危機感
「ねぇ、凪原くん」
毎度お馴染みの不穏な前振り。
時は放課後、場所は帰宅部の部室。いつの間にか一つだけ高級な椅子に変わったその椅子で、まほらはいつもの姿勢で凪原に問う。
「あなた男の裸を見る趣味があるの?」
凪原は即座にそれを否定する。速やかに、かつ力強く。
「いや、ねぇよ!?全く無い!別に同性愛者に偏見があるわけじゃないけど、少なくとも俺はない。断じてない!」
高い確率でその答えが返ってくると予測していたまほらにとって、凪原の言葉はバッティングセンターの球より打ち返すのは容易い。
「へぇ。つまり凪原くんは女性の裸を見る趣味はあると言うことね?」
イエスと答えれば女好き。ノーと答えれば男好き。そして沈黙はイエスも同然。まほらにしてみれば、詰みも同然。勝利の笑みを口元に浮かべる。凪原が照れて慌てふためく様子が目に浮かぶ。
凪原はケロリとして答える。
「そりゃあるだろ。お年頃だもん」
「あるのぉ!?」
一言で言えば詰めが甘い。まほらは驚きの声を上げる。
「あっちゃ悪いか?言っておくけどな、聞かれたから答えただけで、誰彼かまわず言わない分良識があると思うぞ?はっきり言おう。俺は男の裸を見る趣味はないが、女の裸は見たい」
あきれ顔で苦言を呈する凪原にまほらは頬を上気させつつ両手を向け、制止させつつ距離をとる。
「ちょ、ちょっと一度冷静になって凪原くん」
「お前がな?」
「わわ、私は至って冷静よ?頭も澄み切って思考も冴えわたっているわ」
周辺視野の広いまほらは冴えわたった思考でここが密室だと悟る。そしてまほらの座る席は上座。上座は入口から最も遠い。目の前には女性の裸に興味津々な年ごろの男子。――よって逃げ場はない。
「ち、因みに?どのくらいのスパンで……その劣情は催されるものなの?い、今は?今は平気よね?」
後ずさりしながらまほらは問う。
「……何で俺がいつでも誰でも女子の裸見たがる事になってるんだよ。そんなの全然平気だよ」
と、言われるとそれはそれで釈然としない。
まほらは不満そうに、少し悲しそうに顔を背ける。
「……じゃあ、見たくないのね。やっぱり私なんかじゃ」
「そうとは言ってないだろ」
二人の間に沈黙が流れる。
まほらは凪原との間に両手を伸ばしながら、恐る恐る凪原の顔を覗き見る。
そして、気が付く。困り顔ながら平静を装う凪原の耳が赤い事を。
「あっ、耳!耳赤くない!?」
耳を指さし即座に指摘。
「はぁ?赤くねーよ」
そうは言っても耳は赤い。まほらは鬼の首を取ったように凪原の周りをうろちょろして顔を覗き込みながら大はしゃぎ。
「そうは言っても?耳が?真っ赤っ赤ですよ?ふふふっ、隠してもバレバレですけどね?なぜなら耳が赤いから!へぇ~、そんなに真っ赤になるまで見たい……のね?私の……」
自分で言って想像してしまい、徐々にトーンダウン。
次の瞬間バサッと髪をなびかせて真っ赤な顔で得意げにドヤ顔を決める。
「私の勝ちね!」
「……マジで負けず嫌いだな、お前」
まほらは席に着くと、頬杖をついて大きく息を吐く。
「凪原くん、窓開けて。暑いわね、今日は」
「へいへい」
言われるままに窓を開ける。あれだけはしゃげばそれは暑かろう。
「話は戻すけど、あなた三月とやりあったんですって?」
急に真面目な顔で話すまほらに凪原は苦笑を禁じ得ない。
「お前すげーな、本当」
登校時、あれだけ人が集まる中でのやり取り。当然まほらの耳にも入っている。だから冒頭の『男の裸』に繋がったのだ。
「やりあってはいねーよ。ちょっと意見交換しただけ」
まほらは呆れながらも少し嬉しそうに口角を上げる。
「あのね、凪原くん。先に言わなかった私が悪いんだけど、彼を灰島さんと同じ程度に考えていたら大間違いよ」
――灰島朱莉。一年次に黄泉辻いじめを行っていた主犯的女子だ。まほらと玖珂の遠まわしな脅しと圧力により、自主退学の道を選んだ。
表情は変わらずとも、いつもより格段真面目なトーンのまほらの声。
「はっきり言うわね?凪原くんが私の下僕じゃなかったら明日にでもあなたはなんら身に覚えのない罪で警察に勾留される可能性だってあるのよ?」
まるで日本の話をしているとは思えない荒唐無稽な話。だが、まほらは冗談を言っている様子ではない。
「身に覚えのない罪って……。法治国家だろ?日本は」
「それはまぁ、建前上はね。パッと思いつくところでいえば、明日あなたの家に警察が捜査令状を持ってやってきます。罪状は例のアブないお薬の所持。そして、家宅捜索を始めると、あなたの指紋のついたお薬やら器具が発見されるの」
「……は?」
絶句する凪原をよそにまほらは仮定の話を続ける。
「そして、別件で逮捕された売人はあなたの名前を出す。ほら?簡単でしょ」
何かの終わりを暗示するようにパッと両手を広げ、まほらは他人事の様に笑う。
「とにかく、三月には関わらないで。そのくらい危険なの」
凪原は頭の後ろで腕を組み、椅子の後ろ足に体重を掛けて考える。朝のあの光景。先生も、風紀委員も、親の権力でねじ伏せるあの光景。
「でもさ。……うまく言えないんだけど、あれを見て見ぬふりしちゃうと――」
宙を眺めながら言葉を選ぶ。心のもやもやを埋めるような、ピッタリと嵌る言葉を探す。
「胸張ってまほらと話せないと思ったんだよ」
まほらの雰囲気が少し和らぎ、クスリと笑う。
「ばかね。私だってあっち側の人間よ?」
「バカはお前だっつの。お前はちげーよ」
「あら、そう?それは嬉しいわね」
まほらはクスクスと笑う。冗談めかして言いはしたが、それは本心。灰島朱莉を追い詰めた手口にせよ、基本的には本来まほらは玖珂寄りの立場である。だが、それは凪原には教えないし、知られたくはない。だからこそ、違うと言ってもらえた事が嬉しい。
まほらは頬杖をつき、冷たい薄笑みを浮かべつつ、何かを思案する様にその左手の指はトン、トントトン、トンとリズミカルに机を叩いている。
「まぁ?凪原くんは私の下僕ですし?いわば私の所有物よね?人のおもちゃで勝手に遊ぶ不心得者には……少しお灸が必要ね」
「誰がお前のおもちゃだっつの」