文化祭準備期間⑨ 鐘で魔法が解けるまで
――文化祭、前夜。この日に限り最終下校時刻は大幅に緩和され、夜の9時迄となる。いよいよ明日10時から、鴻鵠館高等部学園祭『鴻鵠祭』が開催される。
初日は高等部の生徒のみに解放、そして二日目は招待客も含めた解放となる。各クラスは最終追い込みだ。
2-Aも最終追い込み。最終下校時刻は過ぎているが、ほとんどの生徒がまだ残っている。その顔には締め切りに追われる悲壮感などなく、まるでこの時間を楽しんでいるようにも見える。
あまりクラスの出し物の準備に参加できなかった凪原司は、罪滅ぼしとばかりに最終調整を手伝っている。
「まつりさん、すいませんな。あんまり手伝えなくて」
「あー、気にしなくていいよ。部活の方でも何かやってんでしょ?何部?」
「帰宅部」
「帰宅部!?あーしだってそうだけど!?……まさか、サボリの口実とかじゃないよね?」
さすがにまつりも驚きの声を上げる。疑いの目をむけるまつりに凪原は一枚のチラシを渡す。
「そんな姑息な事しねーよ。残念ながらマジであるんすよ。色々教えてもらったからもしよかったら、来てくれよ。黄泉辻とまほらとで結構頑張って作ったからさ」
チラシは幻想的な神社の写真がプリントされたもので、『凪ノ泉神社・例大祭』と記され、いくつかの注意事項とQRコードが載っている。
完全予約制、入場無料だが、校内で買った食べ物を持っていない者は神域を潜ることは出来ない、神域は二度訪れる事はできない、等。
そのチラシを見た瞬間、まつりはスマホを取り出して目を輝かせた。
「へ~、エモエモ~。どこでやんの?4F?まーじで~」
「予約制だから、何なら今朝一とっとく?」
「いいねいいねぇ。祭りだねぇ」
江戸っ子の様な事を言いながらまつりは軽快にスマホに指を滑らせて予約画面に行く。
一回20分で、一時間に二回。10時から夕方6時の閉場までの8時間、それが二日分。そこで凪原はふと気づく。
(……あれ、1枠20分だと1時間に2回、2日で最大96人か。……100人届かなくね?)
それに気づき内心ゾクリとする。今更そんな事に気づく察しの悪さを嘆く。
「これ自分で作ったん?」
予約のページを見ながらまつりが感心するが、凪原は首を横に振る。
「あ、あぁ。んなわけない。今回から生徒会が作った予約用ページがあるんだよ」
――玖珂三月率いる新生徒会は各種手続きのデジタル化を推進しており、鴻鵠祭までの短時間でなんと予約用のページを立ち上げていたのだ。
「あ、これが噂のアレか。よし、にゃぎはら!一発目とったよ、二人!」
「あざーっす。彼氏?」
「いたらよかったのにねぇ」
「買った食い物持ってこないと入れないから注意な。悪い、また帰宅部戻るわ」
凪原は時計を見ると、パタパタと足早に教室を後にする。
教室ではまるでもうお祭りかのように、生徒たちが楽しく笑い、差し入れを食べたりしながら準備をしていた。
足早に帰宅部の部室に戻ると薄暗い教室から黄泉辻の楽しそうな声が聞こえかすかな罪悪感が加速する。部室の壁には暗幕が引かれていて、LEDランタンのユラユラした明かりが教室を照らす。凪原は二人に来客見込みの誤算を詫びる。
「……でも、一回15分にすれば、一時間に3回回せるから――」
「あら?今回すって聞こえたけど。ずいぶん志が下がっちゃったのね。自信がなくなったのかしらねぇ、黄泉辻さん」
まほらは頬に手を当てながらあきれ顔で黄泉辻を見る。
「ね。気にしなくていいのに。100って、物のたとえでしょ?この神社のコンセプトはなんだっけ?凪くん、言ってみて?」
――忙しいやら、明日開幕への不安やらで、初心を失っていた己を恥じる。
「百人の百票、要するに、来た人皆が満足して忘れられない神社、だ」
まほらも黄泉辻も、凪原の言葉を優しく見守る。
「正解。時間が短かったらそうは行かないでしょ?というか、最初から計算すればわかることだからてっきり気づいているんだと思ってたけど」
「う、まぁ。そうっすね」
基本配置は、まほらが受付、凪原がテキ屋、黄泉辻がにぎやかしではあるが、まほらは生徒会の業務の時間があり、黄泉辻は茶道部の出店もある。それに、クラスの割り当てもある。三人揃わない時間もあるが、それは気合で乗り切るしかない。
凪原は『ちょっと野暮用』と言い、また部室を離れ、部室はまほらと黄泉辻の二人きり。
時刻は夜の8時。11月にもなるとこの時間は少し冷える。黄泉辻はカラカラと窓を開けて外を眺める。さすがに外の出店類の準備は終わっている様子で、外には人はいない。下のほうをみると、ほとんどの教室の明かりがついていて、時折楽しそうな声が風に乗ってやってくる。
「いよいよだね」
まほらも黄泉辻の隣から窓を眺める。
「そうね。今見た所予約状況はあんまり芳しくないわね」
「でも、大丈夫だよ。絶対超すごいから」
両手でガッツボーズをして小学生みたいな事を言う黄泉辻にまほらはついクスリと笑う。
「ふふっ、なにそれ」
「まほらさんもやってみるといいよ。力湧いてくるから!こうだよ、こう」
「こうかしら?」
まほらはクスクス笑いながら黄泉辻の真似をして両手でガッツポーズをする。それはガッツポーズと呼ぶには小さくか弱い。
「もっとこう。うーっ、おーって」
「ふふ、う~、お~っ」
「いいね、もっとできるよ!うー、おーっ」
文化祭前夜の謎の高揚感のせいだろう。普段なら絶対にしないだろうに、まほらは黄泉辻に合わせて楽しそうに拳を握っては、天をにあげる。
「う~、おーっ!」
「うおっ」
何度目かの雄たけびの後、後ろで凪原の驚く声がして二人……主にまほらは急に現実に戻る。
「お前ら何やってんの」
「ん?気合い入れる儀式」
黄泉辻はさすがに照れもなく答え、凪原の視線はまほらに移る。
「へ、へぇ。まほらも?」
「……わたしは別に。それよりね!」
あまりにも急すぎる方向転換。まほらは赤い顔で腕を組みながら凪原をにらむ。開いた窓から流れ来る冷たい風が熱い顔に気持ち良い。
「凪原くん、あなた!最近私の事まほらまほら気安く呼んでくれちゃってるけどね!それなら――」
まほらは黄泉辻を指さし、声をあげる。
「黄泉辻さんのことだって名前で呼んでみなさいよ!?できないんでしょ?照れちゃうんでしょ?」
半ば八つ当たりに近い言いがかり。凪原は首をかしげて短く答える。
「できるわけないだろ」
流れ弾を受けた黄泉辻は声に出さず『あう』と内心肩を落とす。だが、凪原の言葉は終わっていない。
「黄泉辻。いいか?俺はこれから真面目な話をするぞ?……もしかすると、文化祭前夜の熱気に当てられてちょっと熱苦しいかもしれんけど」
「え、あ、うん。はい」
「俺は現状この世に存在する苗字の中で、黄泉辻が一番好きだ」
言葉の前半分を無視すれば、完全に告白だ。黄泉辻は真っ赤な顔で両手で自分の手を触る。
「……はぇ」
言葉にならない言葉を放ち、一応こくりと頷く。
「だからできることならこれからも黄泉辻って呼びたいんだけど、まずいか?」
黄泉辻は無言で首を横に振り、ひきつった顔でまほらが参戦する。
「へ、へぇ。じゃあ世界で一番って事は、和泉姓よりって事でよろしいのね?」
「まぁ、そうなるな。あくまで俺の感性の問題だが」
「うぐぅっ」
まほらは負わなくてもいい無駄なダメージを負い、胸を押さえる。対して黄泉辻は、窓辺に一歩寄り、外気による冷却効果を期待しつつ、一歩踏み込む。三人を包むのは、文化祭テンションとでもいうべき謎の高揚感だろう。
「ちなみに、よ、黄泉辻のどこが好きなのかなぁ?漢字?響き?」
本来であれば、『黄泉辻姓の』、と聞くところを、あえて一文字減らす小細工を弄する黄泉辻。あとで思い返した時にニヤニヤしやすいためだろうことは言うまでもない。
「ん?全部だよ。俺は黄泉辻の全部が好きだ。漢字も、響きも完璧だろ」
「んんんっ!」
狙い通りの満点回答を得た黄泉辻は言葉に詰まり、凪原は小さくため息をつく。
「どうにか俺も黄泉辻姓を得る方法はないだろうか……」
黄泉辻の口が動きかける。だが、文化祭テンションに侵されているとは言え、これを言うのはまずいのでは?と理性がブレーキを掛けている。が、謎の高揚がアクセルを踏み込む。――い、いや。でも、問題ないよね?ただの冗談だから。
結果、黄泉辻は口を開く。
「けっ、結婚すればいいんじゃないかなぁ、えへへ」
若干裏返り気味の声とひきつった笑顔で、黄泉辻はそう言って笑う。顔はもう真っ赤を通り越している。
凪原は一瞬沈黙。
その一瞬は黄泉辻を絶望させうるものだったが、すぐに凪原は声を上げた。
「そうか!その手が――」
神の啓示とばかりに凪原は真面目な顔でごくりと唾を飲む。
「あるわけないでしょ!ばかじゃないの、あなたたち!いいえ、確定でバカね!馬鹿よ!莫迦!」
まほらは両手で机をバンバンと叩きながらの猛抗議。それからキッと黄泉辻をにらんで牽制する。
「黄泉辻さん!あなたのふしだらな言動はキチンとしかるべきところに報告させてもらいますからね!しかるべき……えーっと、そう!警察!警察よ!」
「けけ、警察!?」
「民事不介入だぞ」
そんなやり取りをしていると、校内に最終下校時刻の案内が流れる。時計を見ると、時刻は夜の9時だった。
キーンコーンカーンコーン、とお馴染みのチャイムが流れ、それはまるでシンデレラの十二時の鐘のように三人に正気を取り戻させた。
「さて、帰るか」
「そ、そうね」
「あ、明日、頑張ろうね!」
それから廊下を歩く間無言が続き、階段を下りながら、チラチラと互いに視線を送り様子を伺う。いつもよりわずかによそよそしく、いつもと違う遅い時間の帰宅が始まる。誰かが何かを言いかけて、チラリと顔を見てまたやめた。
魔法は解けても、記憶は消えない。
――そして、文化祭が始まる。




