雨垂れとエール
二学期が始まりひと月過ぎ。生徒会選挙を皮切りに、ここからは行事が目白押しだ。まもなく始まる中間考査、文化祭、そして終わるとすぐに期末考査。学生生活には息をつく暇もない。
放課後、帰宅部の部室。部室にいるのは凪原司と黄泉辻渚の二人だけ。まほらは新生徒会の活動へと赴いている。
試験一週間前は部活動は原則禁止。よって、明日からは帰宅部の活動もできない。家に帰るな、と言う事だろうか?
二人は斜向かいに座り、六人掛けほどの大きさのテーブルに教科書や勉強道具を広げて、互いに机に突っ伏して頰を乗せている。
「ねぇ、凪くん」
「なんだ、黄泉辻」
二人ともぼけーっと覇気のない表情。
「勉強してる?」
「してるしてる」
机に頰を付けながら凪原は答える。だが、どう見てもしていない。
「なんかさぁ、やる気出ないよねぇ」
「だなぁ」
二週間の選挙活動を経て、迎えた会長選挙。和泉まほらは会心の演説をしたにもかかわらず、僅差で玖珂三月に敗れた。それでもまほらはまっすぐに前を向き、己の理念に基づき新生徒会に庶務として志願した。
凪原と黄泉辻は、敗北の虚無感と燃え尽き症候群に、テスト前の憂鬱を混ぜたスペシャルブレンドとでも言う様なアンニュイな気分なのである。
正直テスト勉強どころではない。
外は雨。窓越しに聞こえるリズミカルな音が眠気を誘う。
「ねぇ、凪くん。あたし気づいたんだけどさ」
凪原の相槌を待たずに黄泉辻は言葉を続ける。
「机にほっぺた乗せると冷たくて気持ちいいぃ」
目を閉じて満足げにとろけた様な顔で黄泉辻は口を緩ませる。
「黄泉辻、俺は最初から知ってたぜ」
同じく机に頰を乗せながら得意げに語る凪原。
「それは凪くんがいつも寝てるからでしょ。うあっ」
気持ちよくなり、ついよだれが垂れそうになった黄泉辻は慌てて口元を拭う。一瞬の事なので気づかれていないだろうと凪原の様子を伺うと、凪原は何事もないかの様に変わらずだらんとしている。
「……見た?」
「見てないよ」
ふぅ、と黄泉辻は胸を撫で下ろす。
「よだれ」
「見てんじゃん!」
黄泉辻は顔を赤くしながらも身体を起こして凪原に抗議の視線を送り、バンバンと机を叩く。
「もうっ、起きるよ。シャキッとして」
「へいへい」
頰に振動が伝わり、渋々ながら凪原も身体を起こす。一度大きく伸びをしてから頭の後ろで手を組むと、後ろに体重をかけて、椅子の前足を浮かせる。
外は雨。少し大きめの雨粒がリズミカルに窓の外、庇を叩く。
「まほらさん今日生徒会だよね。……うまくやれるかなぁ」
選挙で当選した副会長を加えた新生徒会。先日までの副会長は庶務として新生徒会に加わった。
「あいつは大丈夫だろ」
おざなりに聞こえる答えの中には確かな信頼が感じられる。
少しの沈黙。凪原は手を頭の後ろで組みながら考えている。敗北感とも、燃え尽き症候群とも違う、心の奥を揺らす何か。――焦燥感。
「あいつら見てるとさ」
さっきまでの緩い雰囲気とは違う口調。黄泉辻は口元を隠す様に机に手枕をして凪原を見る。
「うん、なに?」
凪原の視線は宙を睨み、言葉を探す。探した言葉から言葉を選ぶ。
「……俺ってやっぱり普通だな、って思っちまって」
彼にしては珍しく、迷っている様な口ぶり。黄泉辻は急かすでもなく、ゆっくりと凪原の思考を解く様に問い掛ける。
「どゆこと?」
「言葉通りだよ。あの演説もそうだし、負けたすぐ後にあんな決断が出来たり。俺たちがあんなに頑張ったのに、演説一発でひっくり返すんだぜ?なんなんだよあいつら、って感じだよ」
普段通りを装ってはいるが、あきれとも諦めとも取れない何かを、黄泉辻は凪原の瞳の中に見つけた気がした。
「つまり、凪くんは玖珂くんと自分を比べて弱気になってるって事?」
ズバリ直球の黄泉辻の質問。言葉に詰まる凪原に、黄泉辻は手枕をしたままケラケラと笑う。
「あはは、玖珂くんは総理大臣になるって宣言しちゃう様な人だからね。きっと頭もいいし、決断力も実行力もあるよね。もしかしたら本当になっちゃうかもねぇ。あ、それに顔もいいし?」
そう言って黄泉辻は悪戯そうにクスクスと笑う。凪原としても黄泉辻がそこまで玖珂を褒めるとは思っておらず、胸に燻る焦燥感の火種がざわつくのを感じる。――そこに仄かに混じる嫉妬には、本人はきっと気がついていない。
「あ、あれ?イケメン苦手って言ってませんでしたっけ?」
なんとか苦笑いで凪原が皮肉を捻り出すと、黄泉辻はわざとらしくおどけた様に首を傾げる。
「そうだっけ?忘れちゃった。とにかく、玖珂くんは本当にすごい人だよね」
黄泉辻はギッと椅子を引いて立ち上がり、窓の外を眺める。焦燥感の源への賛美は、思いの外凪原の胸の奥を焦がす。月とスッポン。例えそれが比べるべくもない相手だったとしても。スッポンが月に焦がれる様なものだとしても、届くはずのない月を見上げてしまう。――見上げてしまった。
カラカラカラ、と窓が開く音がする。開いた窓からは雨の気配を纏った風が吹いて、カーテンを揺らす。
揺れたカーテンは、一瞬だけ雨音を吸い込んだ。
そして、黄泉辻は窓に触れたまま振り返り、思い出を噛み締める様にはにかむ。――窓を開ける。そんな単純な動作一つで、彼女はいつだって強く温かい気持ちになれる。いつだってあの日を思い出す。
「でも、あたしを助けてくれたのは、凪くんだけだったよ?」
クラス委員でも、当時の生徒会長でも、先生でもなく、勿論玖珂でもない。黄泉辻は言外に凪原にそう告げて笑う。
「だから、あたしは凪くんが玖珂くんに負けてるだなんてこれっぽっちも思ってないけどね」
できる限り好意を隠しての、限りなくまっすぐで完全なるエール。
そして、両手を身体の後ろに組み、煽る様に凪原の顔をちょろちょろと覗き見る。やや赤らめた顔で、ひきつったような笑顔で、慣れない言葉を凪原へと投げつける。
「そ、それとも普っ通〜な凪くんは〜?まほらさんとは違って〜?背負った期待は裏切っちゃう感じ?えへへ、ごめんね?お、重かったぁ?」
慣れない煽りをやってはみたものの、反応が不安になって、内心ビクビクしながら凪原の顔を見る。
――凪原はキッと黄泉辻を睨む。
「ひっ」
だが、それは嘘。すぐに凪原はニヤリと笑う。
「なかなか言いますなぁ」
「……い、言いますけど?」
凪原は立ち上がる。その顔は少しスッキリした様に見える。
「……そんな簡単に元気出るほど単純だと思う?」
「だったらいいな、とは。……思ってるけど」
凪原は大きくため息をつきながら首を横に振ると真面目なトーンで言葉を続ける。
「やれやれ、俺も軽くみられたもんだ。俺を元気づけるって言うなら――せめてチアリーダーの格好くらいしてくれないとな」
「真面目な顔して何言ってんの!?」
黄泉辻の反応を楽しんで、凪原はケラケラと笑う。
「冗談だよ。まぁ、正直元気出た。さんきゅー」
いつも通りの軽い返事。黄泉辻もほっと一安心。風の音か、ドアがカタリと音を立てた気がした。
「でも、本当に元気出るなら……一回くらいチアリーダー着てあげても――」
「あら、そう」
ゴニョゴニョと呟くと、いつの間にか室内には生徒会帰りのまほらがいた。雨音に紛れて、にっこりと満面の笑顔で。気づいた黄泉辻は言葉を止める。だが、時すでに遅し。まほらは目も、耳もいい。
「へぇ?チアリーダー?やっぱり黄泉辻さんコスプレお好きなのねぇ。なら、どうして私の選挙の時は着てくれなかったんでしょうねぇ」
本気か冗談かにっこりと笑顔で首を傾げて黄泉辻を問いただすまほら。
「あ、おかえり、まほらさん」
キッと黄泉辻を睨み、部室の入り口を指し示す。
「黄泉辻さん。悪いけど、ここはコスプレ部じゃないの。帰宅部よ。やる気がないなら帰ってちょうだい」
「それ帰宅じゃん」




