生徒会選挙編② 選挙期間の始まり
「……司くん、ごめん。賭けちゃった」
放課後、部室ではなく凪原司の実家である凪野神社入り口の石階段に腰を掛けながら、和泉まほらは凪原に申し訳なさそうにそう告げた。
「何を?主語を省くのやめろよ」
凪原は眉を寄せて問う。
「……賭けってまさか、今流行りのオンライン――」
「司くんを!選挙に負けたら司くんは三月の下僕になっちゃうの!」
「……容易く人を賭けるなよ、お前ら。中世の貴族かよ」
凪原は呆れ顔でため息を吐いた。どうやら、玖珂三月の挑発に乗せられて、玖珂が勝ったら「持ち物をひとつ貰う」という話になったらしい。
「で、俺?なんで?俺、物じゃねーんですけど」
凪原は自身を指差し疑問を問う。
「三月が!君の下僕を貰うって!……凪原くんは物なんかじゃ無いのに!」
「あれ?君最近確か俺を荷物扱い――」
凪原の言葉をまほらの大声が遮る。
「冗談で言っただけだもん!本気でなんか言ってない!」
長い石階段を覆う木々のアーチ。その隙間から漏れ入る未だ夏を感じさせる日差し。辺りはサラウンドで蝉たちの合唱が聞こえている。
凪原は木製のお盆に置かれた涼しげな江戸切子のグラスを手に取り、麦茶を口にする。
「分かってるよ」
まほらは嬉しそうに俯いて、お盆からグラスを取り、手の火照りを抑えるように両手に持つ。
氷が溶けて、からりと音を立てた。
「本気で言ってたらやべーやつだもんな」
「雰囲気返してぇ!?折角いい雰囲気だったのにすぐ茶化す!」
まほらの反応を楽しみながら、凪原も釣られて笑う。そして、困り顔ながら少し真面目なトーンでぼやく。
「で、相手は本気で言ってそうなやべーやつ、と」
まほらは視線を上げずにこくりと頷き、両手で持ったグラスにちびりと口をつける。
「負けたら俺どんな目にあうかねぇ。人前で裸晒させちゃってるし」
ゲンナリとした顔で凪原が嘆くと、まほらはグラスを両手で持ちながら意地悪そうに凪原を見る。
「全裸じゃない?ふふふっ」
クスクスと笑うまほら。
「ふふふじゃねーよ。……そんなら今の暴君お嬢様の方が百倍ましだな」
「でしょ?……だから絶対勝とうね」
「おう」
二人はグラスを合わせて、麦茶を一気に飲み干した。切子グラスの重なる小気味のいい音が、木々のドームに響いた――。
翌日――。二週間の選挙戦が幕を開ける。
一年間でこの二週間だけ活動する選挙管理委員会も始動する。実際の選挙と同様に買収、脅迫、暴力などは違反行為として厳しく取り締まられる。――玖珂を取り締まれる人間がいるかはまた別の話。
「さて、どうしましょうかね。ボス。まず下校時に黄泉辻と和泉さんの握手会を行うのは鉄板として」
「まだ言ってんの!?」
まほらはは冷たい視線を凪原に送る。
「鉄板?鉄板土下座でもさせて欲しいのかしら、凪原くんは」
昨日の神社でのまほらとはまるで別人の冷たさ。だが、凪原はもう慣れっこだ。いちいち気にはしない。
「何が要る?選挙ポスターと、公約と」
「票集めと根回しね」
椅子に座り、頬杖をついてまほらは呟く。左手の人差し指はトトン、トトンとリズミカルに机を叩く。
「生徒会を使って広報委員に各部活や委員会の票読みをさせましょう。野球部やサッカー部みたいな人数の多い部活は早めに押さえたいわね。……黄泉辻さん。申し訳ないんだけど、あなたの力をお借りできないかしら?」
まほらから頼られ、黄泉辻渚のモチベーションも最高潮。
「うん、もちろん!まほらさんの為なら、あたし何でもやるよ!」
両手でガッツポーズをして、やる気を示す。
「ありがと。なら、チアガールのコスプレをして運動部回ってもらおうかしら」
「なんでぇ!?」
困惑の表情で大声を出す黄泉辻をまほらはきょとんとした顔で見つめる。
「何でって。コスプレお好きでしょ?」
「お好きではないよ!?な、何でまほらさんそれを……」
赤い顔の黄泉辻はキッと凪原を睨む。
「凪くん!」
「俺じゃねーよ、じいちゃんだっつーの」
凪原は手を振り否定する。
「もうっ、おじいさん……ったら」
ぷりぷりと憤慨する黄泉辻を微笑ましく眺めるまほら。
「冗談よ、黄泉辻さん。大切な友人のあなたにそんな事させるわけないじゃない」
「……まほらさん」
黄泉辻はまほらの確かな友情を感じ、目を潤ませる。そして、まほらは微笑んだまま言葉を続ける。
「まぁ、あなたが勝手にやる分には止めませんけど」
「ぶれねぇなぁ、こいつ」と呟き、凪原はまほらに冷ややかな視線を向ける。
まほらは高級椅子に座ったまま、クルリと回し、凪原を睥睨する。
「当たり前よ。この戦いは絶対負けられないんだから」
「まぁ、な。勝ってくれないと俺が困る」
賭けの話は既に学園中の話題になっている。玖珂家対和泉家の代理戦争だけでも話題充分なのに加えて、玖珂が勝った場合はまほらの下僕を譲渡すると言う前代未聞の条件が付く。
当然黄泉辻も噂は聞いている。
「……まほらさん。玖珂くんは本当に凪くんを?」
まほらはコクリと頷く。
「えぇ、彼はハッキリと言ったわ。……『僕が勝ったら愛する凪原くんを貰う』って」
「ハイ、嘘ー!何ちゃっかり明白な嘘仕込んでんだよ、お前は!聞いた話と全然違うんですけど!?」
「あら?そうだったかしら?」
黄泉辻は両手で口を隠し、赤い顔で凪原の顔を窺い見る。
「……うそ、本当に?」
「黄泉辻。お前は少し人を疑う事を覚えような?」