友達の家とタイムマシン
「きゃ~、まほらさん!いらっしゃ~い」
都内某所。超高級タワーマンションの最上階にあるペントハウス。和泉まほらがエレベーターホールを出ると、勢いよく黄泉辻渚が飛びついてくる。夏休みも終わり近く、まほらは約束通り黄泉辻の家を訪れた。
「お泊り会できなくてごめんなさい。ちょっと重要な地方選があるみたいで、あまり時間が取れなくて」
申し訳なさそうに眉を寄せるまほら。何等かの選挙があるときは、父のあいさつ回りに付き合わされるようだ。黄泉辻はそれに満面の笑顔で返す。
「ううん、お泊り会はまた今度やろっ。今日は来てくれただけでうれしい~」
まほらは、黄泉辻の後方に広がる青空を見て驚きを通り越して恐怖を覚える。
「ねぇ、黄泉辻さん。ここ高さ何メートルなの?」
街は遥か眼下の向こう。視界の端から端を映画のスクリーンの様に青空が覆う。目を上げると遠くに富士山もスカイツリーも東京タワーも見える。特別高いところが苦手というわけではないまほらだが、物には限度がある。
まほらの質問に黄泉辻は首をかしげてスマホを取り出す。
「た・か・さ。え~っとね、約270メートルだって」
「ほとんど東京タワーに住んでるようなものじゃない!?」
「そんなに高い?言い過ぎだよ」
黄泉辻はまほらの手を引き、目の前に広がる庭を進む。
「いいから行こ。まほらさん」
「今日ご両親は?」
手土産に持参した有名和菓子の袋を手にまほらが問う。
「いないよ?たまには二人で出かけたら?って追い出した」
「ひどっ」
「だって!せっかくのまほらさんとのおうちデートなのに!邪魔されてくなかったんだもん」
まほらはあきれながらも暖かい視線を黄泉辻に送る。
「しょうがないわね。次はちゃんと挨拶させてね」
早くも次の約束ができたことに黄泉辻の口がにやけてしまう。
「えへへ、うん」
まるで空中庭園とも言える所有者専用の庭を抜けて、黄泉辻は玄関を開き室内に入る。廊下はまるで美術館の様に様々な絵画が飾られていた。
「あら?すごいわね。ロートレック?」
教養の類は軒並み詰め込まれているまほらは廊下の絵画を楽しそうに眺める。
「あたり~。まほらさんすごい!じゃあこれは?」
「魁夷に決まってるでしょ。わからない人いる?」
「これは?」
「ターナー。私いつのまにか美術館に来ちゃったみたい」
まほらは楽しそうにクスクスと笑う。期せずして黄泉辻との美術館デートだ。
「じゃあ、これ。難しいよ」
黄泉辻がいたずらそうな笑みを浮かべながら見せたのは彼女が描いたモネの睡蓮の模写。
「黄泉辻さんでしょ?」
まさかの即答に黄泉辻はパチパチと拍手をする。
「すご~。なんでわかったの?」
まほらは得意げに人差し指を立てて解説を始める。
「こんな有名な絵を『難しい』なんて言われたら、その時点で引っ掛け問題じゃない。かといってプロレベルの模写にしては筆跡が若い。なら、黄泉辻さんかな、って。ふふふ、当たってよかったわ」
「じゃあ次ね。これは!」
「ふふっ、何かしらねぇ」
黄泉辻が大きなアクションで指し示したその絵に向かいまほらは歩く。それ凪原が以前制作した美化委員のポスター。題、『整理整頓』。
「何かしらねぇ、これ!?」
小学生低学年にしてはお上手な筆致で、教室の窓から少年が机と椅子を外に放り投げている例の絵だ。
驚きの声をあげてしまったが、気を取り直してまほらは答える。
「……凪原くんしかいないじゃない。こんなバカな絵を描くの」
「うぎゃあ、正解。さ、さすがまほらさんの審美眼」
「これに審美眼は必要ないわよ?」
黄泉辻は悩ましい顔で廊下を進む。残す絵は最後の一枚。もちろん、それは題『あたしキレイ?』である。この二枚もへたな美術館顔負けの職人手作りの高級額装に入れて飾られている。
「じゃあ、最後。これは絶対当てられないよ?」
負けず嫌いのまほらも得意げにふふん、と鼻を鳴らす。
「たやすいわ」
「はい、どぞっ」
当然登場『あたしキレイ?』。鏡の前に黄泉辻をモデルにした金髪少女が立ち、『あたしキレイ?』と問いかける怪作だ。
「絶対凪原くんに決まってるじゃない!?なんで当てられないと思ったの!?」
黄泉辻は廊下で膝をつき、がっくりとうなだれる。結果、まほらの全問正解である。
「負けた~」
「勝っても嬉しくない勝負ってあるのね。……単純な疑問なんだけど、あなたのお父様はこれを飾る事に異議は唱えなかったの?」
黄泉辻は四つん這いになりながら顔を上げてケロリと答える。
「ないよ?」
「あ、そう」
驚きと衝撃が先に来たが、よくよく考えると黄泉辻が凪原の絵を二枚も持っていると言う事実に遅ればせながらまほらは気づく。
(……ずるいわ!私だって持ってないのに!)
美化週間と書いてあり、ご丁寧に日付まで入っている。
「こ、こんなのいつ描いたのかしら。全くそんな素振りすらなかったけど」
「六月の委員会活動の日だよ」
「……どうやら定期的に業務監査が必要みたいね」
むっと対抗心を燃やす瞳を黄泉辻に向けながら頬を膨らませる。
(絶対私も描かせてやるわ。A2なんて小さなものじゃなく……、そうだ!100号キャンパスでどうかしらね!それなら私の勝ちは明白ね!さぁて、どうやって描かせようかしら)
凪原の絵の前で、顎に手を当て何やら楽しそうに思案するまほらを、黄泉辻も嬉しそうに見守っている。
そして、黄泉辻による自宅案内ツアーが始まる。リビング、ダイニングキッチン、絵が好きな黄泉辻の描いた作品が収められた倉庫。そして、黄泉辻の部屋。
その全てが明るく、優しく、黄泉辻渚が確かにここで育てられた事が実感できるものだった。
「……いいなぁ」
まほらは無意識に呟いてしまい、慌てて黄泉辻の反応を見る。
「あっ、まほらさん。アルバム見ない?見よっ」
黄泉辻が取り出したのは初等部と中等部の卒業アルバムだ。まほらも黄泉辻も同じく初等部からの鴻鵠館生。当然、まほらも同じものが家にある。だが、彼女はそれを一度たりとも開いた事は無い。なぜなら開く必要がないから。友達もおらず、思い返したい過去もない。だから開く理由がない。単純な理由だ。
パステルカラーで明るく彩られた黄泉辻の部屋で、柔らかなクッションに身を寄せながら二人はアルバムを開く。
初等部の頃の黄泉辻とまほら。同じクラスになった事は今を除けば過去一度、小学三年の時だ。
「あ、まほらさんいた」
個別写真、人形の様に澄ました顔で映るまほら。学校とは、彼女にとって己の価値を証明する為の場所だった。――だから、その必要が無い当時の凪原家で見せていた姿が、きっと本来の彼女なのだろう。
「いるに決まってるでしょ。次、捲って」
まほらはページめくりを催促して、黄泉辻はパラパラと二枚めくる。すると、今度は黄泉辻の姿。鮮やかな金髪。碧い瞳。屈託のない満面の笑顔。人形のようなその笑顔は、同じ例えを使いながらも、まほらのそれとは対極的だ。それはまほら自身が一番よくわかっている。
「かわいいわね」
お世辞でも皮肉でもない。少しの羨望と、率直な感想。黄泉辻は照れたようにすぐページを捲る。
一年生の頃から、学年ごとに行事の写真が写っているページ。
「あ」
周辺視に長けるまほらはページを開くと同時に短く声を上げる。
「黄泉辻さん」
まほらが指さしたのは、小学三年の春の遠足。レジャーシートを広げて楽しそうにサンドイッチを頬張る黄泉辻。と、その後ろで無表情にお弁当を食べている小三のまほら。
「……と、私」
「本当だ!気が付かなかったな~。えへへ、なんか嬉しいね。まほらさん」
「ふふっ、そうね」
まほらは口に手を当て、嬉しそうにクスクスと笑う。
黄泉辻の性格からして、一度くらいは話しかけた事はあるのだろう。その手を払ったのは外ならぬまほら自身。過去には戻れない。だから、後悔はしていない。今、彼女と友人になれた事だけが事実であり、全てだ。
白紙のページには、色とりどりな文字で、たくさんの寄せ書きが書かれていて、黄泉辻がクラスメイト達から慕われていた事がよくわかる。
「黄泉辻さん……」
まほらは眉を寄せて、神妙な顔で黄泉辻を呼ぶ。
「え、何?その感じ」
「あなた、この頃からいじめられてたの?こんなに大勢で寄ってたかって……、大事なアルバムに”落書き”するなんて!許せないわ」
「違うよ?」
大勢で色とりどりに書いた”寄せ書き”を見て、怒りにギリッと歯を鳴らすまほらに黄泉辻はニッコリと優しく諭す。
そんな風に交わることのなかった昔話に花を咲かせ、少し早くなった夕焼けが地上270メートルの空の端を赤く染めるころ、まほらは黄泉辻家を後にする。
彼女が初めて訪れた初めてできた友人の家。彼女が思い描く理想の家の姿がそこにあった。




