勝利の価値②
――『互いのプライドを賭けた勝負』、『三月。次のテストで私と勝負しなさい』、『選挙戦のリベンジ勃発』。若干のエンタメ色を打ち出しながらも、鴻鵠館だより・号外は発行された。
生徒会から提供されたオフショット写真も多数掲載され、両者の今までのテスト順位も載ったその広報紙は一学期中間テストと言う憂鬱な期間を一つのエンタメとして生徒たちの心を盛り上げた。しかも、三年はそれが終わればすぐに修学旅行である。
このテスト期間中、凪原も必死で勉強した。鴻鵠館を目指し、まほらと共に勉強した時以来の様に。あの事故の後一人鴻鵠館を目指した時の様に。何故?まほらが頑張っているから?違う。それは単純に自分の為だった。全校生徒は、このテストはまほらと玖珂の戦いだとしか思っていない。事実、そうなるのだろう。だから、凪原は勉強する。焼石に水かもしれない。全校生徒が注目するこのテスト。――もし、自分が玖珂に勝つ事が出来たなら。
そんな馬鹿みたいに夢みたいな理由で、凪原はテスト勉強に集中する。だが、睡眠時間は削らない。それは、あの日の自分とまほらとの約束だから。
黄泉辻渚は久留里緋色とビデオ通話を行いながらテスト期間を過ごす。二人の熱気に当てられてか、久留里もいつになく真面目にテスト勉強を行う。それは、あの二人に一年後の自分を重ねているからかもしれない。そして、画面の向こうにいる黄泉辻のように、自分も誰かの力になれるように。そんな思いも秘めて勉強をする。彼女もかつての凪原と同じで、勉強に意味と意義を見いだせていなかった一人だった。理由があれば、やらないのは怠慢だ。黄泉辻は、そんな久留里の姿を見て勉強に力が入る。それを見て、久留里も頑張る。
「渚センパイ、うちおやつタイムいいっすか?」
「あ、ずるい。もう食べてるじゃん」
時折脱線しながらも、二つの車輪が回る。
「あれ、三月勉強?珍しいね」
都内某所の撮影スタジオ。待ち時間で玖珂三月は参考書を広げて勉強をしている。
「まぁね。これでも生徒会長だから」
涼しげな笑みで軽口をたたきながら、玖珂はテスト勉強を行う。中学一年以来数年ぶりのテスト勉強だ。短い細切れの時間を使いながら、集中して効率的に勉強をする。
――初等部の時はテストはあったが順位はなかった。中等部一年、一学期中間テスト。『三月、次のテストで勝負よ』。今ほど刺々しくないまほらは、ライバルと目していた玖珂に勝負を挑んだ。負けず嫌いだからではない。互いに高めあえれば、と思い勝負を挑んだ。勝てないかもしれないけれど、どっちが勝ってもいいと当時は純粋に思っていた。
『オッケー、負けないよ。まほ』。当時はまだ黒髪だった玖珂は、人懐っこい笑顔で勝負を受けた。この時、まほらはまだ婚約者はいなかった。玖珂の父・俊一郎は、一度冗談めかして、『将来はまほらちゃんと結婚するか?』と言った事がある。玖珂も、そうなったらいいなと思っていた。
テストの結果、玖珂は満点で一位だった。努力する天才。中一程度の問題、既に当時の玖珂は履修済みだったのだから当然の結果といえる。二位は488点でまほらだった。
「一位おめでとう。……次は負けないからね」
悔しさを堪えながらまほらが玖珂を称えると、玖珂は嬉しそうに笑う。
「望むところだよ」
――だが、次は無かった。
人づてに、テスト結果でまほらが彼女の父・秋水に強い叱責を受けた事を聞いた。――自分のせいで、まほらは父に叱られた。優秀とはいえ、少し前まで小学生だった玖珂がそう思ってしまったのは責められることだろうか?
(僕が勝つと、まほが叱られる……。それは困るなぁ)次の期末テスト、彼は全教科を白紙で提出した。一位はまほら、493点。玖珂は当然掲示板の対象外。
その時、掲示板を見上げたまほらの顔を、今でも玖珂は覚えている。期待と不安が入り混じった表情が、掲示板を見上げると同時に歓喜に染まり、そして、下に視線が流れるとともに困惑へと変わる。
「一位おめでとう、まほ」
玖珂の賞賛の言葉を聞いて、まほらは困惑した様子で玖珂に問う。
「み、三月。あなた何位だったの?名前の書き忘れとか?」
「いや、単純に実力だよ。前回がうまく行き過ぎただけで――」
その一言で、聡明なまほらは全てを察する。
「……手を抜いたの?」
気が付くと、怒りで手が震えていた。
「馬鹿にしないでよ!何がおめでとうよ!そんな空っぽな事言われてもちっとも嬉しくないわ!」
思わず手が出そうになり、まほらの右手は必死で左手を抑える。
もう少しバレない様に手を抜くべきだっただろうか?彼女が叱責を受けようが全力を出すべきだっただろうか?正解はきっとあった。だが、もう時は戻らない。
「……あなたは最低ね。幻滅したわ」
まほらは心底汚いものを見る様な視線で玖珂を一瞥し、そのまま掲示板を後にした。
――じゃあ、君が叱られるのをわかっていて全力を出すのが正解だったの?
そう思って、玖珂は言葉を飲み込み、立ち去るまほらの後ろ姿をただ見送った。
それから、まほらは現在に至るまでずっと一位を取り続けている。父に己の価値を示すように。ズレた歯車はもう戻らない――。
まほらはただ、ひたすらに勉強をする。己の価値を父に示す為、そして、あの日の二人の決着を付ける為。
『本気でやりなさい』。そう思えど、今までは口に出す事は出来なかった。玖珂に本気で挑まれたら、おそらく自分は勝てない事を彼女はよくわかっていたから。負けた時に、父が、自分の心がどうなるのか恐ろしくて想像もできなかった。だから、仮初の勝利で自分を偽り、満たし続けていた。ある意味では、父・秋水がかつて言った『どうせ玖珂のは真面目にやってないのだろ?戦っていない相手に勝ってそんなに嬉しいか?』の言葉は的を射ていると言える。
だが、まほらは玖珂に勝負を挑んだ。勝てる保証はない。負けるかもしれない。それでも、自分には凪原も黄泉辻も、久留里もいる。負けても、叱責を受けても、立ち上がれる様な気がする。
そして、それぞれの想いを乗せたテストは始まり、そして終える。
――試験結果が出る。一階昇降路付近にある掲示板。
生徒たちは貼りだされるのを今かと待ちわびる。
その先頭にいるのは玖珂とまほら。それはいつかの生徒会選挙を思わせる。
「……今回は馬鹿な真似はしてないでしょうね?」
まほらは横目に玖珂を睨み、釘を刺す。
「もちろん。神に誓って」
まほらはあきれ顔で肩をすくめる。
「あなた神に誓うのお好きねぇ」
「君に誓おうか?」
「結構よ」
二人のやり取りを凪原と黄泉辻は後ろで眺める。
「なんだかんだ仲いいよな?」
「だねぇ」
やがて、教師たちがロール状に巻かれた大判の模造紙を抱えてやってくる。順位は縦に書かれており、十位から順に名前が見えていく。
本来であれば、名前が現れた生徒の喜びの声や祝福の声が上がるはずの瞬間。だが、この場の全員の興味はそこではない。
6位、凪原司。
黄泉辻は口を押さえながらハッと凪原を見上げる。凪原は小さく息を吐いて脱力する。彼は、本気で一位を狙っていた。届かないとはわかっていたが、結果を突き付けられるとやはり悔しい。気が付くと、まほらが振り向いていて公衆の面前にも関わらず嬉しそうに口元を緩ませている。そして、口パクで短く四文字。おそらく、『お、め、で、と』だろう。
今はまだ一学期の中間。まだチャンスはある。凪原は一人決意を固める。この場のほとんどの人にとって、意味をなさない前座の順位。だが、当然前座にだって前座の人生がある。
「……次は、負けねぇから」
目の前の怪物二人に向けて、凪原は呟く。風車に向かうドンキホーテと笑われるだろうその呟きは、上位の発表を待つ喧騒に吸い込まれて消える。




