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過去編⑥ 赤い鎖

「あなたは私の下僕よ」


 和泉まほらの提案を父・秋水は大きく気に入った様子で、勝鬨の様に笑い声をあげて、その提案を受け入れた。一生目の前に姿を現さない事よりも、みじめたらしい下僕となり諂う姿を見ることの方が彼の自尊心を満たすのだろう。


 凪原司の祖父、典善はこの事故の責任を取り、長らく務めた神祇本庁・統理の役職を退いた。調整力とバランス感覚に優れた彼は対外的に信頼は厚く慰留の声も多かった。そして、それをやっかんだ次期統理により、宮司を務めていた歴史ある大社をはく奪され、氏子もいない古く寂れた神社をあてがわれる事になる。明確な都落ちだ。


 鯉の池のある生まれ育った家も手放す事になった。代わる新居は古びた神社にふさわしい古びた家屋である。


「じいちゃん、……ごめん。俺のせいで」

 家を手放す日、凪原は泣きそうな顔で祖父に頭を下げた。頭を下げてすむ話ではないことは分かっている。自分は、祖父の全てを奪ってしまったのだと分かっている。

 だが、典善の反応は想像とは全く異なった。


「はぁ~?お前何様じゃ、クソガキが」

「え……」

 典善は険しい顔で凪原の胸倉を掴み、引き寄せて睨む。

「この凪原典善の70年がお前みたいな小僧にどうこうされると思っとるのか?うぬぼれるのも大概にせい!」

「いや、だって」

「いいか?統理7期なんざ、ハッキリ言って異常じゃぞ?ワシはもっと早く辞めたかったんじゃが、周りがやれっていうからやっとっただけじゃ。氏子さんにゃ悪いが、大社だってこの際どうでもいいわい。家もな。まぁ、鯉はちっとばかし惜しいが、ワシと同じ道楽者に全部預けたから安心だ。今のワシにはそんなものよりもっと大切な事がある」


 掴んだ胸倉をドンと叩く。

「家同士の責任はこれでトントンじゃ。だからあとはお前たちの話よ。約束したんじゃろ?ワシに最後まで見せてみろ」

 堪えていた涙がとどめなく零れる。

「じいちゃん」

「今度の神社は割と鴻鵠館に近いぞ。和泉家にもな」

  

 ――ありがとう。俺の為に。凪原が呟くと、典善は「正解じゃ」と笑った。ごめん、でなく『ありがとう』。せいで、ではなく『為に』が正解だ。


 引っ越しも無事に済んで時は10月。夏はもうとうに過ぎて、秋も中ごろだ。凪原の高校入試まで、残り4か月。まほらとは、あの日以降あっていない。同じ学校に行くと言う約束を果たさずに、どの面下げて会えると言うのだろうか。

 毎日6時間の睡眠を心がける。倒れたら元も子もない。下僕でも、何でもいい。まほらが繋いでくれたか細く脆い蜘蛛の糸。それを手繰る様に、凪原は勉強する。


 新しい彼らの神社は凪野神社と言う名前だ。小さな池があり、そこには一匹だけ金魚が泳いでいる。まほらと行った夏祭りで一緒に金魚だ。まほらもまだ飼っているだろうか?凪原は一人池を眺めて懐かしく思う。


 11月、12月と過ぎる。夏までとは違い一日6時間の睡眠は守られ続ける。集中力や効率も上がっている気がして、睡眠時間を減らせば言い訳ではないんだな、と凪原は一人納得する。今は、一人。でもそれは、あの時まほらが教えてくれた事だ。

 まほらからのメッセージは来ない。来るはずがない。写真も、メッセージも、連絡先も、全て消されたのだから。けれど、問題はない。今過去にすがったら終わりだ、と前だけを見て進む。


 1月、年が明ける。かつて典善が治めていた大社は東京五社にも数えられる歴史ある神社で、正月は初詣に訪れる多くの人たちで賑わっていた。

 ここ凪野神社は町はずれにあり、長い石階段の上にある。人は滅多に来ない。凪原は白い息をはいて境内にある賽銭箱の前に立つ。おもむろに財布を取り出すと、中の小銭を無造作に全部入れて、手を合わせる。

 願うのは、受験のことか、それともまほらのことか。


そして、2月。試験を終えて、合格発表の日――。


 合格発表はオンラインで見ることもできる。それでも、凪原は鴻鵠館高等部に赴いた。

 受験番号0432番の紙を手に合格発表のボードを見上げる。


「おめでとう」

 番号を見つける前にすぐ後ろから聞きなれた声がした。思わず泣いてしまいそうだったが、凪原は全力で何でもないふりをする。数字を探すのが得意な、自らの『主人』に向かって。

「……ネタバレしないでくれませんかね」

 振り返ると、まほらはいたずらそうにクスリと笑う。

「生意気ね。下僕のくせに」

「……あんまり人前でそれ言うなよ」

 そういう建前。契約の鎖は、人前で見せてこそ意味がある。


 半年振りのその短いやり取りに、二人は内心安堵の息をはく。高慢で傲慢な主人の仮面と、軽薄で従順な下僕の仮面越しにではあるが、二人の明日がまだ続くという事実に心が震えた。

 赤い糸ではなく、脆い蜘蛛の糸でもない。きっと、それは二人で繋いだ強固な赤い鎖。


 凪原の視線は無意識にまほらの右頬に向いてしまう。見たところ、傷などないように見える。だが、あの事故からたった半年で消えるはずがない事は、凪原もよくわかっている。――それを覆い隠す事が、彼女の選択である事も。


「和泉さんは相変わらずおきれいっすね」

 嫌味や皮肉なんかではない。単純に、シンプルな、心の底からの感想だ。

 まほらは右頬に手を当て、挑発的に微笑む。

 

「あら、お上手。しばらく見ないうちにお世辞なんて言えるようになったのね、凪原くん」

「えぇ、おかげさまで」


 悲しみと喜びが渦巻く合格発表の片隅で、そんな些事とばかりに二人は笑いあった。互いに呼び名は変わったが、そんな事も些事とばかりに楽しそうに笑いあう。


 そして、春。例年より寒い冬は、桜の開花を遅らせる事となり、幸運にも今年度の入学生は満開の桜が祝福する中で鴻鵠館の門をくぐる。


「おはよ」


 中等部の制服から高等部の制服に変わったまほらが短く呟く。

「おう、おはよう」

 嬉しさをかみ殺してぶっきらぼうに答える凪原。まほらはむっとして口を尖らせる。

「おはようございます、まほらサマでしょ?」

「……おはようございます。女王陛下」

 へりくだって頭を下げると、まほらは少し楽しそうに笑う。

「ふぅん、やればできるじゃない」

「あ、これでいいんだ」


 遠くのほうで、鮮やかな金髪の女子の元気な挨拶が聞こえてくる。


 こうして、彼らの高校生活は始まった――。

 

 


 


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