勝利の価値③
――一学期中間考査、結果発表。
広場に貼りだされるのは十位以上の名前と点数。6位にまさかの凪原司。だが、生徒たちの求めるものはそれではない。
5位、4位、3位と名前が露わになる。「っし!」と短く声が聞こえてくるが、拍手などは起こらない。ここからが本番だ。大きな模造紙をめくる教師達も、注目の大きさから手が震える。
2位、玖珂三月。495点。
玖珂は両手を腰に当てて俯き、大きく大きく息を吐く。まほらの顔が見られなくて、自分の顔も見せられなかった。
パチ、パチ、と誰かが始めた拍手。まだらな拍手は燃え広がるように広場に広がり、それはやがて大合唱のようにあたりを包む。
拍手は玖珂の背中に雨の様に降り注ぐ。
「また手を抜いたの?」
その声にピクリと僅かに身体を震わせ、玖珂は恐る恐る顔を上げる。脳裏には、忘れられないあの日のまほらの顔。期待と不安が、歓喜に代わり、やがて困惑を経て失望に変わったあの日。
だが、まほらは優しく微笑んで玖珂を見つめていた。
「まさか。正真正銘、僕の本気の全力だよ」
きっと、その表情を彼は一生忘れないだろう。
「っていうか、まだ負けとは決まってないだろ。一位が君かはわからないんだから」
玖珂は引きつった笑顔で掲示板を指さすが、まほらはそれを見てクスリと笑う。
「わかるわよ。……私の他に、あなたに勝てる人がいるはずないでしょ?」
それは強い自信と信頼の複雑に混ざり合った言葉。
いつもはもっと事務的に淡々と掲示していく教師たちも、今回だけはタイミングを計りながら紙を広げ、いよいよ1位の名が現れる。
1位、和泉まほら。497点。
「おめでとう」
玖珂が拍手をすると、それを合図に広場は地鳴りのような歓声と拍手に包まれる。
いつもの定位置。まほらはそれを、夜空の一等星を見上げるようにキラキラと輝く瞳で、ぽかんと口を開けたまま、ただ眺めた。5年間、ただただひたすらに求めた一番星。思わず手を伸ばしかけて、慌てて我に返る。
「わっ、私の勝ちね!」
その得意げな笑みを見て、玖珂は寂しそうに微笑む。――もし、5年前に戻れたら。そう考えて、時は戻らない事を思い出す。
「次は負けない、絶対に」
玖珂は少年のような瞳でまほらを見る。
「望むところよ」
奇しくも5年前と同じやり取り。二人にしかわからないやり取りに、互いに口元を緩ませる。
「ね、ねぇ凪くん。『俺も』って割って入った方がいいんじゃない?6位だから権利あるよね?」
黄泉辻がヒソヒソと凪原に提案をするが、凪原は眉をひそめる。
「ねぇよ。マジでどの面下げてだろうが。それは3位の御影森くんに頼むといい」
凪原は掲示板を指さす。3位、御影森光莉。478点。
冗談めかして答えた後で、凪原は黄泉辻にだけ聞こえるくらいの小声で呟く。
「それに、それはもう思ってるから平気。次は俺だって負けない」
降り注ぐ拍手の雨の中、黄泉辻は満面の笑みで頷く。
「うん、頑張ろっ」
「はーい、広報委員でーす。インタビューお願いしてもいいですかぁ?」
勝負の余韻を引き裂くように、長身の女子――、広報委員長の百舌鳥要が人込みをかき分けてまほら達の元へとやってくる。
「じゃあまず、敗者から。玖珂会長一言っ」
ニコニコと楽しそうに玖珂にマイクを向ける百舌鳥を見て、凪原はあきれ顔。
「……あいつ絶対玖珂の事嫌いだろ」
女性ながら女性ファンも多い百舌鳥。生徒たちからは歓声とブーイングが半々で入り乱れる。一気に場は混とんとした様相を呈する。
「この敗北を誰に伝えたいですかぁ?」
満面の笑顔で最低な煽りをかます百舌鳥。玖珂は全く意に介さず、涼しげな笑顔で答える。
「そうだね。目の前の最愛の人に伝えたいかな」
「あ、そうですか。それでは引き続き、勝利者インタビュー!和泉まほらさん!おめでとうございます!」
玖珂の言葉を本当に一言で打ち切り、百舌鳥はまほらへとマイクを移す。
「あ……、ありがとうございます」
「この勝利を誰に伝えたいですか?」
まるで野球の勝利者インタビュー。
まほらは照れ臭そうに口を開く。
「……五年前の私に、ですね」
おそらくこの場で、百舌鳥を含めて五人のみに伝わる言葉。まほらはマイクに言葉を続ける。
「三月。ちゃんと戦ってくれてありがとう。おかげで、ちゃんと勝つことができたわ」
「どういたしまして」
百舌鳥へのブーイングに交じり、二人の健闘を称える拍手があたりを包む。
こうして、一学期中間考査は終える。ちなみに、黄泉辻は学年31位。久留里は自己最高を大幅に更新する49位を達成した。
――その日の夜、和泉邸。
「今日お父様いらっしゃいますよね?」
帰宅するや、まほらは使用人に父の在宅を確認すると、テスト結果を手に急ぎ足で父の書斎へと向かう。
そして、扉の前で立ち止まり、胸に手を当てて数度深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。それから、コンコンコンと三度ノック。
「お、お父様。失礼します」
まほらの父・秋水は書斎で本を広げながらパソコン作業を行っていた様子。
「あぁ、まほら。どうかしたか?」
まほらは、テスト結果の用紙を恐る恐る秋水に手渡す。
「中間考査の結果が返ってきたんです。私は、497点で……学年一位でした」
「そうか、よくやったな」
父はさほど興味も無さそうに全体順位と個別科目に目を通す。ここまではいつも通りのやり取り。
――さすが、私達の娘だな。きっと、まほらは子供のころの様に、そんな一言が、そんな一言だけが欲しくて努力を続けてきた。
「三月に勝ったんです!二点差だったけど、……全力の三月に!」
キラキラと輝く瞳で、自身の感動を余す事なく伝えようと高揚した声を張る。
「それはよかったな。そんなことより――」
秋水はテスト結果を無造作に机の端に置くと、そばに置かれたパンフレットを取り出す。それは結婚式場のパンフレット。
「そろそろ式場を決めないとな。まだ未確定だが12月は少し忙しくなりそうだ。入籍は12月、式は3月と玖珂の方とも話をしている。お前も学校が終わってからの方がいいだろう?クラスメイトで呼びたい子がいたら早めに教えてくれると助かる」
「そう……ですね」
――そんな事。
意気揚々と父に見せたピカピカの金メダルは、父にとっては段ボールで作ったおもちゃの金メダルに等しいものだった。
まほらは部屋に戻ると、力なくベッドにうつ伏せに横になる。
(大丈夫。すぐに修学旅行が始まるわ。黄泉辻さんも、凪原くんも一緒。絶対に楽しいわ。……昼はみんなで京都を周って、夜は黄泉辻さんと女子会をするの。絶対に楽しいに決まってるんだから)
部屋の隅、水槽の中では今日も金魚が一匹、優雅に泳ぎ尾を揺らしていた――。




