鴻鵠祭④ 曲がり角の向こう
「ねぇ、黄泉辻さん。コアラってお好き?」
生徒会の見回りから戻ると、和泉まほらはニコニコと黄泉辻渚に問いかける。それは春の木漏れ日の様な、一切の警戒も必要のない、柔らかく、優し気な微笑み。
「コアラ……」
黄泉辻は一旦考えて、ユーカリの木で眠るコアラを想像してから元気に答える。
「うん、好きだよ!かわいいよね」
まほらは笑顔のまま、ポンと手のひらを叩く。
「やっぱり!」
そして、獲物が罠にかかると同時に、笑顔は一気に絶対零度の嘲笑へと変わる。
「だからコアラみたいにしがみつくのがお上手なのねぇ」
まほらは生徒会の見回りで校内の巡回をしていた。その際にお化け屋敷から出てくる二人を目撃していた様子。
「やっ、まほらさん。あれは違うんだよ!ゾンビが怖いから、助けて~って。そんな感じなの!」
両手を広げて身体いっぱいに使い、黄泉辻は必死に弁明をする。
「なるほど、そうだったの。ところで黄泉辻さん知ってた?……余談だけど、コアラの赤ちゃんはウンコを食べるのよ?」
「それを聞いてどうしろと!?」
「いえいえ、恥ずかしげもなくあ~んなところでコアラの真似をするぐらいですし?もしかしたら~って思って」
「食べるはずがない!」
よっぽど腹に据えかねたのか、黄泉辻へのまほらの攻撃はいつもより執拗だ。だが、黄泉辻も言われっぱなしでいる訳ではない。
「……まっ、まほらさんだって――」
反撃の気配を察し、まほらは内心身構えつつ心当たりを検索。あらゆる自身の行動を鑑みたが、探られて痛い腹は無い。愚にもつかぬ見当違いの放言が飛び出すのみ、との結論を導き出す。
「巫女服で見回りしてたくせに!」
「ぐぐぅっ……!」
死角から受ける想定外のダメージにまほらは眉を寄せて歯を食いしばる。
「あれは着替えるのを忘れただけで……。それに、わっ、私の巫女装束は、コスプレじゃなくて本物なの!いわば私は本物の巫女!恥ずかしいことなんか一つもないわ!まさか、黄泉辻さん。あなたも本物のコアラだなんていうんじゃないでしょうねぇ?」
まほらの反撃、論戦では黄泉辻に勝ち筋はない。
「……コアラ、では……ない」
意気消沈の黄泉辻を見て、まほらは勝利を確信。得意げな顔で髪を手で払いなびかせる。
「ふっ、私の勝ちのようね」
勝ち誇るまほらに凪原は白い目を向ける。
「何と戦ってんだお前は」
まほらはジロリと凪原を恨みがましく睨む。
「あら、凪原くんじゃない。いたの?随分他人事の様にお得意の突っ込みをかましてくれましたけど?私、初めて知りましたよ、鼻の下を伸ばすって、慣用句じゃなくて本当に伸びるんですねぇ」
まほらは凪原に距離を詰めつつ、目力を強めて詰め寄る。
「黄泉辻さんにお胸を押し付けられて大層ご満悦なご様子でしたねぇ。私ちゃぁんと見ていたんですから」
「あのな、まほら。違うんだ。あれは人命救助だ」
ゾンビを怖がる黄泉辻を救うため、と言う大義名分と事実がある。だが、それが通じるようであれば暴君とは呼ばれない。
「つまり、凪原くんにはやましい気持ちはなかった、と?」
凪原を試すようにジッと瞳を見上げる。当然凪原はコクリと頷く。それ以外の答えは存在しない。
「当然。平常心だよ」
チェックメイト。まほらは黄泉辻同様に凪原の腕に抱きつく。――しかも、巫女装束のコンボだ。
「じ、じゃあ当然これも……平気よね?」
恐る恐る表情を見ると、僅かな照れもなく、耳も赤くない。至って普段通りの凪原だ。
「あぁ、勿論」
「それはそれで釈然としないんですけどぉ!?」
混沌極まる部室。ガラリと入口の扉が開く。
「こらこら、何やってんの君ら。廃部にするよ?」
現れたのは生徒会長・玖珂三月と、副会長の久留里緋色。
久留里は凪原の腕に身を寄せるまほらを見て頬を赤らめる。
(……和泉センパイ、やっぱり凪原センパイと!?)
まほらはヒラリと流麗な動きで凪原から離れると、腕を組み大きなため息をついて玖珂を見る。
「何の用かしら?」
「やっぱお前すげーよ」
まほらの様子を見て玖珂は楽しそうに笑う。
「何の用って、生徒会の巡回だよ。見たとこ次予約入ってないだろ?せっかくだから二人お願いしようかな」
玖珂はチケットを二枚ヒラヒラと揺らす。
凪原はあきれ顔で玖珂たちの分の予約を行いつつ、じっと疑いの目を向ける。
「もし本当にいいと思ったら票入れるんだよな?」
玖珂は涼しい顔で頷く。
「そりゃもちろん。神に誓って。僕、神様信じてないけど」
「あと、あんたの接客はしないから。茶化されても腹立つし。久留里さんの後ろで大人しくしてて」
「ひどいな、君。まぁ了解。公平にね」
久留里は驚きの顔で凪原を見る。その顔にはダラダラと冷や汗が流れる。
(この間も思ったけど、この人玖珂会長にタメ口って……、何者なんすか!?)
――一旦二人は神域の外、鳥居前まで移動。
「少し待って」
まほらは一度深呼吸をしてから右頬をパチ、と軽く叩き、狐の面を被り俯く。
辺りをスモークが覆い、朱色の鳥居が照らし出される。
まほらはゆっくりと顔を上げ、神楽鈴を一度シャンと鳴らす。
「お待たせいたしました。凪ノ泉神社・例大祭へ、ようそこお越しくださいました」
その瞬間、神域が生まれる。
玖珂と久留里は、それぞれ手にわたあめとステーキ串を手に、その神々しさに目を奪われる。
凪原の宣言通り、玖珂の相手はせず客は久留里のみだ。
「うわぁ……、なんすか、これ。祭りじゃないですか、本物の」
祭囃子が久留里の気持ちを高揚させる。
久留里は黄泉辻と一緒に紙の貼っていないポイで金魚すくいに興じ、ヨーヨーを掬い、和太鼓を叩いた。
「会長!このスーパーボール、超綺麗ですよ!」
大きなスーパーボールを宝石のように、宝石のような笑顔で玖珂に見せつける。
「あぁ、本当だ。キレイだね」
珍しく、素直な笑顔で玖珂はそう言い、スーパーボールを提灯の明かりに照らした。
「会長!おっちゃんにラムネ貰ったっす!うち開けていいですか!?」
「どうぞ〜」
久留里は親指でラムネのビー玉を押す。あまり力が強くないようで、プルプルと震えながらビー玉を押す。
「……んんんっ、んあっ!?」
ビー玉が落ちると同時に勢いよくラムネが噴いて、久留里と玖珂にかかる。それを見た久留里は驚き目を丸くしたまま顔から血の気がさぁっと引く。
「ああっ!?会長っ!ごめんなさい!殺さないで!」
ラムネがかかろうが玖珂は笑顔を絶やさず、久留里にヒラヒラと手を振る。
「あはは、殺さないよ。気にしない、気にしない」
ひょっとこの面を被った凪原が玖珂にタオルを差し出す。
「おうおう、これが本当の水も滴るいい男ってやつかぃ。可愛い彼女さんじゃねぇの、許してやんな」
玖珂は冷たい笑顔を凪原に向ける。
「殺すよ?」
「はーい、殺害予告一丁〜。警察呼んで〜」
玖珂を煽る凪原を、久留里と黄泉辻は身を寄せ合いながら遠巻きに震える。
「……よくもまぁ、ここまでって感じだよ。すごいすごい」
ステーキ串を片手にパチパチと拍手をする玖珂。
「でも、スケジュール見る感じいいとこ七十人くらいだろ?」
ステーキ串を頬張りながら凪原を煽る。
「百人がなんとか偉そうな事誰か言ってたね。誰だっけ?あはは、なっさけな」
玖珂の煽りを受けた凪原は、ひょっとこのお面で肩を落とす。
「それに関してはまぁ、仰る通りぐうの音も出ない」
そして、ひょっとこのお面を上げ、覚悟を決めた様子でニッと笑う。
「けど、理念は曲げてない。来た人全員の心を震わす物を作ったつもりだ。もちろん、あんたも含めてな」
真っ直ぐ玖珂を見据える凪原の瞳。玖珂はやれやれと言った風に両手を上げ首を横に振る。
「あ、そう。なんであれ、結果が楽しみだね……その理念とやらがみんなに届くのかどうか。何票取れるのか」
そんなやり取りをしていると、靄が強くなり、狼の遠吠えが聞こえてくる。ドン、ドン、と一定間隔で和太鼓の音が空気を揺らし、その間隔はだんだんと短くなる。――時間切れだ。
凪原はひょっとこのお面を被り直し、慌てた様子で周囲を見渡す。
「い……、いかん!時間切れだ、神域が閉じる!」
それを聞いた久留里は絶望に眉を寄せ、凪原に縋る。
「……えっ!?おいちゃん、私たちどうなるの!?」
「出口まであいつが案内する。気をつけて帰りな、嬢ちゃん。彼氏と仲良くなァ」
凪原は久留里に向けて親指を立てる。
「おいちゃん……」
久留里もすっかりと世界に取り込まれている。
そして、黄泉辻の案内を受けて、二人は鳥居の元に辿り着く。シャン、シャンと神楽鈴が鳴り、まほらが二人を迎え入れる。
狐のお面を外したまほらは、優しく微笑む。
「おかえり」
敢えての飾らぬ物言いに、久留里はほっと安堵の息を吐く。
帰り道を振り返る事無く。二人は凪ノ泉神社を後にする。
「会長、お祭りすごかったですね!」
「だねぇ」
水の入ったヨーヨーを手で弾きながら興奮した様子で玖珂に同意を求めてから、名残惜しそうに後ろを振り向く。角を曲がれば振り返っても良い決まり。
「……もう戻れないの、なんかさみしいですね」
玖珂は不思議と嬉しそうに笑い、ポンポンと久留里の肩を叩く。
「はいはい、仕事仕事」
――そして鴻鵠祭、初日は幕を下ろす。




