写真に残らないもの
――第73回鴻鵠祭が終え、数日が経つ。翌日が授業の無い撤収日であった為、校内はほぼいつもと同じ顔を取り戻す。
「鳳凰賞さ、僕らのクラス過去最多得票なんだけど、話題にならなすぎると思わない?ねぇ、緋色ちゃん」
生徒会では玖珂たち三人が書類仕事に追われている。各模擬店は営利目的では無い為、売り上げはいったん文化祭実行委員が取り纏め、各クラスから提出された経費一覧と綿密にすり合わせをしたうえで、経費分を分配する形となる。生徒会はその最終チェックと承認作業を行う。
玖珂三月の問いかけに、レシートのチェックを行いながら久留里緋色は相槌を打つ。
「そうっすねぇ……、っと違くて!玖珂会長のケーキ本当においしかったっすよ!種類も多くて、うちはガトーショコラが神でした!」
「あ、そう?それは嬉しいねぇ。まほはどうだった?」
玖珂の席から対角線ともいえるほど遠く離れた席でPC作業を行うまほら。まほらは耳が良い為、この程度の距離であれば問題なく会話が可能だ。
「はぁ。なんで私があなたのクラスのケーキを食べなければいけないの?食べるわけないでしょ」
いつも通りの刺々しい反応に、久留里はビクッと身じろぐ。
「はい、嘘~。凪原くんのおじいさんがケーキ買ってるの僕見てるんだよね。典善さんだろ?僕も昔一度会ったことあるから知ってるんだ。残念だったね、わかりやすい嘘がばれちゃって。おいしかった?」
一度会った人の顔と名前は忘れないという、もはや異能といえるレベルの玖珂の特技。
玖珂の煽りを受けてカチンと来たまほらは頬杖をついた右手と反対の左手で机をトントンと叩きいらだちをあらわにする。
「それは推理じゃなくて妄想って言うのよ。得意げに妄想垂れ流すのはSNSだけにしておいた方がいいわよ」
「ショートケーキとミルクレープだろ?二つってことは、凪原くんの分は買っていない。つまり、君らの二人分。もし、君が食べていないって言うなら、黄泉ちゃんに聞いてみればわかるかな。よし、善は急げ。今から――」
まほらはバン、と勢いよく両手で机をたたき、玖珂を睨む。
「座りなさいよ。逃げるの?」
「あはは、むしろ攻めでしょ。まぁ、そんなに僕と話したいっていうなら、僕としても悪い気はしないかな」
――ところ変わって、帰宅部の部室。
「と、言う訳で避難してきた次第っす」
久留里は帰宅部の部室、席に着き申し訳なさそうに眉を寄せる。
「いつからここは避難所になったんだ?」
まほらは生徒会、黄泉辻渚は茶道部。予期せぬ来客に凪原司は首をかしげる。
「まぁ、ある程度お察しはしますがね。お茶飲みます?副会長閣下」
凪原が席を立とうとすると、久留里は大慌てで立ち上がり、両手でそれを制止する。
「おっと、うちがやりますって!センパイは座ってて下さい」
部室の端にある給湯場に向かう。電子ケトルでお茶を沸かし、お茶を淹れる。久留里は恍惚の表情で宙を仰ぐ。
「はぁ、落ち着くっすねぇ……」
「飲む前に落ち着いてるやつ初めて見たよ」
「はい、センパイ。お茶っす」
久留里は笑顔で凪原にお茶を差し出す。コースターに乗せたレモンティー。
「あ、どうも」
凪原のそっけない態度には理由がある。帰宅部は別として、中学高校と部活に入っていなかった彼は、後輩との接点が少なく、面と向かって『センパイ』と呼ばれる機会はほとんどなかった。――単純に言うと、妙に照れくさい。
「お茶菓子とかなくて悪いね。黄泉辻がいれば大体なんか持ってるんだけど」
「いえいえ、お構いなく。うちが勝手に来ただけなんで!はぁ~、お茶がおいしいっす」
お茶を飲みながら久留里は部室の中をきょろきょろと見渡す。
「それにしても、まだ信じられないっすよ。ここが本当にあんな神社になってたなんて。写真とかないんすか?」
「ん?撮ってない」
レモンティーのカップを口にしながら、凪原は短く答える。
「一枚もっすか!?」
久留里の驚きも当然だ。長い準備期間、多くの手間、現実的にかかった費用。それらを対価にしてこの部室に生まれたえもいわれぬ異世界の様な幽玄の神社。多くの人の心を震わせ、朱雀賞も受賞した。
確かに、来場者は写真撮影不可だった。でも、主催者は別と思うのが普通だ。
「うん、一枚も。最初からそういうコンセプトだったしね」
理由を聞いても久留里はまだ納得できない。きれいなもの、珍しいもの、好きなもの、エモいもの。なんでも写真に残すのが当たり前。――それは彼女に限らず大多数の人間がそうだと、彼女自身も思っている。
「……コンセプトって、ほかの二人も納得してるんすか?あんなに頑張って、すごいの作ったのに」
「そりゃもちろん。俺一人で決められるわけねーじゃん」
久留里はカップを口元に寄せたまま、眉を寄せてジッと凪原を見る。
「納得できません。納得させてくださいっす」
あまりに直球な要望に凪原は口元をゆるませる。
「そうだなぁ……」
凪原は少し考える。そして、一応周囲に誰も居ない事を再確認。
「ちょっと自分語りになるんだけど、んー、……秘密にしといてくれる?」
久留里はうんうん、と力強く何度も頷く。
「もちろんです、鴻鵠館高等部生徒会・副会長の名に懸けて!」
それは凪原にとってかなり信用のできる誓い文句であることを久留里は知らない。
凪原は照れくささをごまかすように、頬杖を突きながら反対の手の人差し指をくるくるを回す。
「今のスマホってすごいきれいに撮れるよな」
久留里はコクリと頷き、「っす」と短く相槌を打つ。
「だから、それを見ると昔の事も鮮明に思い出せる――、ような気がしちゃうんだよな」
――で、ここからが自分語りなんだけど。と、前置きをして、凪原は言葉を続ける。
「初恋の人がいてさ。小五の時に出会って、……中三の時にちょっと家同士で揉めて会えなくなって」
描写はぼかすが嘘はついていない。正直に言って、凪原自身もなぜあまり面識のない久留里にこの話をするのかもいまいちよくわかっていない。もしかすると、ずっと誰かに話したかったのかもしれない。
「スマホ持ってたから、写真もいっぱい撮ってた。でも全部消した。消さなきゃいけなかったから。じゃあ、俺はその子の事を思い出せないか?忘れてるか?」
凪原は懐かしむように笑う。
「困った事に逆なんだよな。全然、……忘れられない」
話を聞く久留里の目と鼻から液体が流れる。
「……振られちゃったんすね」
凪原もバツが悪そうに笑う。
「ま、そんな感じ。要するに、写真を残さないことで、敢えてみんなの心の中で美化させよう作戦!って事だ、ははは」
気恥ずかしくなり、途中からいつも通りの語り口となり、軽く笑う。
涙と鼻水をそのままに久留里は納得したようで力強く頷く。
「なるほど、……勉強になるっす」
「じゃ、約束通り他言無用って事で。俺も副会長が鼻水垂れてたの秘密にしとくから」
「んなっ……!」
久留里は恥ずかしそうにティッシュで目と鼻を拭き、もじもじと右手の小指を差し出す。
「じゃあ……、二人だけの秘密、っすね」
久留里はそう言って、にぱっと笑う。
――その時、久留里の背後から声がする。
「あら」
声の主は言わずともがな、まほらである。彼女の流麗な所作は扉を開くのに音など立てない。
「副会長、こんな所にいらっしゃったんですね」
「……っす。あの神社すごかったから、もう一回見たくて、写真ないっすか〜って」
平常心を装いながらも久留里の目は泳いでいて、それを見逃すまほらでもない。
「あら、そうでしたか。……で?何が二人だけの秘密なんですかぁ?」
ニッコリと満面の笑顔でまほらは首を傾げる。だが、久留里は折れずに立ち上がり、凪原を庇う様に左手を広げる。
「ひっ……、秘密は秘密っす!副会長の名に懸けて約束したんです!」
まほらは一瞬驚き目を見張る。次の瞬間、むっと頬を膨らませて反論。
「秘密はずるい!」
「……子供かよ」
――忘れられる訳ないだろ。
カップを持ち、お茶のお替りを淹れに向かう道すがら、まほらをチラリと見て、凪原は心の中でつぶやいた。




