生徒会選挙編④ 選挙期間の終わり
通常であれば選挙期間中の登下校時は、立候補者及び支援者が校門付近に立ち並んで、公約を声高に掲げ「清き一票お願いします」とお決まりのフレーズを叫び頭を下げる光景が見られる事だろう。
だが、和泉まほらは一度もそれを行わない。それは去年の副会長選も同じ事だった。彼女の最も忌み嫌う政治家は、選挙の時のみ頭を下げる政治家であり、普段から人に頭を下げない自分が、選挙運動で頭を下げるべきではないとの強い信念がある。清廉とも言えるし、不器用とも言える。おそらく、その意図は大多数の生徒に伝わらず、傲慢さの現れと映るだろう。
それでも彼女は言い訳をしない。
そういう意味では、今年の選挙戦は異常と言えた。二人の会長候補が揃って街頭選挙活動を行わなかったのだ。
それどころか、玖珂三月に至っては、立候補の翌日から一度も学校に来ておらず、公約も政策も一切不明。一切の選挙運動を行なっていない。
これは、明らかに異常と言えた。
代わりとばかりに、十三人の副会長候補者は毎朝競って自らの名を連呼し、自身を選ぶメリットを訴え、時に他の候補者を糾弾した。執拗なティッシュ配りの様に選挙ビラを配り、頭を下げ、清き一票をお願いした。
広報委員会発表の選挙公報によると、十日経過時点での予想得票数は、以下の通りである――。全校生徒587人。和泉まほら45%、玖珂三月55%(表記順は立候補順による)
「くそ、負けてんな。何もしてないやつに負けるって……」
和泉まほら選挙対策本部と化している帰宅部部室で、凪原司は選挙公報を広げながら舌打ちをする。
黄泉辻は律儀に毎日部活動巡りを続けており、日替わりでマネージャー業務の様な事を行なっている。選挙管理委員に確認したところ、金品物品及び設備等の提供がなければOKとの事だ。
「……あなた達が手伝ってくれなかったらもっと離されてたわ。要するに、去年の私だったら負けていたって事。だから……」
凪原はキョロキョロと部室を見渡す。
「今部室誰もいないぞ」
まほらは言いづらそうに口を尖らせて呟く。
「……あ、ありがと」
「お、黄泉辻」
凪原が振り向いてそう言うと、まほらは急に慌てふためく。
「わわ分かった!?凪原くん!お礼って言うのはこうやって言うものよ?覚えておくといいわ!ちゃんとお礼を言えないと人生詰むわよ!?」
「あ、違った。誰もいねーや」
「……知ってたけどぉ?」
怒りか照れか、顔を赤くしてまほらは凪原を睨む。
その顔を見て凪原は満足げに口を緩ませ、立ち上がると手を上げ大きく背伸びをする。
「さてさて、あと四日。俺も御用聞き行ってきますかね」
二人だけに動いてもらっている事を心苦しく思い、困り顔で凪原を見る。凪原はその視線に気がつくと、安心させる様ににっと笑う。
「そんな顔すんな。みんなやる事もできる事も違うんだ。お前は当日だろ?逆にその日は俺たち何も出来ないんだからしっかり頼むぜ、大将」
まほらはその言葉に何度も頷く。
「……うん」
――残り二日。
和泉まほら49%、玖珂三月51%。
差は2%。あと2%か、まだ2%か。
玖珂三月は未だ学校に現れず、生徒の中には気まぐれな彼は選挙自体に飽きてしまったのではないか?との噂も上がり、または、モデルの撮影で海外に行っているなどとまことしやかな伝聞も聞こえた。
「本当に来ないのかな?」
この日は雨。黄泉辻渚は対策本部で窓の外を眺めて呟く。
「奇人の考えを理解しようとしても無駄よ。考えるだけ時間の無駄。ね、凪原くん」
頬杖をついてまほらは凪原に視線を送ると、凪原は完全に同意と言った風に力強く頷いて見せる。
「仰る通り。意外に自覚あるんすね、和泉さん」
「あら?あなたは無自覚なのね。ふふっ」
「その言葉、そっくりお返ししますぜ。あはは」
二人で皮肉を言い合って笑う。
「なぁ、黄泉辻。2%って何人だ?」
平静を装っているものの、凪原も不安が拭いきれない。
「えっと、587人の2%は……」
「11.74人よ」
黄泉辻より早くまほらが答え、続けて補足を加える。
「要するに、11人と首から下一人分くらいかしらね」
「ひっ」
「例えがこえーんだよ、四捨五入しろや!」
凪原のツッコミがお気に召した様でまほらはクスクス笑う。
「……そっか、12人か。まほらさん、あたしちょっと行ってくるね!」
自分に言い聞かせる様に数字を呟くと、黄泉辻は駆け足で部室を出て行った。
2%の人なんてこの学校には存在しないが、12人なら居る。イメージの問題かもしれないけれど、黄泉辻にはゴールが見えた気がした。
――残り一日、選挙前日。この日も雨。
和泉まほら52%、玖珂三月48%。
地道な選挙活動が功を奏してか、最終日にしてついに逆転。追いかける2%は遠く感じたが、追われる2%の何と心細いことよ。
この日も、玖珂三月は現れない。
副会長選は、本命視されていた二年女子が現在24%で大幅リード。だが、残念ながら例年と違いほとんどの生徒にとってそれは消化試合以外の何者でもなかった。
下校時刻。
「ついに明日だな」
部室の鍵を閉める前に凪原は感慨深げに呟いた。選挙活動期間は終わり。もはや凪原と黄泉辻に出来ることは何もない。
「大丈夫、絶対勝てるよ。まほらさん」
黄泉辻は緊張の面持ちで両手でガッツポーズを見せる。それを見てまほらは優しく微笑む。
「ねぇ、黄泉辻さん」
まほらは照れくさそうに黄泉辻を見る。
「私、友達がいなかったからわからないんだけど――」
そして両手を広げる。
「……感謝の気持ちにハグをするのは、おかしい?」
黄泉辻はあまりの感激に口をムズムズ動かした後で、水に濡れた犬の様にぷるぷると激しく首を振る。
「そんなことないよっ!全然ない!」
「じゃあ――」
まほらは一歩近づくと、そのまま黄泉辻を抱きしめる。生まれて初めての経験。力加減もわからず、宝物が壊れてしまわない様に優しく包む。黄泉辻は目に涙を浮かべながら恐る恐るまほらの背中に手を回す。
「ありがとう。明日、頑張るから」
「……うん、うんっ!」
何秒か後で、まほらは名残惜しそうに手をほどき、黄泉辻の手も離れる。
次いで、凪原にジト目を向ける。
「凪原くん」
「え、流石にそれは」
同じ事が自分にも起こるかと想像するのも自然の成り行き。
「ばかね。あなたにするわけないでしょ」
そう言うと、まほらは凪原に右手を差し出す。
「あっ……あなたにはこれで十分よ」
顔を背けて手を伸ばす。思わず凪原の顔もニヤける。
「あぁ、確かに十分だ」
手を伸ばし、握手をする。
「感謝は、してる。一応」
「一応ってなんだよ」
そして選挙活動期間は終わり、ついに会長選当日を迎える。
――選挙当日。この日も玖珂三月は学校に現れない。