勝利の価値①
――五月。中間考査を終えれば、三年生は修学旅行。
テスト期間を控えた生徒会室で、その宣戦布告は行われた。
「三月、次のテスト。私と勝負しなさい」
和泉まほらは高等部に入ってからすべてのテストで学年一位、対する玖珂は大体七位か八位。十位までが名を貼られる掲示板には載るが、まほらと首位争いをした事はない。それを知っている久留里緋色はまほらの言葉に違和感を感じる。ことテストに関して言えば、玖珂三月よりもまほらの方が勝っていると言えるのだから、彼女の宣戦布告は道理に合わない。
だが、前回・二年学期末考査で学年八位だった玖珂は挑発的な笑みでまほらに答える。
「構わないけど、……何を賭ける?」
(……な、なんですぐ何かを賭けるんすか!?)久留里はそう思いはしたが、部屋を覆う深海のような重圧にその軽口は飲み込んだ。奇しくも先日、生徒会長の持つ特別権限『零番規則』について話を聞いたばかり。極端な話、『零番規則を使って自ら学校を辞めなさい』と言う荒唐無稽な尊厳破壊を想像して、ゾッとした久留里の顔からは血の気が引く。
そこまでいかずとも、規則を使い玖珂以外の誰かを生徒会長に指名することすら可能。『零番規則』とは、学内に於いて民意を完全に無視してそこまでの結果を引き出せる特権なのだ。
まほらは生徒会長席に座る玖珂を腕を組んで見下ろし、熱を帯びた瞳で口を開く。
「互いのプライドよ」
玖珂はクスリと笑い立ち上がる。
「……ほんっと、君のそう言うところが大好きだよ。世界で一番、誰よりも」
「軽口はいい。受けるの?受けないの?」
玖珂はまっすぐな瞳でまほらを見る。
「勿論受けよう。僕のプライドに掛けて」
まほらはチラリと久留里を振り返り、視線を感じた久留里はビクッと身じろぐ。
「副会長、ごめんなさいね。今回のテスト勉強はお手伝いできないわ」
申し訳なさそうに眉を寄せて、まほらはそう言った。
「い、いえっ!うちの事は気にしないで……、全力で頑張ってくださいっ!」
久留里のエールにまほらは微笑みで応える。
「ありがと」
「あれ?緋色ちゃん、僕には?」
「玖珂会長もっすよ!頑張ってっす!」
――このニュースは、まほら自身のリークにより速やかに広報委員に流れ、即座に鴻鵠館だよりの号外が発行される事になった。締め切りは今日。
「まったく、テスト期間前にいいネタぶっこんでくれるねぇ」
広報委員長・百舌鳥要は、嬉しい悲鳴を上げながらキーボードを高速でタイピングする。
「俺、要る?」
放課後、主に広報委員が活動をしている第三会議室に呼び出された凪原は、高速タイピングをする百舌鳥を眺めながら問い掛ける。
「そりゃあ要るよ。……凪原、私にはお前が必要なんだ」
「要ちゃん、紛らわしい言い方しないで」
呼び出されてはいないが様子を見に来た黄泉辻渚が、百舌鳥に白い目を向けて苦言を呈する。
「わはは、嫁が怒った。ごめんね」
「……よ、嫁じゃないんですけど」
質問の主はあっという間に蚊帳の外に追いやられ、再び質問を試みる。
「俺、要る?」
「うん、だから要るってば。臨時だから全員呼ぶわけにはいかないし、テスト前でしょ?私が勝手に書いて勝手に配る訳にはいかないし、内容と公平性の精査をしてほしいなって」
「なんで俺?」
百舌鳥はチラリと視線を上げて凪原を見る。
「和泉と玖珂、二人をよく知ってる人なんて他にいる?」
「……了解」
「手すきの時はテスト勉強するか適当にイチャついててよ。私集中してれば気にならないから」
「イチャつきはしないっ!」
黄泉辻は憤慨して声を上げ、百舌鳥はケラケラと楽しそうに笑う。
「まず気になってるのがさ、なんで和泉は勝負を持ち掛けた?玖珂に」
普段のまほらの負けず嫌いと玖珂との関係を知っていれば、一見当たり前に思えたこの勝負。凪原自身も聞いた時は疑問に思わなかった。ババ抜きだろうと何だろうと勝負を挑む負けず嫌いのまほら。
「玖珂のテスト結果って知ってる?あいつ毎回八位前後だよ?対して和泉は高等部に入ってからずっと学年一位」
言われてみて漸く凪原は違和感に気が付く。まほらは負けず嫌いではあるが、確実に勝てる勝負を持ち掛ける程恥知らずではない。つまり、まほらはテストに於いて玖珂を格上に見ている。
「黄泉、中等部の時の結果覚えてる?」
「え!?……まほらさん、ずっと一位だった……よね?」
中等部の間は一度も同じクラスになった事はないし、面識はほとんどなかった。政治家家系の令嬢で、ずっと学年一位で、誰とも話さない孤高の人。それが、それまでのまほらに対する黄泉辻のイメージ。そもそも他者のテスト結果など、一時的な世間話以上の興味の対象にはなり得ない。
「中一の一学期、中間は?」
タイピングを止めて百舌鳥が顔を上げる。
「……覚えて、ないけど。まほらさんじゃないの?」
外部生である凪原は当然その辺りの話は分からない。だが、まほらの宣戦布告と百舌鳥の問いかけで答えはもうわかってしまった。その当時の事はわからない。でも、今の二人の事はわかる。
「玖珂が一位。まほらが二位なんだろ?」
「えっ!?」
凪原が呟くと、黄泉辻は驚きの声を上げる。そして、口元に手をやり、記憶を紐解いてみる。完全に覚えている訳ではないが、うすぼんやりと友人の女子が色めきだっていた記憶が蘇る。
「……そういえば、そうかも」
百舌鳥は椅子を二、三回転させてからニッと笑う。
「でしょ?そこから導き出される答えは一つ」
――それ以降、玖珂は手を抜いていた。
「いやっ、要ちゃん!?それはちょっとまほらさんに失礼じゃない!?」
友人であるまほらの努力を知っている黄泉辻は、怒りを孕んだ声を上げる。
「確かに、その時は玖珂くんが一番だったのかもしれないよ?でも、そのあとまほらさんが頑張って一番になったんでしょ!?そんな言い方は無いよ!」
百舌鳥は黄泉辻の言葉を受けてコクリと頷く。そういう意見こそが彼女の求めていたものだ。
「ごめんね、黄泉。別に怒らせるつもりはないんだよ。じゃあ、次の質問。中一の一学期、期末。和泉が一位なんだけど、玖珂は何位だと思う?」
黄泉辻からすれば当たり前の質問。当たり前すぎて意図が分からない。
「……二位、なんじゃないの?」
想定通りの答え。百舌鳥は満足げに笑い手でバツを作る。
「ブブー。不正解。凪原は?」
凪原は玖珂の事を考える。総理大臣になる、と言い切り、まほらに対して嘘か本当かまっすぐに好意を向ける玖珂三月という人物。一位ではない、二位でもない。百舌鳥の問いかけからして、三位というわけでもないだろう。
「……じゅ、十位以下」
百舌鳥はパチンと指を鳴らしてにっと口元を上げる。
「正解。高等部と一緒で、十位以下は掲示されないから何位かわからない。そして、次にトップ10に現れたのは三学期の中間。その時は六位。それが今に至るまでの最高順位だね。そのあとはずっと判で押したように7~9位」
パラパラとメモを広げながら答える百舌鳥。
「つーか、そんな事まで知ってんのすげぇな……。百舌鳥も玖珂ファン?」
あきれ顔の凪原に百舌鳥はケラケラと笑いながら手を振り否定する。
「わはは、違う違う。私の好みはもっと背が低くてかわいい系だから。黄泉みたいな」
「ちょっと!冗談挟まなくていいから、話の続きっ!」
百舌鳥は真面目な顔で黄泉辻を見る。
「……冗談?私は真面目な話をしてるんだけど、黄泉」
「えっ、あ……、うん。そ、そっか」
顔を赤らめて言葉を濁す黄泉辻を見て、百舌鳥は満面の笑みを浮かべる。
「まぁ、それは置いといて。だてに広報委員三年やってないよ。ある程度の情報網も情報源も持ってんだよね。で、最後。凪原に質問」
百舌鳥はクルリと一回転してから人差し指を立てる。
「記事にはしないよ?ただ、記事を書く上で私が知っておきたいリアリティの話。玖珂は手を抜いてた、と私は思うし和泉もそう思ってるんだと思う。じゃあ、なんでそんな事をする?……動機は、あると思う?言わなくてもいい。あるかなしかだけ言ってくれれば、記事はできるから」
玖珂家と和泉家。まほらと、父・秋水。その関係を考えると、答えは勝手に想像できた。
「ある」
百舌鳥はニッと笑い、タイピングを始める。
「おっけ」
凪原は手を頭の後ろに組んで考える。中学一年の、5月。まだスマホを持っておらず、連絡はたまにまほらが自宅に掛けてくる程度の日々。自分がのんきに中学生生活を送っている間にも、彼女はどれほどの重圧とともに生きていたのかと考える。考えても答えは出ない。
――中学一年の中間考査、学年二位を取った事を報告したまほらは父・秋水から強い失望の眼差しを受けた。一位は玖珂三月だと告げると、即座に平手が頬に飛んだ。その日から、彼女は死に物狂いで勉強をした。二度と玖珂に負けないように。
けれども、相手はもう土俵に上がってくることすらなかった。
そんな重圧の日々の中で、当時の凪原とのやり取りがどれほど彼女の救いになっていたのか、それはまほらしか知ることはない。




