文化祭準備期間⑤ 踏み出す一歩
――文化祭まで残り二週間。
凪原司達の2年A組は「右の本格派!直球お化け屋敷」。
「俺、文化祭のこういうノリ苦手なんだよな」
凪原が呆れ顔で呟くと、黄泉辻渚は「しっ」と自身の口に人差し指を当て、反対の手で凪原の口を塞ぐ。
「いいと思って決めた人がいるんだから、そういうの良くないよ、凪くん」
「優等生っすなぁ」
黄泉辻の手を払いながら気のない返事をする。
「おっ、あーしらの決めた名前に文句ある系〜、にゃぎはら〜」
渡瀬まつりが黄泉辻の背中に覆い被さりながら凪原に絡む。
「いやいや、文句も何も。俺は左の技巧派が好きなんで」
「おー、にゃぎはら野球好きなん?」
「……凪くんは野球興味ないよ」
「うそかーい」
まつりは黄泉辻の背中でガクッと突っ伏す。
「そうそう、よみ。小道具今どんな感じ?」
「うん、順調。進捗まほらさんに渡してあるから聞いてみなよ」
和泉まほらの名前を聞いただけでまつりの姿勢がシャキッと真っ直ぐになる。
「いや、無理よ?よみ聞いてよ」
黄泉辻はにへっと笑い、まつりの手を引く。
「いいよ。じゃあ一緒に行こっか」
「えっ?うそ。死なす気?」
「いけるいける」
凪原は無神経に手を振って黄泉辻達を見送り、離れた席にある目的地であるまほらに目をやる。
その遠くの席でまほらの前に立つ黄泉辻を見て、思うことが無いわけでもない。まほらの下僕と言う『建前』を盾にして、まほらを孤独にさせていたのは自分かもしれない、と。――もし、この下僕契約自体が互いの関係を繋ぎとめる為の茶番だと、どこかからまほらの父に知られたらと思うと、その一歩を踏み出せなかった。
凪原は思う。そんな『建前』ばかりで身を守ってあの玖珂三月に勝てるのだろうか?と。答えは考えるまでもない。結局のところは、まほらの為とかではなく、自分が失うのが怖いだけだったのだ。ならばこそ、リスクを取ってでも、一歩を踏み出す。――凪原は迷いながらも席を立つ。
まほらはいつもの様に自分の席で本を読んでいる。
「まーほらさんっ」
「あら、黄泉辻さん。今日も相変わらず元気で可愛らしいわね」
挨拶と共に素直に褒めちぎる。皮肉や嫌味などでは決してない。黄泉辻もそれはよくわかっている。
「えへへ、ありがとう。まほらさんもいつもお美しいですね〜」
「ふふ、ありがと」
二人の間での日常的なやり取りの様だ。まほらは黄泉辻の隣でロンドン近衛兵の様に直立しているまつりに気がつく。
「あら、渡瀬さん。どうかした?あっ、もしかして全体工程の話?それなら――」
「認知されてるっ!」
感激のあまり顔を覆って叫ぶまつり。
「そ、それは勿論。クラスメイトじゃない」
「もったいないお言葉!」
まつりは黄泉辻の背中に隠れて息を荒くする。
「よみ、待って。過呼吸で吐きそう。ここで吐いていい?」
「いいはずがない!」
まほらは怪訝な顔で黄泉辻とその背中のまつりを眺める。
「黄泉辻さん、渡瀬さん変だけどあなた何かしたんじゃない?」
心外ではあるが、黄泉辻はふるふると力なく首を横に振るに努める。
「あたしは何にもしてないよ、あたしはね」
少し経ち、まつりが落ち着いたのを見計らって、まほらとまつりと黄泉辻の3人で工程会議が行われる。
「まつりちゃん、何被ってんの?脱ぎなよ」
「あんたらの作ったおばけのお面だよ。直視したら話せないんだからしゃーないだろ。あ、まほら様。渡瀬まつりです。今後ともご贔屓に」
小道具班が血糊を付けたホッケーマスクを被り、まつりはぺこりとまほらに頭を下げる。
「奇人ねぇ」
まほらは感心した様に目を丸くする。そんなまほらの目の前に、想像だにしなかった出来事が起こる。
「参考に俺も聞いていいっすか?」
凪原がまほらの席に来たのだ。
呼ばれてもいないのに彼がまほらの席に来ることなど、ありえない。それをよく知るまほらと黄泉辻は事態が呑み込めず、互いに目を合わせて固まる。
「部活で出し物企画してるんだけど、初めてだからよくわかんなくてさ。色々聞かせてくれると助かるっす」
「ふっふっふ、それは正解だよ。にゃぎはら。あーしは去年も中等部の時もずっと文実だからね。何でも教えたるでー」
「あざーっす」
「何普通に話してんのよぉ!?」
まほらは人目もはばからず両手を握り、大きな声を出す。
「え?話しちゃダメ?」
凪原が首を傾げると、まほらは机を離して、指で何度も線を引く。
「ダメに決まってるでしょ!?いい?ここが国境だからね!?ここを越えたら戦争だから。即開戦も辞さないからね。それをよ~く踏まえた上で慎重な行動をする事ね!」
今度はまつりが目を丸くして凪原を見る番だ。と、言っても実際にはホッケーマスクを被っているので、表情は読めない。
「えっ、かわいすぎん?どしたん?」
その反応で凪原は苦笑する。
「憧れのまほら様。幻滅したか?」
まつりは即座に反論する。
「は?するわけないんだが?むしろ最高なんだが??え?神から人?人間宣言って事!?」
「……ぶはっ、っはははは!なんだそりゃ」
凪原は珍しく声を上げて笑う。
「凪くんが……、笑った!?」
黄泉辻は何やら感動の趣きさえ感じている。
「俺だって笑うくらいはするわ。あのさ、まつりさん。多分、信仰とかより、なかよし教布教の方が喜ばれると思うよ、まほらは」
一瞬、あたりの空気と、時間が止まる。
「……っ!?ま!?」
一番初めに声を発したのはまほらだった。
「まほらぁ!?凪原くん、ねぇ!ちょっとそれは――」
まほらは一人絶句する。今まで教室では当然和泉サン呼びだったのだから。
黄泉辻も顔を赤くして、ハラハラとやり取りを見守る。
まつりはおもむろにホッケーマスクを脱ぎ、真面目な顔で凪原を見て、まほらを指差す。
「え、付き合ってるん?」
『いない!』、と答えるまでがワンセット。
やりとりもひと段落。全体工程の話はさておき、まつりは凪原に模擬店のいろはをレクチャーしてくれる。
凪原はまつりと机を合わせて模擬店を作る段取りや注意点を教わっている。まほらの机の隣で。
「感覚でやると絶対遅れるから。工程表は絶対作るべきよ。見えるとこに貼ってみんなで共有するとモチベも上がるしね。なにやんの?」
「神社でお祭り。まつりさんも来なよ。完全招待制にしようと思ってんだ」
「はぁ?神社でお祭り?学校で?えもももももももものうちじゃん」
「はいはい、時間ないんだから真面目に話せ」
「話してっけど?」
まほらは机に頬杖を突き、壁に寄りかかりながら二人の会話を眺める。
「一体急にどうしたのかしらね」
「凪くんも、負けたくないから頑張ってるんだよ」
黄泉辻はチラリとまほらの表情を見る。
「あたしは、二人に昔何があったのか知らないし、聞かないけどさ」
含みのある言葉にまほらも頬杖をついたまま黄泉辻を見て言葉を待つ。
「だから、無責任な事言うね?……もう、下僕とか、なくても大丈夫なんじゃない?」
それを聞いてまほらはふっと自嘲気味な嘲笑を浮かべる
「ばかね」
そう言ったまほらの視線は凪原を見ていた。
――そんなに簡単に切れる鎖じゃないわ。言いかけて、まほらは言葉を飲み込んだ。鎖は深く、彼女に絡みついている。




