第6話 魔王の爪痕
──午前十一時。JR新宿駅の西口。
マスクをして真琴はキャップを目深にかぶり、父を待っていた。目の前を人が足早にすぎていく。父のことだから、約束の五分前には到着するとおもわれる。
この駅を、一日に三百万人が行き来するらしい。複数の鉄道が乗り入れて、この西口と南口に東京じゅうのバスが流れ込んでくる。
新宿区に引っ越してくる前は、函館。そのまえが奄美だったから、次の任地が東京ときいた時の真琴の喜びは大きかった。しかも、官舎が新大久保や渋谷、原宿にもほど近いと知って、天にも昇る気持ちになったことを思い出す。
──名を呼ぶ声に、真琴は目をあげた。
父の真二が、陸上自衛隊の制服で立っていた。
おかしそうに笑った。
「なんだか泥棒みたいだぞ。変装もいいが、職質にあわなかったか」
父の笑顔を目にして、緊張していた体から、少しだけ力が抜けた。
「しかも今日はコンタクトか」
普段、家や学校では眼鏡だ。
「いいじゃん別に」
父から顔をそむけた。
スーツとコートの人波に、今日は心なしか作業着の人が多い。タブレットや計測機器を手にした作業員たちが列をなして二人の横を流れていく。
真二は言った。
「復旧作業の準備だろうな。救助が終わりしだい取りかかれるように」
「まだ救助の作業はおわってないの?」
「ビルが何棟も倒れているしな。まだ応援がくる予定だ」
大型液晶の表示にも、大江戸線が折り返し運転中とあった。
真二が「行こう」と促した。
「大江戸線は中央通りの真下を走っている。ゼロワンが正体不明の武器を使ったものだから、総点検中だそうだ」
「ゼロワン?」
「A-01。Aはアノマラス。最初に確認された異常存在という意味だ。あの黒い仮面だ」
「ネットじゃ〝魔王〟って呼んでるよ」
真二は前を向いたまま歩いた。
「見た目で敵か味方かを判断してはいかん。いまはAIで画像加工も巧妙だ」
「わたしが見たのは肉眼だし。まごうことなき敵やん! ってなったもん」
真二は目を細めた。
「そうだな。だからこの目で確かめることが大事なんだ」
タクシー乗り場を通りすぎていく父に、真琴は声をあげた。
「って、女子医大にいくんじゃないの?」
「いや。歩く。現偵だ」
真琴は小走りに追いかけた。
「ゲンテーって、なに」
真二は振り返って答える。
「現地偵察のことさ。実際にこの足と目で、被害の状況を見たい。お前がその目で見た01を、まごうことなき敵だと感じたようにな」
彼の視線が、中央通りを封鎖している規制ブロックのほうを見やった。
「父さんたち幹部自衛官の仕事は、どうしたって画面や資料越しになりがちだからな」
話の意味の半分も分かっていないが、とりあえず「ふうん」と、ついていく。
「デスクワークで運動不足になる、ってコト?」
「あのな、散歩気分じゃないぞ。通りを挟んで左右がひどい有様なんだ」
歩きながら、父の制服姿を見る。出勤と退勤時はスーツだから、現物を見ると、やはり誇らしい。
「な、なんだ……」
父の目が、照れているように見えた。
口で茶化す。
「おなか、出てきたもんね。ふふ」
「体力検定も近いしな。少し走るか」
西口を出てしばらくは、普段と変わりない街並みだった。
スマホが鳴動して、真二が通話しながら歩いた。
ふと真琴が気がつくと、空気に、どこかキャンプで嗅ぐような消し炭の匂いがまじっていた。
鎮火はしたとテレビで見たが、しばらくこういう臭いは消えないのだろうか。
鼻をこすって歩くうち、真二が通話を終えて、足の向きを変えた。
「ゼロフォー、つまり昨日の少年は新宿警察署に移されているそうだ。直接向かおう」
ハルク前へ近づくにつれて、通りを行き交う人の波に、物見遊山の若者たちの騒がしい声がまざりはじめた。
街角で機材をチェックしている配信者もいる。帽子を目深に被り直した。
通りすぎていく真琴に気づく者はいなかったが、背中で笑い声がするたびに冷や汗が吹きだす思いがした。親指を握りこんだ。
風は冷たく、ハルクの歩道橋下には、まだガラスの粒がきらめいていた。
真琴は、昨日のことを思い出し、うつむいて歩いた。
遊歩道に開いた大穴の先を見上げて、撮影に夢中な若者たちの脇を通り、間をおいて、真二が言った。
「こっちの現場で死者がでなかったのは、ゼロフォーのおかげだと思っている」
真琴も、声をひそめながら同意する。
「そうだよ。なのに警察は彼にあんなひどいことをしたんだよ」
信号で道を横断し、左に折れる。
真二は小さくため息をついた。
「むしろ、あの状況で警察は冷静に対応したほうだよ。中央通りでの被害はここの比じゃない」
途端、風の匂いが、都会らしからぬものに変わった。
思わず歩調を落とし、先行く父の袖口をつまんだ。
「ん?」
振り向いた真二は、普段なら制服のとき、そんな真似を許さないだろう。
けれど、今日は違った。
「大丈夫か」
なんとかうなずいたが、向きなおった真二が静かに告げた。
「ここから先、心にこたえるかもしれないぞ」
目を上げると、中央通りの規制ブロックが見えていた。その先は被災区域だと言うことだ。
「無理そうなら、あそこの喫茶店で待っていていいぞ」
うつむいたまま、顔を横に振った。ここで引き返したら、彼に会えない。
その角を、父の背中に隠れるようにして入ると、風の音が一変した。
重機の音に、瓦礫を砕く音。
制服の背中から、向こうに恐る恐る顔を出すと、真琴の脚がすくんだ。
かなたまでビルが並んでいるはずの場所に、空だけがあった。
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次回は、本日20:00に公開予定です!




