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過去編⑤ どうか

「ちゃんと掴まってろよ」

「うん」

 凪原司は自転車の後ろに和泉まほらを乗せ、駅を目指す。二人乗りがよくないことなのはわかっている。――でも、今日は特別な日だった。


 今日はいい事ばかりだった。明日もそうだったらいいな。凪原の背に顔を付けて一人頬を緩ませる。


 ――そして、幸せな日常は、突如終わりを告げる。


 寝不足、油断、そして不運。原因は一つではなかった。もし一人だったら、防げていただろうか――だが、そんな仮定には、もう意味がない。


 一時停止をして十字路を進むと、勢いよく左側から乗用車が一時停止をせずに直進してきた。凪原は前を向いている。横座りをしていたまほらが先に気が付いた。だが、気が付いたからと言って何ができる訳でもない。


「司くん!車――」

 瞬間、ガン!と鈍い音と衝撃。世界がスローモーションになった。車は、凪原の左足を経て、自転車に激突。二人は壁に投げ出される。まほらを心配した凪原は振り返ろうとするけども、間に合わない。まほらは凪原を見ていた。凪原だけを見ていた。守らなきゃ。ずっと頑張っていた彼を守らなければ、とまほらは思った。スローモーションの世界で抱き着くように凪原に覆いかぶさり、そのまま二人は勢いよく、壁とアスファルトに叩きつけられる。


 そして、世界は動き出す。


「まほら!」

 全身がバラバラになったような痛み。立ち上がろうとすると左足に激痛が走り、一度崩れ落ちる。車も壁にぶつかりフロントがひしゃげているがそんな事はどうでもいい。――とにかく、まほらを。

 どれだけ痛もうがお構いなしに足を引きずりながら、うずくまるまほらに近づく。

「まほら!」

 触れていいのか、ゆすっていいのか迷うと、反応が返ってくる。

「んぅ……ぐぐぅ。……司、くん。ケガ無い?。ごめんね、私の、せいで」

 まほらは、痛みに眉を寄せながらも凪原を元気づけるように力なく笑う。凪原を庇おうと両手で彼を抱きしめ、身を投げ出し彼の盾とした。だから、彼女には自らを守るすべは無かった。

 

「……痛いところ、ない?」

 微笑むまほらの右頬は、アスファルトにより大きく(えぐ)られていた。そして、真っ赤な血がそれを覆い隠すように止めどなく流れ溢れた。

「馬鹿野郎!俺は大丈夫だ!俺の事なんかいいんだよ!まほらが……!」

 痛みなどとっくに感じていない。目からは際限無く涙が溢れる。

「誰か、……救急車。救急車呼んでくれよ!救急車ぁああああっ」


 悲痛な叫びが住宅地に響き、初夏の夕方、蝉の声をかき消した。



――左足甲部骨折、及び全身打撲。全治2か月。

 これが、この事故での凪原の怪我だ。


 原因は相手の自動車のわき見運転と一時停止無視との事だった。目撃者がすぐに119通報を実施してくれて、二人はそのまま救急車で運ばれて入院する事となった。


「じいちゃん、まほらは?」

 入院先の病院、ベッドの上で虚ろな顔で凪原は典善に問う。

「あぁ……、まほらちゃんも大丈夫じゃ。心配するな。大丈夫」

 それを聞いてほんの少しだけ安心した様子。

「あいつは悪くないんだ。俺が乗せたから。危ないってわかってたのに」

 この状態でも相手を気遣うわが孫に、典善の目から涙が伝う。

「わかっとる。二人とも悪くない。……少ししたらお見舞いに行こうな。大丈夫じゃから」

 救急車で運ばれる前のまほらの顔を思い出す。右頬から血を流しながらも凪原を元気づけるように気遣った笑顔を。

「……治るよな、まほら」

「あぁ、治るさ」


 一週間後、二人は同じ病院に入院しているまほらの病室へと呼び出される。ベッドの上には顔の右半分を痛々しく包帯で覆われたまほらがいて、傍らには母・真尋が座り、泣きながらまほらの左手を握っている。父・秋水と数人の親族が険しい顔で凪原と典善を睨んでいる。

 かつてのひだまりの様な笑顔で、いつも楽し気に『司くん』と呼んでくれたまほらは、もうそこにはいなかった。生気を感じず、虚ろな目で、笑顔も怒りも涙も失くしてしまったような、人形のような表情のまほらがいた。


「ま、まほら……」


 娘の顔に一生残る傷――その事実を受け入れきれずにいた心が、凪原の姿を見た瞬間、理性の堤防を崩した。

 

「お前が娘の名を呼ぶな!」

 まほらを案ずる凪原の声は彼女の父、和泉秋水の声でかき消される。


 彼は自分の右頬を指で触れ、怒気を抑えずに言葉を続ける。

「右頬がアスファルトで大きく削られているんだ。手術をしても痕は残るだろうと、さ」

 怒りを抑える為か、増幅するためか。秋水は短く一度息を吐き、再び声を上げる。

「和泉家の一人娘だぞ!?顔に一生残る傷だぞ!?こんな傷じゃ恥ずかしくて表に出せんだろう!どう責任取るつもりだ、お前ら!」

「……あなた、病院ですよ」

「お前は黙ってろ!」

 妻・真尋の制止も聞かず、秋水は感情のままに声を荒げる。


「秋水君、申し訳ない。儂に出来る償いは何でもする。まほらさん、秋水君、真尋さん。本当に、申し訳ありませんでした」

 典善はその場に正座をすると、床に手をつき、頭をつく。

 親代わりである祖父が床に頭をつけて謝罪をしている。それなのに――。


「おっ、俺も!……俺も責任とります。できることは何でもしますから」

 凪原はそう言って、頭を下げる。だが、それは秋水にとっては逆効果だ。彼からすれば綺麗な花を傷物にした害虫以外の何物でもないのだから。

「責任?子供に責任なんてとれる訳ないだろ」

 秋水は、冷たい瞳で凪原を見下ろす。


「何もしなくていい。君たちは、もう二度と娘の人生には関わらせないからな」


「お父様」


 落ち着いた、と言うよりも無感情なその声は、不思議と病室によく通り、父の声を遮る。


「それでは私の気が済みません。こんな……、こんな顔にされた恨み。近づくなで済ませられる訳がないでしょう」

「……どういうことだ?」

 父の反応を内心伺いつつ、まほらは言葉を続ける。擁護は火に油を注ぐのは明白だ。このままではもう二度と凪原と会うことはできなくなってしまう。あの幸せだった日を最後の思い出になんてしたくない。涙を流すわけにはいかない。本心を父に悟られたら終わりだ。仮面をかぶれ。何も感じず、動じない仮面を――。


「折角責任を取って何でもすると言っているのです。いいですか?それならあなたは――」


 包帯で塞がっていない左目でまっすぐに凪原の目を見る。今にも涙があふれそうなその目を見てぐっと口に力を入れる。――どうか、きちんと伝わりますように。どうか、自分を責めないで。どうか、私を嫌わないで。どうか、いつかまた、あの幸せな日々が訪れますように。


 願いを込めた言葉を放つ。



「あなたは私の下僕よ」

 

 

 もし、運命の赤い糸と言うものがあるのなら。どうか、切れないで、と願いを込めた言葉を放つ。

 

 

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