お返しはブールドネージュ
――三月に入り一週間。
「センパイ、ちゃんとバレンタインのお返し考えてるんですか?」
放課後、帰宅部部室。例の如く生徒会室から避難してきた久留里緋色は、自分で入れた紅茶を飲みながら凪原司に問いかける。
「お返しねぇ」
去年も和泉まほらと黄泉辻渚からチョコを貰い、迷った末に市販品のクッキーをお返しした。
凪原は考える。チョコを渡してくれた二人の表情を。久留里からも世話チョコを貰っているが、それはカウントしない。
「……俺も手作りで返したら、キモいかな?」
その言葉を聞いて、久留里は嬉しそうに顔をほころばせる。
「キモくないっす!……絶対嬉しいやつですよ、それ!やりましょう、サプライズっす!」
久留里は興奮した様子で机をパシパシと叩く。
「で、センパイはどっちが本命なんですか?」
ずいっと机から身を乗り出して、久留里は中々聞きづらい所に踏み込む。まほらとくっついているのを見た事もあるが、黄泉辻との距離感もかなり近い。聞きづらいが、気にはなる。
「ん?久留里かな」
しれっと照れもなく答える凪原。久留里も照れもせず、バンバンと机を叩いて抗議の意を示す。
「真面目に聞いてんすよ!」
「真面目にって。んー……」
凪原は少し考えた振りをすると、申し訳無さそうに眉を寄せる。
「それは、どっちか決めなきゃまずい?」
「……キープってことっすか?」
「違う、言葉を選べ。とにかく、その話は終わり」
久留里は机に手を伸ばしながら、上目遣いで凪原の表情を伺う。
「……怒ってます?」
凪原はバツが悪そうに苦々しい顔をしつつ、言葉を続ける。
「怒ってはない。でも、そんなんじゃ無いんだよ。……言って伝わるかわかんないけどさ」
言葉を選びながらもできるだけ正直に話そうとしてくれる凪原を見て、久留里はつい微笑んでしまう。
「……何笑ってんだよ」
「いえ、別に。……お返しの話は続けていいですか?」
「勿論。久留里お前お菓子作り得意だったりしない?」
今回はお菓子作りが得意な黄泉辻に頼る訳には行かない。
凪原からの問いかけに、久留里は得意げな笑みと共に体を起こす。
「こないだあげたチョコをお忘れっすか?あれ、うちの手作りっす」
「おっ、そういやそうか。じゃあ、久留里先生、ひとつご指導お願いしますよ」
凪原からの要望に久留里は胸を張り。得意げな笑みを見せる。
「了解っす!大船に乗った気でお任せください!」
「タイタニック号じゃない事を願うよ」
「あの映画うちも見たっす。泣けるっすよね〜」
ニコニコと映画の感想を語る久留里には、凪原の皮肉は届いていない様子。
「いつ作ります?それから場所は――」
と、言いかけて何かを察した久留里は眉を寄せて警戒しながら辺りを見渡す。帰宅部の部室。周囲に人の気配は無い。
ふぅ、と安堵の息をつき、額を拭う振りをする。
「平気っすね」
「何が?」
久留里は再度辺りを見渡してから、凪原に笑いかける。
「そろそろまほらセンパイ現れそうかなって」
その言葉は意外に凪原のツボだった。
「……っははは!なんだそりゃ」
「場所どうします?家庭科調理室借りてもいいっすけど、多分まほらセンパイにはすぐバレますよ」
凪原は腕を組み、頭をひねる。
「だよなぁ。機材とか結構要りそうだよな。どうするか……」
「センパイのおうち、オーブンあります?オーブンレンジで全然いいんすけど」
――思い出してみる。普段使わないからうろ覚えだが、確かそんな機能は付いている様な気がする。
「ある……かな」
久留里は元気よくパン!と、手を叩く。
「じゃあ決まり!センパイのおうちで作りましょう!道具はうちが持っていくっす。お二人がびっくりしちゃうようなおいしいやつ、作っちゃいましょう!」
「おー」
――その瞬間、声がするより一瞬早く、久留里の背中に冷たい何かが走る。
「あら」
その声を聞いた久留里はビクッと大きく身じろぐ。振り向かなくても声の主はわかる。――まほらだ。
「楽しそうね」
「ぅあ、まほらセンパイ」
まほらはクスクスと笑いながら、久留里と距離を詰める。一歩ごとに部屋の温度が1℃下がる様な錯覚に囚われる。
「何の話をしていたのかしら?私にも聞かせてもらえる?」
凪原とホワイトデーのお返しを作る約束。ここで話してしまってはサプライズにはならない。久留里はまほらの圧を一身に受けながらも、凪原の前に立ちはだかり、庇う様に右手を広げる。
「ひっ、秘密の約束っす!」
「秘密の約束はずるい!」
まほらは声をあげて不満を漏らす。
――そして週末。凪原家。
「お邪魔しますっ。今日は台所をお貸しいただきありがとうございますっ!」
久留里は典善にぺこりと頭を下げる。
「おや、元気な子じゃのう。狭っ苦しいところじゃが、好きに使っとくれ」
「はいっす!」
典善は二階に移動し、いよいよクッキングタイム。
「大体同じ材料で作れるやつピックアップしましたけど、どれ作りたいっすか?」
久留里はタブレットにいくつか表示して凪原に見せる。
凪原は目を細め、顎に手をやり真剣に考える。
「んー、クッキー……は、なんか普通。マシュマロ……、はなんかエロい」
「考えすぎでキモいっす」
「キモくはねぇよ。ねぇよな?」
「いいから次っす」
久留里は画面をフリックして次のお菓子を映す。
「マカロン……は、なんかしゃらくさい」
「いい加減うるさいっすね」
そして、次の画面を見た凪原の表情が変わる。
「ブール、ド……ネージュ……だと?」
その名前は凪原の琴線に触れる。口元を手で隠して真面目な顔で凪原はその名を呟いた。中二的センスは凪原の大好物。
「おっ、気に入ったっすか?これにします?」
凪原はこくりと頷く。
「これにしよう。……ブール・ド・ネージュ!」
「あはは、なんすかそれ」
久留里はタブレットにレシピを表示して、トンと机に立てる。
「レシピはこんな感じっす。玖珂会長の秘伝レシピっす!」
「……何者なんだよ、あいつ」
「それじゃ、始めましょうっ!レッツ、クッキングっす!」
右手を掲げて久留里は元気に声を上げる。
そして、久留里の用意したエプロンと三角巾を着用して、菓子作りが始まる。
「……ブールドネージュ(スノーボールクッキー)は、ホロホロとした食感と、粉糖がたっぷりまぶされた見た目が可愛らしい、人気のクッキー。クッキーじゃん」
解説を読みながら凪原がぼやく。だが、久留里は気にしない。
「ブールドネージュっすよ。ほら、生地作りますよ」
「へい、先生」
無塩バターをハンドミキサーでかき混ぜ、粉糖を加えて混ぜ、ふるった薄力粉とアーモンドプードルを混ぜて、ゴムヘラで切る様に混ぜる。
「混ぜすぎないのがポイントっす」
「……ちょっと面白いな、コレ」
「ふふん、でしょう!」
久留里は得意げに笑う。
「味のバリエーションもつけられるっすよ。持ってきたのは、抹茶と、レモンと、ハチミツと……」
大きな手荷物の中から久留里が次々にトッピングを取り出す。凪原はそれを見て何やら思案する。
そして、生地を冷蔵庫で休ませたら、続く手順は成形。手でコロコロと丸くする。色とりどりの丸い玉が天板に並ぶ。
「あとは焼くだけっす」
生まれて初めての菓子作り。凪原はふーっと、安堵の息を吐く。
「おかげさまで助かったよ。さんきゅー」
「まだ終わってないですよ。食べるまでがお菓子作りっす!」
「なるほど、奥が深いな」
――しばらくすると、オーブンからはアーモンドの香ばしい匂いが溢れ、二人の鼻腔をくすぐる。
「完成っす〜!」
タイマーの音が鳴る間に、競う様に久留里はオーブンレンジを開き、勝鬨の声を上げ、凪原はパチパチと拍手でそれに応える。
粉糖をふるう前に味ごとに分ける。そして、タッパーに入れ、粉糖をふんだんにまぶす。
「センパイ、一つ食べたいっす!」
「おう、ほい」
久留里が無邪気に口を開けるので、凪原もつい自然とその口に出来立ての白くて丸い玉をぽいっと入れる。
「うまい?」
凪原が聞くと、久留里は眉を寄せて笑う。
「あちーっす」
「だろうな」
抹茶、ハチミツ、レモン、ミルク。色々な味のブールドネージュ。久留里が用意した包装紙に分けて包む。
「何から何まで悪いな、先生」
「ふふん、先生っすからね。生徒の面倒を見るのは当然っす」
そう答えた久留里は、凪原の分けるブールドネージュを見て首を傾げる。
「……そんな分け方でいいんですか?もっとバランスとか」
凪原はケラケラと笑う。
「いいのいいの」
準備は整った。あとは、二人に渡すだけ。あの日の気持ちの、お返しを――。




