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夏の一幕

 死に際の火事場の馬鹿力とばかりに容赦なく蝉時雨が降り注ぐ8月。真っ青な空のキャンパスを、分厚く白い入道雲の額縁が覆い、遮るもののない日差しは大地を厳しく照らす。


 今日は夏休み。夏休みではあるが、凪原司と黄泉辻渚は朝から学校にいる。今日は美化委員の活動日である。各クラス2名×5クラス×3学年全員、美化委員30人の全員が集合しての校内清掃作業である。


「外で作業する人は日焼け止めと帽子、あと水分補給を忘れずにね。ネッククーラーもあるから欲しい人は言ってね~」


 美化委員長の3年女子が全員の前で注意事項の説明をする。蝉鳴く8月。グラウンドでは野球部や陸上部が練習を行い、体育館からもボールの弾む音が聞こえてくる。夏の大会も終わり、それぞれの部活の中ではすでに世代交代を終えたところもあるのだろう。


「つーかさ。これ業者に頼んだりしちゃだめなの?名門私立なんだよね?」


 各掃除場所はくじ引きで決まり、凪原司はもっとも外れと言える草むしりを引き当てた。麦わら帽子をかぶり、首にタオルを巻いて、体操着にジャージの裾をまくる農夫スタイルが中々板についている。


 凪原から話を振られた同級生の美化委員の男子は軍手で草をむしりながら凪原の意見に苦言を呈する。

「凪原君、それは違うよ。この校内清掃の目的は単純に校内の美化ではなく、それを将来責任のある立場につく我々が行うことにより、奉仕の心と労働の大切さをその身で知る事が大事なんだ」


 思ったより長文で返ってきたので、凪原はあきれ顔で草をむしる。

「なるほど、雑草は抜いてよいと学生時分から教育するわけっすね」

「そういうことは言ってないだろう、凪原君。君はひねくれてるな」

「あざーす」

 

 草むしり、ガラス拭き、ごみ拾い。炎天下の中やる事は無数にある。

 

「これ除草剤とかじゃダメなの?」

「ダメだ。環境に悪いだろう」

「……意識高ぇ」

「そうか、ありがとう。そう言えば、君はあれだな。えーっと、そうだ、あれだ」

 くじ引きで同じ草むしりになったD組の美化委員の男子――、板垣。凪原は普段話をしたことはないが、まがりなりにも一学期の間同じ美化委員として活動をしているので、当然名前くらいは知られている。――と言うか、人と接する機会が少ない凪原が自覚していないだけで、彼は二年の間では結構な有名人になっている。


 まず、一年時の黄泉辻渚の絡んだ椅子投げ事件。学園屈指の有名人である和泉まほらの下僕である事実。そして、彼の名を決定的に高めたのは、高校からの一般入学である外部生でありながら学内治外法権たる玖珂三月に正面から喧嘩を売った風紀週間事件だ。もはや、彼をモブ呼ばわりする人間はここ鴻鵠館にはいないだろう。


板垣に限らず、凪原に聞きたい事がある人は実は多い。

「君は、アレか。家の方は大丈夫なのか?」

 突拍子のない質問に凪原は眉を寄せる。

「全く話が見えませんな」

 腰に下げたペットボトルから麦茶で喉を潤す。汗をかいたペットボトル。もはや麦茶も常温だ。

学内治外法権(アンタッチャブル)と、揉めたのだろう?何かされたりとか、してないのか?」

「アンタッチャブル」

 凪原は目を輝かせて復唱する。中学二年男子が好みそうな二つ名に胸が躍る。

「あの人そんな二つ名持ってんの!?クソかっこいいな」

 予想外の食いつきに板垣も困惑する。

「そ、そうか?まぁ平気ならいいんだが」

 視線を落として草むしりを再開する。

「もしかして心配してくれてた?おかげさまでなんともねーかな。さんきゅー」

 凪原は笑顔でお礼を返す。高校二年。面と向かってお礼を言われる事は割と多くない年頃。板垣も照れくさいやらむずかゆい気持ちになる。

「お礼に草やるよ。好きだろ?」

 凪原はむしった草を彼に押し付ける。

「自分で捨てろ!」


 気温の上昇を避ける為に朝から活動を行っていたが、なかなか進捗が捗らず一旦涼しい校舎内で全体休憩。

 校内の清掃はほぼ終わっているので、残りは屋外の除草作業がメインだ。

 

「麦茶いっぱい作ってあるから欲しい人言ってね!」

 基本配置はくじ引きではあるが、黄泉辻の配置は委員長のご指名でドリンク係。たくさんのドリンクサーバーの前で皆に麦茶を配っている。美化委員の半分――男子の作業効率を上げる為の美化委員長の策略だ。

「よ、黄泉辻さん。僕も一つもらっていいか?」

「はい、どぞ~。板垣君お疲れ様!」

 笑顔の黄泉辻から麦茶を渡された板垣は固い表情を一瞬緩ませると麦茶を一気飲みして、待機列に並びなおす。どうやら彼も黄泉辻ファンの一人のようだ。ガチ恋製造機は健在である。

 凪原はその光景を見て顎に手を当て思案する。玖珂の二つ名は『学内治外法権』と書いてアンタッチャブルと読むらしい。と、なると黄泉辻の二つ名である『ガチ恋製造機』にも読み仮名が付くべきだ、と。


「はい、凪くん。お茶。足りてる?」

 凪原がそんな事を考えていると本人降臨。

「あぁ、俺ペットボトルに入れてるから」

「おー、いいね。でも、はい。あげる」

「さんきゅー」

 凪原は黄泉辻から受け取った麦茶をペットボトルに移し替えようとする。

「待って!?今飲んでよ!?入れたてだよ!?」


 声を出して静止する黄泉辻に凪原はしぶしぶ了承。

「へいへい、仰せのままに」

 紙コップをくるり、くるりと、三度回してから口にする。そしてそのまま麦茶を一気飲みすると、わざとらしく大仰に頭を下げる。

「ごちそうさん。結構なお点前で」

 なんてことのない返しだが、黄泉辻は言い様もなく嬉しくなってしまう。

「えへへ、お粗末様でした!」


 休憩を終えて作業再開。


 満タンの麦茶が入ったペットボトルを腰に提げ、凪原もラストスパート草をむしる。ジャージのポケットに入れたスマホがブブっと震えるのが伝わる。

 友達の少ない凪原がメッセージアプリRhine(ライン)でやり取りをするのは、まほらと黄泉辻と祖父のみ。

 何となく目を上げて校舎を見上げる。そして、校舎の四階で窓の外を見るまほらを見つける。まほらは目が合うと、微笑み、小さく手を振ってきた。

 素直に手を振り返すのも照れくさい。凪原は草むしりに戻ったふりをして、うつむくと、ひらひらと右手を振って見せるた。それを見たまほらは声を出さずに『がんばれ』と四文字分唇を動かした。伝わらなくても構わない想い。


 少しだけ、変わった二人の関係。


 

 



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