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犬と首輪

 和泉まほらや玖珂三月が、政治力を用いる時にはどうするか?実は直接親に頼む事は稀である。現役閣僚たる彼らの両親は流石にそんなに暇では無い。実際問題、彼らの口から直接要請を受ける事で、大人達はその背後にある権力に忖度して、要請を受け入れる事がほとんどなのだ。


 まほらや玖珂にとって、クラス替えのメンバーを希望通りにする事など、赤子の手を捻るより容易い。


 だが、新しいクラスでまほらは、なすすべ無く窮地に追いやられていた――。


 新たなクラスで彼女の席は窓際の一番後ろ。忖度無しでくじ引きで引いた特等席だ。いくら彼女でも席替えに政治力を行使する程野暮でも暇でも無い。そして、彼女は甘く見ていた。偶然という名の運命の悪戯を――。

 彼女は頬杖をついて窓の外を見る。見ている。前は向けない。なんと、彼女の前の席には凪原司が座っている。


 なんら意図も作為もない偶然の産物だ。

(……え?こんな事ある?私が司くんの後ろの席に?どんな確率!?天文学的確率じゃ無い!?宇宙開闢に匹敵してない!?)

 多く見積もって9%くらいの確率。各学期一度席替えをしてきたが、不思議と遠い席が多かった。それが一気に最前列のアリーナ席。

 逆に黄泉辻は廊下側の席になり、二人とは少し距離がある。

(……ふふっ、黄泉辻さん。今回は私の勝ちね!)

 遠くの黄泉辻に目をやり、一人勝手に勝ち誇る。そして、恐る恐る視線を前に向けてみる。視界には凪原の後ろ姿。普段彼の後ろを歩くことはあまりない。その後頭部はまるで月の裏側を見るような希少さを思わせる。


 気が付くと、その左手は無意識に前方に伸び、凪原の後頭部に手を伸ばそうとしていた。

「っ……!?」

 まほらは息をのみ、意思に反して伸びた左手を慌てて右手で抑えつけると、ガタッと椅子が音を立てる。心配してか、凪原が振り返ると、まほらは迷惑そうに眉を寄せてシッシっと手を払う。

(……まずい。これはまずいわね、非常にまずい)

 まほらは頬杖を突いて窓の外を眺めて苦々しい顔をする。

 ――次の席替えまで精神が保つ気がしない。まほらは内心ダラダラと冷や汗を垂らす。

 ペシペシと何度か右頬を叩く。痛みを思い出して仮面を被り直さなければ耐えられる気がしない。


 苦悶の表情を仮面の裏に押し込めて、無表情に再び遠くの黄泉辻を見る。目が合った黄泉辻はニッコリと笑い、小さく手を振ってきたので、まほらも右手を小さく振り応える。

(ふぅ、人の気も知らないでのんきなものね)

 少しでも気を抜くと、目の前の背中を指で撫でたくなる衝動に駆られる。だが、己と戦う事は彼女にとっては日常茶飯事。まほらはようやく、最初の一時間を終える。


 ――休み時間。黄泉辻は満面の笑顔で、弾むような足取りでまほらの席を訪れる。

「まっほらさ~ん!会いたかったよ~」

 黄泉辻の言葉にまほらは首を傾げる。

「普通に視界の範囲内にいたでしょ?」

「えへへ、そっか!そう言えばさ――、」

 笑顔の黄泉辻は思い出した様に言葉を続ける。

「何で凪くんの頭触ろうとしてたの?」

「……なっ!?」

 それを聞いて、我関せずを装っていた凪原も訝しげに振り返る。

 悪気も無く、屈託なく笑いながら黄泉辻はまほらの返事を待つ。無表情を装いつつ、まほらの頭脳はこの局面を打開すべく、瞬時に無数の分岐を探る。黄泉辻一人ならともかく、凪原がやっかいだ。間を置けば怪しまれる。刹那で導く最適解。

「虫がいたのよ、頭に」

「虫!?」

「……何の虫だよ」

 驚く黄泉辻とは対照的に、凪原は疑いの眼差しを向けている。だが、それは完全に想定の範囲内。

「ノミよ」

「野良犬じゃねぇんだけど!?」

 形勢逆転完了。まほらは頬杖をついて挑発的な笑みを凪原に向ける。

「あら、飼い犬の自覚はあるのね。ご立派だこと」

 黄泉辻は真剣な顔で、心配そうに凪原の頭を探る。

「凪くん、……明日ノミ取りシャンプー買って来るね?」

「……いや、いねぇんだわ」

 完全に安全圏に立つまほらは腕を組んで足を組み、クスクスと笑う。

「黄泉辻さん、ノミ取り首輪の方がいいみたいよ?」

「いらねーよ」

 心配そうに凪原の髪をワシワシと触っていた黄泉辻は、動きを止めてじーっと髪を見つめる。

 ――黄泉辻さん?あなた、まさか……。

 まほらの嫌な予感は的中。黄泉辻は顔を近づけてすんすんと鼻を鳴らす。

「何をしてるの、あなた!?」

 まほらは驚きの声をあげ、ガタッと立ち上がる。事態を把握していない凪原は困惑した様子で二人を交互に見る。

「え、何されたの俺」

 黄泉辻は照れ隠しに凪原の髪を触りながら、バツが悪そうに笑う。

「えへへ、……どんな匂いなのかな〜って、つい」

「えへへじゃねぇ。何してんだよ」

 立ち上がったまほらは、腕を組んで凪原を睥睨する。

「どっ、どうせ濡れた犬の臭いがするんでしょう?」

「しねぇよ?多分」

 まほらは呆れた様に大きくため息をつく。

「どうだか。これは飼い主として確認する必要があるわね。黄泉辻さん、どきなさい」

 黄泉辻を押し除けて凪原の背後を取る。抵抗が意味を持たない事を熟知している凪原は目を閉じて無心に至り、台風が過ぎるのを待つ。

 そして、まほらはドキドキと胸を高鳴らせ、そっと凪原の髪に顔を近づける。窓から吹き込む春の風が、ふわりと髪の匂いを彼女の鼻腔に運ぶ。

「……ん゙っ!」

 瞬間、まほらは真顔で口を押さえる。

「ま、まほらさん?」

 まほらは口を覆いながら、反対の手で黄泉辻を制止する。

「平気よ。少しえづいただけ」

「平気なのか、それ」

「黙って。再検査よ」

 まほらは手で口を隠しながら、再度顔を近づける。手で口を覆わなければ、緩み切った口元が白日の下に晒される事になる。ガッチリと手で口を固定して、すぅ、と息を吸い込む。

 ほぅ、と漏れる吐息が凪原の髪を揺らす。それから、数度まほらは犬の様にすんすんと鼻を鳴らす。

「……そろそろお気に召しましたかね、女王陛下」

 まほらは顔を上げると、口元を隠したまま呟く。


「なるほど。一応は洗っているようね、及第点よ」


(……華王のエリットね)

 手のひらの向こうでまほらはほくそ笑む。まほらは目と耳だけで無く、鼻もいい。使用シャンプーの銘柄特定は完了。帰りにドラッグストアでの購入は確定だ――。


 

 

 

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