訪問
放課後。ホームルームの終わりとほぼ同時に凪原司は帰路につく。黄泉辻渚が部活で、和泉まほらからは『私はあなたと違って忙しいからたまには早く帰って惰眠を貪るといいわ。いいわね?まっすぐ帰りなさい』との命を受けた。早い時間に一人で帰るというのは、実はずいぶん久しぶりの事だ。
――自転車置き場を通り過ぎて校門を出るときについ振り返ってしまったのは何となくさみしいからだろうか?
再び前を向くと、何となくバツが悪く一人頭をかく。このところ毎日にぎやかだったなぁ、と一人物思いにふけりながら帰り道を行く。徒歩40分。三キロ近い距離。
もうすぐ夏休みだ、と言う高揚した気持ちと、まほらから告げられた玖珂三月の恐ろしさが交互に頭を巡っては消える。とはいえ、まさかあの校門のやり取りだけで本当にそこまでやるか?という思いもある。
(身体くらい鍛えたほうがいいのかねぇ……)。凪原は腕を組んで首を捻る。焼石に水かもしれないけれど、何もしないよりはましだろう。備えあれば憂いなし。
学校を離れて10分ほど。大通りから一つ入った道を凪原は歩いている。後ろから自動車の音。チラリと振り返ると、大きめのワゴンタクシーだった。念のため、凪原は少し端に寄る。高校生にしては珍しいかもしれないが、彼のカバンには交通安全のお守りが付いている。
車は凪原を通り過ぎたところで止まると、スライド式のドアが開き、白い腕が二本伸びて凪原を捕まえ、車内へと引く。
――まさか、玖珂!?ゾクリ、と凪原の背筋に冷たいものが走る。
だが、車内にふわりと香る馴染みのある匂いが一瞬でその不安を消し去る。
凪原は無抵抗に車内に引き込まれると、引かれたその勢いのまま頭は手を引いた『誰か』の膝の上にぼふっと収まる。
「あら?案外肝が太いのね」
声の主はまほら。凪原が驚かなかったことに少し不満げにまほらは口をとがらせる。
「いや、一瞬ビビった。『玖珂!?』って」
タクシーのドアは閉まり、目的地へと出発。
「じゃあなんでわかったのよ」
よっぽど自身のドッキリ失敗がお気に召さない様子でまほらの追求は続く。
「なんでって。……匂いとか?」
その言葉でまほらの表情は青ざめる。
「臭い!?ううう運転手さん!窓!窓開けてぇ!」
「臭いとは言ってねぇよ!すいません、運転手さん、うるさくて!まほら、しっ!」
まほらは恥ずかしさを押し殺しつつ、口をつぐむ。
「……なによ、もうっ」
その間、凪原は一貫してまほらの膝枕状態。
「あのー……、俺から言うのも気が引けるけど、コレ、いいの?」
コレが示すのは膝枕。膝枕が嫌いな男子などいるはずはないのだから、凪原が拒否する理由はない。
「……またしてあげる、って昔言ったでしょ?私約束を破るの嫌いなの。これでもう果たしたからね」
窓の外を見ているフリをしながら、まほらは恥ずかしそうにそう言った。
「で、これどこに向かってるんですかね?」
「ん?あなたの家よ」
「まじか」
思わぬ目的地に凪原は絶句。
「まじか、じゃないわよ。私まだ行ったことないわ。主人を家に招待しない下僕なんて存在すると思うの?」
「……むしろ招待する下僕いる?」
下僕自体が法治国家では少数派な事は今更言うまでもない――。
――それから10分もしないうちにタクシーは目的地に到着する。
ダムっと車の扉が閉まる音がして、走り去るタクシー。
「いくらしたんですかね」
「1500円しなかったと思うけど」
「高っけぇ。一週間分の昼飯代じゃん」
凪原を拾う途中で手土産にと購入したプリンの袋を手にまほらはクスクスと笑う。
「あら、面白い冗談ね」
「……冗談じゃないんだよなぁ」
タクシーを降りると、目の前には鬱蒼と茂る木々に囲まれる古びた石階段。
「こっち。この上な。転ぶなよ、結構急だから」
「ん。ありが……」
つい素直にお礼を言いそうになり言葉を止める。皮肉の一つでも言われるかと思い、チラリと覗き見るが彼の視線は階段の上。まほらは珍しく柔らかく微笑み、『と』と、一文字だけ呟いた。
「なんか言ったか?」
振り返る凪原をまほらは白い目で見上げる。
「こんな急な階段をエスコート無しで上らせる男がいるなんて信じられないわね、って言ったの」
「そんな長かったけ」
凪原は苦笑しつつ、左手をまほらに伸ばす。
「これでよろしいですかね、ご主人様」
「えぇ、やればできるじゃない」
と、何でもない風に二人は手を重ねる。
凪原はまほらの一段上。視線は前方階段の上。
(んんんーっ!?や、やればできるじゃない!私っ!偉いわ!)
平静を装いながらもついつい口元が緩んでしまいそうになる。口元を隠したいが、右手は凪原の手を握り、左手にはプリンの袋を持っていてはそれを成すすべはない。
「荷物くらい持ってくれても罰は当たらないと思うけど?」
「悪い、それは無理」
振り返らずに凪原はそっけなく答え、まほらは折角の上機嫌に水を差され、内心むっと頬を膨らませる。
「無理ってなによ」
「いや、無理だろ。だって、手が塞がってたらさ――」
凪原は空いた右手で口元を隠し、言い辛そうに呟く。
「お前が転んだとき助けられないだろ」
どれだけ繕おうとしても、まほらはもう口元の緩みが抑えきれない。
「……助けてくれるんだ?」
「そのつもり」
お互いに顔を見ずに階段を上る。階段を上りきると、二人の顔は上気して赤くなっていたが、きっとこれは九十九段もある階段のせいだろう。まほらのバッグについた交通安全のお守りが、階段を上るたびに小さく揺れる。
「ねぇ」
階段を上りきっても手を離さない凪原へ、まほらは攻勢に入る。
「いつまで手を握っているつもり?もう階段は終わったけど。まぁ?わた――」
「おっ、そうだな」
まほらの言葉の途中で凪原はパッと手を放す。
「……」
急に放たれた手の空虚さをじっと見つめるまほら。
気を取り直して石階段上の神社。古びた境内の奥には凪原家の家屋がある。二人が出会った頃に凪原が住んでいた日本家屋とは比べるべくもない古び方だ。
「あっ」
視線の先に池を見つけたまほらは、同時に池を泳ぐ赤い金魚を見つけて駆け寄り声を上げる。
「金魚!ねぇ、司くん!これってもしかしてあの時の!?」
小学5年のある日、夏祭りで一緒に金魚すくいをした。あれから6年も経つ。早計な問いだったかもしれないが、ついうっかり仮面も忘れてしまうほどまほらの胸は躍った。
「……まぁ、ね。おかげ様で長生きしてるよ。まほらの方は?」
「うん、うちもまだ元気だよ。すごいね、ふふふ」
まるで子供のころの様に、まほらは嬉しそうに笑う。
子供の頃、あの日。池はもっと広くてたくさんの鯉や金魚が悠々と泳ぎ回り、それを二人で眺めていた。そして今は、あの頃よりずっと小さくなった池で、たった一匹の金魚が揺らめいている。それでも、その赤は昔と変わらず、今も二人の記憶を繋いでいた。




