美化週間
「今日は美化週間のポスターを描くよ!」
放課後、今日の美化委員の活動は黄泉辻渚が言う様にポスター制作の様だ。美術部から画材を借りられた様で、長机の上には絵の具や様々なマーカーペンが並んでいる。
「うへぇ、本格的っすね。パソコンでチャチャっとやったらいいんじゃね?」
凪原司が冷めた意見を伝えると、黄泉辻は困り顔で両手に無数のマーカーペンを持ち凪原に近づける。
「えぇ〜、折角借りてきたんだから描こうよ描こうよ。絶対楽しいよ!」
そうせがまれて「しょうがねぇなぁ」が出るまでがワンセット。
「黄泉辻が友達多いのは知ってるけど、よくこんなに貸してくれるな。相手男?」
一年の時の事件も勿論知った上でのガチ恋製造機への皮肉。凪原は黄泉辻に対してそんなくだらない気遣いはしないし、黄泉辻もそれはよく知っている。
「ううん、女の子。中等部の時美術部で一緒だったんだ」
「へぇ、美術部だったんだ?」
感心した様に声を上げる凪原。黄泉辻は得意げに胸を張る。
「ふふん。こう見えて結構自信あるんだよね。あっ、昔描いた絵見る?」
そう言ってスマホに自分の絵を映し出して凪原に突きつける。モネの睡蓮、レンブラントの光と影。それから静物画の油絵。彼女の言葉通り、それらは素人目に見ても中々の出来と言えた。しかもそれは中学の時の作品だという。
「うわ、うめぇ」
「もっと褒めて〜」
「うまい、うまい」
「語彙、語彙」
たくさん褒められて黄泉辻もご満悦の様子だ。
絵心のない凪原は心底感心した様子で何度も絵をフリックしては、行ったり来たりして眺める。
「中学で描いてるだけでこんな上手くなるのか。すげーな」
「昔から好きで描いてたからね。初等部の頃にも絵画教室とか行ってたし」
「金持ちっぽいの出た」
と、そこまで聞いて凪原に軽い疑問が浮かぶ。黄泉辻は今は茶道部だ。
「何で茶道部入ったの?」
「んんんっ!?」
去年からの付き合いだが、今まで聞かれそうで聞かれなかった一言に思わず黄泉辻は言葉を詰まらせる。凪原は彼女が昔から茶道をやっていたと思い込んでいたのだろう。黄泉辻も薄々それを知っていながら言葉をぼかしていた節がある。
凪原は実は巫女服が好きだ。去年の出来事からそれは知っていた。何もなければ美術部に入ったに違いない。けれど、茶道部を見つけてしまった。その時黄泉辻は閃いてしまった。――茶道部は、和服だと。
巫女服が好きなら、きっと和服も好きに違いない。そんな単純な理由で彼女は茶道部に入った。これは誰にも言っていないし、これからも言うつもりはない。
「何でって。お……お茶って美味しいじゃん!?」
慌てながらエア茶碗でお茶を飲む所作をする。
「まさかの食いしん坊かよ」
「そうそう!お茶菓子も出るからね」
今度はエア茶菓子を食べる素振り。言われてみればよくお菓子を食べているな、と凪原は一人勝手に納得をする。
「ほら!そろそろ描かないと時間無くなっちゃうよ。はい、凪くん。とりあえず一枚描いてみよ?楽しいよっ!」
キラキラと輝く様な笑顔で黄泉辻は凪原にペンを渡す。
「……言っておくけど、お前と違って下手だからな?期待すんなよ?」
あきれ顔でペンを受け取る凪原に、黄泉辻は笑顔でピースサインを送る。
「だいじょーぶっ。絵は技術じゃないよ、心だから!」
「その精神論は絵画教室で習うの?」
制作開始。完成のワクワク感を求めるため、互いに見せ合わずにポスター制作に入る。サイズはA2。馴染みのあるA4サイズの用紙の4倍の大きさだ。
眉を寄せ、首を傾げながら描く凪原と対照的に、黄泉辻は時折鼻歌交じりに楽しそうに絵を描く。やはり絵を描く事が好きな様子だ。
リミットは下校時刻までの90分。本来時間的に仕上げるのは厳しいが、美化週間は待ってはくれない。
――90分後。
「ふ~、なんとか出来た」
絵具やポスターカラーで汚れた手で、黄泉辻は満足げに汗を拭う。
「じゃあ見せるね。じゃんっ」
黄泉辻制作のポスターは『毎日キレイでうれしいね』とポップなレタリングが施された校舎の絵。ダメ、絶対も悪くはないが、禁止も攻撃もないそのポスターはまさに黄泉辻らしい逸品だ。校舎の絵にはいささかのパースの狂いもない。
「プロじゃん」
凪原はポスターを指さして真顔で呟く。
「えへへ、ありがと」
照れくさそうに黄泉辻は笑う。感心して見ていた凪原の顔が次第に曇り、しまいには首をかしげる。
「つーかさ」
褒め一辺倒だった凪原の怪訝な顔に黄泉辻は身構える。
「えっ、どこか変!?」
「や、じゃなくて。見せる順番違くない?俺この後に見せるって晒し者じゃん」
「あっ」
と、短く答えてから、それはそれで失礼だと気付く。
「そんな事ないって!心を込めて描いた絵に優劣なんかないから!自信を持って!」
熱烈な黄泉辻からのエールを受けて、凪原は渋々ながらも作品を見せる。
「……そこまで言うなら。絶対笑うなよ?」
黄泉辻は両手を握りしめて何度か頷く。
「うんうん、絶対笑わないよ」
「んじゃ、はい」
凪原のポスターは「整理整頓」の文字が書かれていて、小学生の様な稚拙な絵で男が教室の窓から机と椅子を放り投げている。――明らかに一年の時の事件のセルフオマージュ。
見た瞬間思わず黄泉辻は噴き出してしまう。
「ぶふっ……!」
絶対笑わないと言った黄泉辻に咎める様な視線を送る凪原。
「あ、笑いやがった」
その抗議は黄泉辻としても心外だ。
「笑うよ!?笑うでしょ!笑わせにきてるじゃん!何が整理整頓なの!?っあははは」
見るたびに笑いが込み上げてくる。
凪原は黄泉辻の反応を見て気をよくして、隠していたもう一枚を取り出す。彼には二の矢がある。
「楽しんでもらえて光栄っすよ。で、実はもう一枚あるんだわ」
「……もう一枚?」
絶対ネタでしか無いだろうと思いつつも、黄泉辻は気を引き締めて二の矢に備える。
「ほい」
またもや小学生の様な、遠近感もへったくれもない絵。美化週間の文字の下、鏡の前に立つ金髪を二つに結んだ少女。漫画の様な吹き出しに「あたしキレイ?」と書いてある。
絵の味もあり、黄泉辻は大爆笑。
「あはっ……あっははは!何これ!?何なのこれ!?何なのこの人?あははっ」
「それは黄泉辻だ」
「まさかのあたし!?こんなこと言わないよぉ!」
黄泉辻は笑いすぎて目に涙を浮かべながら二枚の絵を何度も眺める。
「……はー、おかし」
「いい絵だろ?絵は心らしいからな」
想定より笑いが取れたので凪原もご満悦だ。
ふと、黄泉辻は二枚とも自分と関係のある絵だと気付く。そうすると、急に稚拙なこの二枚が愛おしく感じてくる。
「ねぇ、凪くん。この絵貰っていい?」
校内に貼ってみんなに見せるのはもったいない。
「え、やだよ。せっかく描いたんだし目立つとこに貼ってくれ」
まさかの拒否。だが黄泉辻も食い下がる。
「えぇ!?いいじゃん!うちで一番いい額に入れるから!ちょうだい!ねっ?」
当然、続く答えは「しょうがねぇなぁ」だ。
「やった」
黄泉辻は嬉しそうに笑う。
――絵は心。そう言った凪原が自身の絵を描いてくれた事が代えがたく嬉しかった。