水族館①
「ねぇ、凪くん。今暇?」
夏休み中盤の8月中頃、黄泉辻渚から凪原司へのメッセージアプリRhineによるビデオ通話だ。
「せっかく夏休みなんだからどこか遊びに行こうと思うんだけど、お祭りと花火と水族館どれがいいかなぁ?」
凪原は自室のベッドに横になりながら画面を見ずに寝転がっている。
「彼氏と?相手に聞いたほうがいいんじゃないか?」
「彼氏!?あはは、いないいない」
「へぇ、おモテになるのに」
「案外あたし理想が高いんだよ。誰でもいいわけじゃないの」
黄泉辻は怒ったふりをして苦言を呈するが、画面を見ていない凪原には伝わらない。
「まほらさんと凪くんと三人で出かけられたらいいなって思うんだけど、ってお誘いだよ」
それを聞いて凪原はベッドから起きて画面を見る。
「水族館。絶対」
予期せぬ食いつきに黄泉辻は驚き目を丸くする。
「すごい食いつくね。……水族館好き?」
「いや、行ったことねーから。一人で行けるとこじゃないだろ?なるほど、お前ら二人に付いていけば、カップルや幸せ家族に囲まれても違和感ないってわけか。完璧な擬態だな」
一人納得して不敵な笑みを浮かべる凪原を黄泉辻は微笑ましく見守る。
「じゃあまほらさんにも聞いてみるね」
「と言うか先にあっちに聞くべきだったと思うぞ。あいつの方が忙しいし、多数決とか民主主義が通じる世界の人間じゃないんだから。専制君主なんだから。俺の意見なんか羽虫の羽ばたきに等しいだろ」
「あはは、そっか。確かに」
「簡単に納得されるとなんか釈然としないな。ま、いいけど。じゃあ諸々よろしく」
「りょーかーい。じゃねっ」
ビデオ通話終了。微笑んだままスマホを持ち少し余韻に浸った後で、黄泉辻は同じようにまほらにビデオ通話をする。
結局、まほらも水族館を選んだことで、満場一致での水族館となる。
――三日後、鴻鵠館最寄りのバス停にて三人は待ち合わせる。
「おはよう!まほらさん、凪くん!」
バスから降りてきた黄泉辻は手を挙げて元気に二人に挨拶をする。今日は夏休み。なので、服は制服ではなく私服である。白の半袖カットソーにベージュのニットベスト、下はスカートとスニーカーのスタイル。ポーチを斜め掛けにしている。
「へい、おはよーさん」
「おはよう、黄泉辻さん」
凪原はTシャツにハーフパンツにサンダル。まるで散歩にでも行くような出で立ち。まほらは濃紺のフレアワンピースに白い帽子。手にバッグを持っている。
「あなた虫捕りにでも行くの?」
まほらは凪原の服装を見て怪訝に眉を寄せる。
「いかねーよ、水族館だろ?電車だとここから――」
凪原がスマホで乗り換えを検索していると、すぐにタクシーが止まりドアが開く。
どうやら黄泉辻がバスの中で呼んでいたようで、タイミングよく到着。
「ワンシャイン水族館までおねがいしま~す」
まほらと黄泉辻が順に後部座席に乗り、凪原は状況が飲み込めずまだ車外に立つ。
「え?もしかしてタクシーで行くつもり?いくら掛かるんだよ……」
「割り勘でいいかしら?後で渡すわね」
「おっけ~」
黄泉辻は指で丸を作る。バスを降りてからずっと笑顔だ。
「ほら、凪原くんも早く乗って。水族館しまっちゃうわよ」
「……まだ開いてもねーよ」
そう言いながら、その一言でまほらがどれだけ楽しみにしているのかが伝わってくる。
基本的に節約家の彼は頭の中で損得勘定のそろばんを弾いてしまうが、すぐにそろばんを放り捨てて清水の舞台から飛び降りる。そんな野暮を言っている時ではない。
「よし、行こうぜ!運転手さん、ワンシャインまでお願いします!」
「もう言ったわよ?」
まほらはクスリと笑う。
ようやく凪原も乗り込み、タクシーはいよいよ水族館までの道を出発する。
「ごめんなさいね、黄泉辻さん。個別に連絡させちゃって。こんな時にグループRhineがあると便利なんだけど」
水族館に向かう車内。後部座席に座るまほらは申し訳なさそうに眉を寄せる。
「ううん、全然平気っていうか、二人と話せて嬉しいし」
同じく後部座席で黄泉辻は楽しそうに笑う。並びはまほらは右奥、黄泉辻は左となり。凪原は助手席に座っている。
三人グループを作る事は友人になってすぐ提案している。その時に『無理』と拒絶された経緯があるので、なかなかリトライとは行きづらい。
「ま、まほらさんはオーソン派だから、アミマ派の凪くんとグループを作らないんだよね?」
前回拒絶された時に凪原はそう言って黄泉辻をフォローした。もちろんまほらはそんな事は知らない。
「おーそん?何の話?」
その反応で黄泉辻はすぐに真実に至る。
「あっ、凪くん嘘ついたでしょ」
「はは、勘のいい子供は嫌いだよ」
助手席で凪原はヘラヘラと笑う。
まほらは二人のやり取りをほほえましく見守る。
「うちの家、不定期にスマホチェックされるのよ」
おもむろにまほらは口を開く。
「うそっ!?」
黄泉辻は驚きを口にするが、まほらは構わず言葉を続ける。
「中身まで詳しく見るわけじゃないんだけど、父が政治家でしょう?悪い友達ができたりとか、反社会的なつながりができるとまずいからって、使用人の人がたまにチェックするのよ」
「……そ、そんなのあるんだ」
「黄泉辻んちはねーの?」
「ないよ!?あるわけないじゃん!」
あるわけない。きっとそれが普通である事はまほらも知っている。そして、自身が普通ではない家で生まれ、育ち、暮らしている事もわかっている。その恩恵も。
「それで、本題なんだけど。凪原くんは昔『粗相』をしてね。うちの父を激怒させて出入り禁止にされちゃっているのよ。だから、凪原くんの名前で登録できないの。怒られちゃうから、ふふふ。面倒な家ね」
まほらは楽しそうにクスクスと笑う。
「でも下僕と連絡できないのも不便でしょ?だから便宜上彼はおかしな企業アカウントを名乗ってるのよ」
「取り消せ。アミマはおかしくねーよ」
本当は、2年前の事故が原因だ。本来凪原は二度とまほらの前には姿を出せなくなるはずだった。それをまほらは偽りの下僕契約で繋ぎ止めた。だから、下手に凪原と仲の良いところを見せてしまうと、父がどう言うかわからない。
嘘は言っていない。与える情報を減らした真実の外郭。これはまほらが黄泉辻を信頼している証だ。黄泉辻は納得とばかりに真剣な面持ちで何度か頷く。
「……そっか。企業アカウントがグループにいるはずないもんね。でもさ、粗相って……なにしたの?」
そこが気になるのは当然だ。現役閣僚を激怒させて出入り禁止を食らうレベルの粗相など、黄泉辻には想像もできない。
だが、この話を切り出した時点でまほらにはその質問は想定問答だ。
「ふふ、黄泉辻さん。犬の粗相って何でしょうね。試しにスマホで検索してみたら?まぁ?下僕とは言え、彼の名誉もありますから?それ以上は私の口からは言えませんけどねぇ」
まほらは口元を隠して、本当に楽しそうにクスクスと笑う。
「え、えーっと。い・ぬ・そ・そ・う」
当然出てくるのは、ペットのお漏らし。
「はわぁっ!?……えっ!?えぇ!?」
黄泉辻は画面と凪原を交互に見る。
「な、凪くん……?」
「……ノーコメントっすね」
「あらあら、沈黙は肯定と同義よ?」
会話は転がり、車は進む。水族館へは30分の距離だ――。




