闇の権能
――期末テストを終え、残るは冬休みを待つばかり。生徒会選挙から続く怒涛の流れもようやくひと段落しようかと言う師走の中頃、鴻鵠館に静かに重いニュースが広がる。
「……凪くん、これ見た?」
神妙な面持ちで黄泉辻渚が差し出した画面には鴻鵠祭の写真が映っている。それは巫女装束で校内の見回りをしているまほらの写真。その顔は凛としていて一切の照れは無く、本職ですが?とでも言わんばかりの自信に溢れていて、逆に合成写真の様な異質さを醸し出している。
「お、これが噂の巡回巫女か。誰か写真撮ってたんだな、ははは」
自他共に認める巫女服好きの凪原司が軽く笑うと、黄泉辻は珍しく冗談抜きにムッと眉を寄せる。
「笑い事じゃないよ、これ盗み撮り。誰かがまほらさんを勝手に撮ってSNSにあげてるんだよ!」
「は?」
その言葉で凪原の薄笑いもぴたりと固まる。まほらの右後ろから撮られたその写真は、まほらの横顔を映していた。
凪原は真顔で黄泉辻のスマホを取る。
「どこのバカだよ、貸して」
見ると画像はすでに四万以上のイイねが付いていて、コメントも無数に書かれている。
「修正エグない?」「美しすぎる巫女」「どこ高?」「AIやろ」。軒並みポジティブな物ばかりであったが、そう言う問題ではない。
アカウントを見ると、元々誰も見向きもしていない様な個人的な呟きを繰り返すアカウントだったが、三日前このまほらの写真がバズって以降、何枚か継続して鴻鵠祭の写真が投稿され、かつての彼の投稿の何万倍もの承認を得ていた。
「黄泉辻もいんじゃん」
「ウソっ!?」
薄オレンジ色の浴衣に身を包んだ黄泉辻が、浴衣の袖を摘んで町娘の様に歩く写真。こちらは三万イイね。
「……うぁあー!全然気が付かなかったぁ!」
友人であるまほらの写真を見つけた時点で、怒り沸騰だった彼女には「自分の写真もあるかも?」だなんて思う余裕は無かった。
「……わかったぞ、黄泉辻。犯人は――」
凪原は真面目な顔で呟く。
「和服好きだ」
「凪くんじゃないよね?」
冗談で誤魔化しはしたものの、凪原は内心怒りを抑えるのに必死だ。――それは、気にしすぎなのかもしれない。けれど、いくらでも拡大できる高精細な画像で、まほらが望むことなくその傷を抉られ、知らぬところでばら撒かれるかと思うと、いても立ってもいられなくなる。
「まほらはこの事は?」
「……知ってる、と思う。クラスでも話題になってるし」
凪原は怒りを吐き出すかの様に、大きく大きく息を吐く。
「承認欲ってのはそろそろ食欲あたりと入れ替えるべきだよな」
不機嫌そうに吐き捨てる凪原に、黄泉辻は苦笑いで問い返す。
「な、何の話?」
「あー、七つの大罪の話」
凪原は立ち上がると、まほらの席へとつかつかと歩み寄る。
まほらは座ったまま、チラリと凪原を見て表情を変えない。
「あら、どうかした?」
凪原はにっこりと満面の笑顔で自身のスマホをまほらに見せる。
「ご存知っすか?」
まほらはニコリと微笑む。
「えぇ、まぁ。綺麗でしょう?まぁ?被写体のレベルからするとまだまだ閲覧の桁が――」
「――全っ然」
まほらは予想外の凪原の返事に目を丸くする。
――凪原は、まほらの微笑みの違和感に気がついた。まほらの微笑みはもっと柔らかく綺麗だ。こんなもんじゃない。平気なわけがない。もしかしたら、スマホに向けたたったの指2本で傷口が開かれてしまうかも知れないのだ。全国、全世界に向けて。皮膚を裂き、血が流れる様な恐怖をまほらは感じている筈だ。
「お前はもっと綺麗だっつーの。こんな出来損ない全っ然綺麗でもなんともねーよ」
凪原は吐き捨てるようにそう言うと、勢いよくドアを開けてそのまま教室を後にする。
「ち、ちょっと、これから授業よ!?」
「腹痛いんで帰りまーす」
――北棟、3階。一年B組。
「副会長ー」
授業中にも関わらず、凪原は久留里緋色の教室を訪れる。
「はぇっ、センパイ!?授業中っすよ、どーしたんですか?」
「あのさ、会長の電話番号教えてよ。教室にいねーんだよ、あいつ」
「勿論知ってますけど、なんかトラブルっすか?」
「まぁそんな感じ」
久留里ははてなマークを頭に浮かべながらスマホを取り出す。だが、当然教師は黙っていない。
「おい、凪原!何考えてんだお前、授業中だぞ!?」
現国の教師は当然凪原を叱責するが、凪原は構わずその場で玖珂に電話をする。
『はーい、何?どうせ凪原くんだろ?』
「こわっ、なんでわかんの」
凪原は玖珂と番号の交換など行なっていない。スマホ越しに玖珂の声が聞こえ、教師の叱責はピタリと止まる。
凪原は教師に申し訳なさそうな顔を向け、手で『すいません』とジェスチャーをして、そのまま廊下の向こうへと消えていく。
『僕忙しいんだよね。用件だけ言ってくれる?』
「ん?カメラってどうやってみんの?防犯カメラ」
凪原は廊下をキョロキョロと見渡す。そこは写真でまほらが写っていた場所。鴻鵠館は有力者の子女が多く通う。当然防犯にもかなりの力を入れている。
「バカみてーに何枚も写真アップしてんだから、カメラ見りゃ映ってんだろ。まほらが巫女服で見回りしてた時間なんて相当限られてんだし」
『なるほど、なるほど。地べたを這う君にしてはいい考えだねぇ。それで?見つけてどうするの?ガツンと注意してやる感じ?』
「……それは」
仮に犯人を特定しても、拡散された写真は消えない。
『うんうん、いいんだよ?自己満足だって立派な行動原理だからねぇ。守衛室には言っておくからあとは自分で勝手にやって。さっきも言ったけど、僕忙しいんだよ』
まほらの危機を差し置いて「忙しい」を連呼する玖珂に凪原は苛立ちを募らせる。
「へぇ〜、意外。あんたにもまほらより優先する用事があるんすね」
「あはは、君は思った通りバカだねぇ」
電話口の向こうでケラケラと軽く笑ったかと思うと、次の瞬間声のトーンは低く響く。
「そんなものあるわけないだろ」
玖珂もまた、仮面の奥に押し殺した感情を滲ませる。
「知らんけど。そんじゃ、さんきゅー」
電話を切ると、凪原は守衛室へと向かった――。




