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一.親の固定理念と子供の適性

 思えば、私たちは実に無駄な教育を施してきた。体罰というものは教師の憂さ晴らしの為のものであったし、学歴というのも殆ど親の自己満足(俗に言うオナニー)であり、子供は大人の「玩具」もしくは「作品」とまで揶揄されるほどであった。

 今だからこそ、「ゆとり教育」とか「受験戦争の終焉」なんて言っていられるが、事態は我々の想像以上に深刻なのである。

 親の教育的観念である。どうも、子供たちと保護者らの観念に矛盾が生じ、不公平や不条理が発生しているようなのだ。いや、それは端からみても確信できるかもしれない。

 私の家から徒歩およそ二十分程度のところに、公立の中学校がある。生徒総数は恐らく四百名ほどで、学級は少々荒れているようだ。私にはまだ子供は居ないが、近所にこの学校へ通う生徒の知り合いがいる。彼によると、勉強のレベルが小学生でも理解できるレベルでつまらなく、部活も貧相で、教師はいじめを見てみぬふりし、どうでもよいことで生徒を叱るなど理不尽なことが多々あるというのだ。彼は学年て突出して学力が高く、学問の好きな私にとっても、それは悲惨に見える。

 小学生でも理解できるとは、どのようなことか。「連立方程式の解法を教える筈が、なぜかいつのまにやら一次方程式の解法になっている」「教科書の低俗な文章にしか当たらない」なんてことである。彼にとっては簡単、というか低レベルすぎて話にならないようだが、それで生徒らは満足しているようだ。

 一方で、もう一つの知り合いで、私立中学に通い、困窮している者がいる。彼によれば、「勉強の簡単な学校で、のびのびとスポーツを楽しみたかった。それに、私立の連中はみんな真面目でつまらない」ということだそうだ。彼は幼き頃から激しい勉強を強要されてきたが、その結果がこれだというのでは、ちょっと悲惨すぎないか。

 それぞれの親は主張する。「いくら勉強ができても、やらせすぎてつぶれるとお終い。私立なんて行かせるべきではない」「学力が悪くても、学歴社会のこの世に於いて中学受験をしない理由がない」考えが真っ向から対立している。勉強が好きでやる気もある親が勉強嫌い、はたまたその逆も然りというのは、少し不条理すぎないか。

 前者の子供が私立中学に行けば、勉強を楽しみつつ、劣悪な環境からも逃れられる。逆に、後者の子供が公立中学に行けば、望み通りに勉強とは無縁ののびのびとした生活が送られる。丁度正反対であれば、何の問題もないのだが。

 やはり、近年の保護者の教育的意識が低いことが問題ではないだろうか。子供の本当の適正を見抜けられず、自らの観念のみに於いて教育を考え、子供の将来を決定する。そのような排他的極まりない教育の失敗が、日本全体の学力低下や、はたまた治安の劣化にも影響するのではないか。

 俗に言う「天才児」。彼らは、良い意味でも悪い意味でも強烈な個性を発揮する為、自分に合う環境でないと精神に異常をきたし、家庭が崩壊する案件もありえないとは断言できない。実際、私も似たような環境であった。天才児であるかは定かでないが、あまりの環境の劣悪さと私立組と自分の対比に強い羨望を感じ、完全に心が崩壊して性格が激変してしまったことがある。もとは、自他共に認める優しげな性格であったのに、それが原因で気が強くなり、意地も悪くなった。それは無論今も継続している。青春を謳歌することすら侭ならず、果ててこのような凄惨な結果とは、いくらなんでも理不尽すぎないか。現代の親は、とりあえず自らだけの観念を捨て、客観的に教育というものを見つめ、自分の子供に適した教育方法をとるべきである。

 私自身固定的な観念をもっているが、それこそ親の固定観念譲りであり、しかも回避しようがない固定観念であるから、正面から否定することは容易ではないだろう。

 その私が主張したい固定観念とは「中学受験の必要性」である。今、世間では「小学生の勉強が厳しすぎる」「中学受験生がすさまじい」「幼くしてこれほどの勉強をすると、人間性に影響する」などと半ば揶揄される中学受験。しかし、私はこの受験こそ最も効率的だと思うのである。

 中学校の勉強というのは、三年間にしては少々内容が薄すぎる。中高一貫教育によってそれを乗り越え、高校の勉強に力を入れられる時間も増すというのだ。

 第二に、中弛み可能期間、要するに大学入試までの猶予の差である。六年間と三年間では大違いである。中弛みは勉強に支障をきたすというが、中高一貫であれば三年間も中弛みしたとしてもまだ三年ある。ところが、高校受験だと中弛みを全くしなかったとしても三年しかない。この差は大きく、有名国公立大学に私立出身(中学受験をした)が多いことからも明白であろう。また、高校受験生は中学一年から大学合格まで受験勉強を六年間(はたまたそれ以上)連続して行わなければならないというのが辛い。中高一貫ならば、勉強を全くしないということはないだろうが、受験勉強ほどハードで精神が不安定になるような勉強はしなくても構わない。

 そして、何といっても私立に行く方が人生経験を沢山つめる。教養のある友達と中学生の頃から付き合うことにより、様々なことを経験でき、また楽しむこともできる。文化祭の自由さ、部活の豊富さ、勉強の内容、全てに於いて、私立の方が人生全体に於いて有利なのである。

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