生徒会選挙編⑥ 夢の起点
怒涛の拍手は鳴りやまない。
普段なら付き合い程度のパラパラとした拍手を送る教師達ですら、熱の籠った拍手を送る。
対立候補の姿は無い。
選挙管理委員会はしきりに教師に確認を取りながら今後の進行を確認する。対立候補である玖珂三月の姿がない以上、演説は終了。これを持って投票に移ることになる。
相手が相手な事もあり、複数の教師達で確認を取りつつ、ついに承認が下りる。
「え、えー……。本来であれば、もう一人の立候補者である玖珂三月さんの立候補演説を予定していたのですが、本日まだ登校していないようでして、連絡もつきません。よって――」
(勝てる……よな)凪原司は握りしめた右こぶしを左手で抑える。その手は震えている。和泉まほらの演説は人の心に触れる会心の出来だったと思える。等身大の彼女の魅力と、誠実さと、清廉さがきちんと伝わる演説だったと確信している。票が伸びこそすれ、減る理由などない。凪原はまほらの勝利を確信する。
「以上をもちまして――」
時まさに選挙演説が終了するやいなやのその矢先、体育館の入り口がゆっくりと開き、九月末、夏の残り香を感じさせるまだ強い陽射しが体育館に差し込む。
その光に照らされて玖珂三月はゆっくりと体育館に歩み入る。
いつも着崩している制服をきっちりと着こなし、長い銀髪をオールバック気味に後ろにまとめ、顔にはいつもの軽薄な笑いはない。端正なルックスとスタイルのいい長身で、悠然と生徒たちの脇を通り、壇上へと至る。
会場はとたんにシンと静まり返る。まるで、さっきまでの熱狂が嘘みたいに。
「そ、それでは――」
選挙管理委員が候補者紹介を再開する。会長選は、まだ終わってはいない。
「2年C組、玖珂……三月さん。時間は5分です。皆さん、ご清聴をよろしくお願いします」
玖珂は司会台に立つと、両手を台に置き、まっすぐに聴衆を見つめる。
「……えーっと、まず。今日僕は生徒会長選挙に来ているつもりはありません」
一呼吸。間をおいて、言葉が続く。
「今日、僕は政治家デビューのつもりでここに来ています。ここにいるみんな、特に初等部から通ってるみんなに聞きたいんだけど、二年の時に出た作文、『将来の夢』。何を書いたか覚えている人いる?」
左手を挙げて聴衆に挙手を募る。二、三秒の間手は挙がらなかったが、玖珂のファンらしき少女がおずおずと手を挙げる。
「お、ありがと。実花ちゃん、なんて書いた?」
まさか名前を憶えられていると思わず、実花と呼ばれた少女は驚き両手で口元を覆い目を丸くする。
「え?なんでわたしの名前……」
その反応を見て玖珂は少年のようにケラケラと笑う。
「ははは、当たり前だよ。同じ学校の仲間なんだから。なんだったら実花ちゃんだけじゃない、僕はここのみんなの顔と名前は全部覚えてるよ」
両手を広げて全校生徒を表す玖珂。聴衆の間からは口々に、『マジかよ……』「本当?』『そういえば前にも……』と真偽を問うつぶやきが広がる。
「まぁまぁ、それはおいといて。実花ちゃん。なんて書いた?将来の夢」
これだけ多くの人の前で話す機会など、普通の人は慣れていない。実花はもじもじと体の前で手を触りながら、言いづらそうに口を開く。選挙管理委員が足早にマイクを持ってきて口元へと運ぶ。
「ピアニスト、です。昔ピアノやってたんで」
玖珂はニコリと微笑む。
「そっか。いい夢だね。他に覚えている人いる?」
一人手を挙げれば挙げやすい。手はまばらに上がり続ける。
「はい、太一」「プロ野球選手」「次、ミナトくん」「親の会社を継ぐ」「医者」「サッカー選手」「お花屋さん」
次々に手があがり、口々に皆の夢が上がる。それはまるで、初等部の教室のように、生徒たちは楽しそうに夢を口にした。
時間はいつしか過ぎていた。誰もそれには気が付かなかった。
玖珂は困り顔でマイクを持つ。
「僕はね、総理大臣って書いたんだ。祖父が総理だったし、僕はお爺ちゃん子だったからね、あはは」
玖珂はどこか愁いを帯びた笑い声をあげる。
「先生はなんて言ったと思う?覚えてる人いるんじゃない?」
鴻鵠館は一学年5クラスで、1クラス40人。その大半は今この会場にいる。例えば、まほらはこの時彼と同じクラスだった。
「笑ったよね?ちゃんと書きなさいって。僕は大真面目に書いたのに」
聴衆はまた口々に玖珂への同情や先生への非難を口にする。だが、玖珂の話はまだ終わりではない。
「で、この話は続きがあってさ。僕は家に帰ってこの話を父さんにしたんだよ。なんならその先生クビにしてよ、くらいの勢いで」
冗談めかして笑うが、きっと本気だろう事はこの場の全員がわかっている。
「そしたら父さんはさ、『何言ってるんだ、お前は三男だろ?』って。あはは、笑っちゃうよね。三男は夢を見ちゃいけないんだってさ」
玖珂はバンと机を叩き、一瞬沈黙。その端正な顔からは一切の笑みは消え、真面目な顔で、真面目なトーンで聴衆に穏やかに語り掛ける。
「僕の夢は、今でも総理大臣になる事だ。そして、ここ鴻鵠館をみんなの夢の起点にしたい。出来ることなら、この先も、僕の事を見ていて欲しい。小学校の時に、親にも……先生にも笑われた夢が叶うのか、どうかを。……どうか、力を貸してほしい!そして、今日僕に政治家としての初陣を飾らせてほしい!」
触れれば火傷しそうなほどの熱量の言葉。言い終えると、玖珂は大きく息を吐き、一転優しげな笑顔で指を一本立てて見せる。
「あ、最後に。僕の公約は一つだけ。どっちに入れても僕は何も意地悪しないから。安心してまほにも入れてね。外で聞いていたけど、彼女の理念も素晴らしかったから。以上、ご清聴!ありがとうございました!」
玖珂は締めのあいさつとともに、見惚れるほど厳粛に頭を下げる。
沈黙。万雷の拍手も、轟雷のような歓声も起こらない。聴衆と言う名の観客は、舞台に立つ一人に男の存在に完全に飲まれていた。
玖珂がいつもの笑顔で手を振りながら舞台を降りても、観客たちは胸に高揚を抱いたまま、エンドロールを眺めているかのように音一つ立てられずにいた。そして、凪原が険しい顔で拍手をすると、そこから拍手はさざ波のように広がり、会場を包んで、消えた。
凪原の隣、黄泉辻渚は祈るように両手を握りしめ、舞台袖に座るまほらは天を仰いで大きく、長く息を吐いた。
――こうして、生徒会長選挙演説は幕を下ろした。




