた。
精神力だけで立っている彼のからだは、もう限界に見えた。
林立していたスマホも、引き潮のように退いていく。
あらためて真琴は、勇者に向き直った。
「だめ、これ以上は。あなたがもたない……」
思わずそう言っていた。真琴には、両手を失ったニームがどれほど厄介な存在なのかがわからない。ただ、勇者をおもって言ったことばだった。
「逃がしてあげよう……」
けれど勇者は首を振った。
「だめだ、今逃せば、また人を食う……」
鼻で笑った女剣士ニームは、真琴を横目で一瞥した。そして何かをつぶやいた。
すると彼女の巨躯は、一条の光のように細まりながら頭上の遊歩道をぶち破って、空高く──いずこへか消えた。
やわらかな陽光が、破れた遊歩道から落ちてきた。
舞い散るほこりが、輝いてみえた。
まわりでも破片を払いながら、みんなが穴の向こうの空を見あげている。
真琴は、その光を無視して勇者に駆け寄ろうとした。
……が、その一歩目が、後ろから誰かに手首を引かれて勢いを失った。
「もう、だれ!」
振り返ると、彼女の腕は、女性警察官につかまれていた。
勇者のほうを見れば、彼は剣を鞘に戻しきれず、杖のようにして片膝をついたところだった。
真琴は腕を引っ張って抵抗した。
「離して! 行かせて‼︎」
勇者が、こちらを見た。けれど、女性警官を敵と見てはいないのか、彼は小さくほほえんで剣の柄に、疲れきった額をのせた。
真琴は、彼の名を呼びたかった。
けれど、自分より大切だったはずの、その名が出てこない。喉まで上がってきているのに、口の手前で消えていく。もどかしさに顔が歪んだ。
「離してって……!」真琴は脚をつっぱった。
名前なんていい。彼のもとへと駆け寄る。それ以外に何もない。
手を引く女性警官に加えて、男性警察官が真琴をなだめにかかった。
「いまの光の件でご事情をうかがいたいだけなので……」
「だったらその前に、彼と話だけでもさせてください!」
けれど、警官は、「それはできないんです」の一点張りだ。
真琴が押し問答している間にも、勇者へと忍び寄る影があった。
気づいて真琴が横目をむけると、目で合図し合う機動隊員らが、十名以上はいただろうか、一斉に勇者の背中へと飛びかかった。
「……逃げて!」
叫んだものの、もう遅かった。隊員らによって、勇者は地面へと顔や手を押さえつけられていた。
「やめて!……」
叫ぶ真琴の反対のひじをとられた。頭を押さえられ、後ろから屈強な腕が羽交締めに回ってきた。目で見回すと、群衆のなかから前列に押し寄せた無数のスマホが、勇者の惨めな姿だけを切り取っている。
そんな野次馬はともかく、その奥の人々の目もあるのに、誰も勇者に手を伸ばさない。ただ、好奇の視線か、スマホのカメラを向けているだけだ。
真琴は髪を振り乱した。
警官たちにひじを引かれ、機動隊員らに叫んだ。
「違う! その人は違うから!」
けれど、彼女をはがいじめにしている年配の男性警官は左を高く指さした。
「見なさい、あの煙を……!」
服飾学園のデザインタワーの向こうに、空を覆うような黒煙と土煙が上がっていた。
「あっちでもコスプレのテロリストが暴れてる!」
遠くの空の端が、一瞬だけ赤く閃いた。同時に黒煙の中、高層ビルの先端が下の階を押しつぶしながら真下に崩落していった。
真琴は息をのんだ。
日曜とはいえ、中が無人だとは思えない。
警官の肩の無線機から『西口二丁目、ウシのような怪物が市民を捕食中。銃撃が効かない』――そんな声が混じっている。
天高く立ちあがった煤塵が陽射しを覆っていく。西口の一帯をまるで夜のような影が覆った。
煙の向こうに、ほんのわずかにのぞく空には、報道ヘリに加えて、自衛隊塗装のヘリも飛んでいた。年配の警官は強い口調で言い切った。
「わかりますか! だから、あのマントの少年も無関係とは思えないんです……!」
けれど、真琴はさらに身をよじった。引きずられはじめた体が、勇者から遠のいていく。泣いて済む問題じゃない。ただ闇雲に足を突っぱってもがいた。
歩道に落ちている血は、彼のものばかりだ。命を賭けて自分たちを救おうとした彼が、目の前で警官に押し潰されている。悔しいし、許せなかった。
林立するスマホの奥にある、心配げに彼を見守っている群衆の目に向かって、真琴が叫んだ。
「あの人が助けようとしたのは、わたしだけじゃない! ここにいた、あなたたちなんだよ!」
けれど、返ってくるのは沈黙ばかり。胸が激しく痛んだ。
泣いている場合じゃないのに、クレヨンで描いた絵が目に滲んで浮かんだ。
絵のなかでも、彼は赤いマントでいつだって先頭に立ってたたかった。
自分たち、ちっぽけな民の盾になるために、痛みを引き受けてきた。
それなのに……
「そうだッ!」
誰かの声がした。
声のしたほうを見ると、カバンの取っ手を握りしめた会社員が怒りに震えながら眼鏡を掛け直していた。
「その人は、犯人じゃない! 見たら……わかるだろ!」
たまらず、涙があふれた。
「そうだよ……その人は、勇者だよ!」
腕を掴む手を、思い切り引っ張った。
ハルク前が騒然としはじめた。学生がひとり、警官の胸ぐらをつかんで叫んでいた。着物の老婆が、ハンカチを握りしめ女性警官に訴えている。
幼い女の子も、母親と並んで機動隊員に詰め寄り、怪我人までが、手当てを受けながら救急隊員の腕を揺さぶっている。
年も立場も違う人たちがみんなバラバラの言葉で、同じ少年をかばい始めていた。
すると、押し敷かれた彼の装備が、再び光の粒子を帯びはじめた。
やつれた顔のまま立ち上がり、勇者は、全身に機動隊員をぶら下げて、口を動かした。
時を同じくして、真琴の耳に、警官の肩の無線機からくぐもった声で「構わん、撃て、制圧しろ!」との信じがたい指示が聞こえた。
真琴は自分をはがいじめしている年配の警官に、歯を剥いて怒鳴った。
「撃てって、どういうこと! 彼、あんたたち警察のことも守ったじゃん!」
嵐のような怒号の応酬が、当の勇者の声をかき消している。その口は途切れ途切れに何かを呟いていた。
「この国の騎士たちよ……頼みがある……」
声は小さく、血を流しすぎたせいかもしれない。ひどくかすれていた。
「王に、会わせていただきたい……」
ざわめきと怒号の中、その願いは誰の耳にも届かなかった。
「我が名は……勇者エ……」
しまいには、背後から発射された催涙弾が、彼の兜に最悪のかたちでぶつかった。ガス筒が、歩道の向こうで虚しく転がった。
白目をむいて、勇者が昏倒していくのが見えた。
真琴の胸の奥で、何かが切れた。首へと回っている屈強な腕に噛みついた。
数で手脚を押し敷いている機動隊員の下、勇者は、ぴくりとも動かない。
真琴は、涙で叫んでいた。引きずられながら、勇者さま、エヌさま、──と。夢中だった。無意識のうちに、彼の名前だと気づかずに、ただ一心にその名の持ち主へ、手をのばしながら。
ガスに煙る画面の向こうでも、幾億の何色もの瞳が、倒れた少年を見つめていた。
けれど、名を呼び、そのとき手をのばしていたのは、画面のなかで引き剥がされていく彼女ひとりだった。
◇
その夕刻──。
JR新宿駅西口と新宿中央通りから都庁までの一帯で同時発生した未確認兵器による大規模テロ事案は、政府によって零級特異災害と定義された。
政府は各省庁に事案の調査と対策を求め、防衛省では、内閣官房国家安全保障局の要請により、防衛政策局戦略企画参事官の直下に、零級特異災害対策室《Zeroth-class Anomalous Quarantine Section》が置かれることとなった。
◇
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次回は、本日12:10に公開予定です!




